趣味Web 小説 2006-06-14

村上・福井問題、もうひとつの見方

なるほど、と思った。インサイダー取引は株価と企業の実態との乖離を縮小するから望ましい(のではないか)、という話。

一見わかりやすいが、ここには陥穽がある。そもそも株式投資は株価の値上がりを期待するものではなく、配当を期待するものではないのか、と。つまり株式も土地などと同じく保有すること自体に価値がある商品であるべきで、現状がそうなっていないのはインサイダー取引が不十分なために、株価の大きな変動が日常の風景となっているからだ。

会社勤めをしていればわかることだが、企業の価値が1日に1割も変動するわけがない。なのに株価は変動する。インサイダー取引が企業価値と株価との関係を「正常」なものとするならば、インサイダー取引により株価は安定し、この企業の株価はこの価格で正当なはずである、という市場参加者の信任も得られるようになる。このとき株式投資は、積立式の保険や銀行預金と同様に信頼できる資産として、多くの国民にとって身近なものとなるはずだ。

……とはいうものの、現にインサイダー取引全面解禁の株式市場システムを採用している事例がないのは、果たして倫理的直感への盲従によるものなのだろうか? そうかもしれないけれど、そうでもないような気もする。おいおい、結論が「気がする」かよ、とは自分でも思うが。

ともあれインサイダー取引が刑事罰に値するのかという池田さんの問いは一考に価するのではないか。あと、これは当初から各所で指摘されていたことだけれど、どこから有罪にするか、という線引きも微妙。報道では「明らかに有罪」の流れであり、それがマスコミの予想する庶民感覚ということ。

産経新聞が意外に落ち着いた報道をしていた。「福井俊彦さんは悪くない」けれども世間の風当たりは強くなるだろう、という観測記事。産経の論説副委員長はゼロ金利解除派の岩崎慶市さんだから、金融引締めに方向転換した福井さんを応援したい空気があるのかもしれないな。とりあえず「疑念を持たれる行動は慎むべし」の服務規程を楯に辞任を迫るのは行き過ぎ。これで辞任なら、自分の支持する人物も志半ばで失職する未来が先に待つ。

過去に「疑惑」で辞任した人はたくさんいるけれど、私はそもそもそうしたこと一切に反対。例外はいくつか認めないでもないが、基本的に「疑惑」への対処は「推定無罪」の原則を堅持してほしい。疑惑を持たれた側を責める対症療法ではなく、安直に疑惑を表明する人々の無責任さ、この程度の疑惑で揺れる社会の不安定さこそ改善が必要だ。

今回の話題はファンドだけれども、そういえば98年の金融危機当時、有力政治家がどこの銀行に預金口座を開いているかが(週刊誌や夕刊紙を中心に)話題になったと記憶している。公的資金投入論議が私利私欲によるものという疑惑。結局、閣僚の公開した資産で目立ったのは郵貯だったような。

ところで量的緩和解除前の2月に解約を申し入れたことを株価下落を見込んだインサイダー取引だったとする主張もある由だが、清算は6月末の予定であり、つまり現時点でもまだ清算されていない(はず)という状況を見落としている。

もうひとつ、私の勤務先にも様々な心得があるが、喫煙許可区域外でタバコをふかしたからといって即座に辞職を迫られるようなことはない。田中・山形論争では服務規程違反が争点だが、仮に違反だとしても、「疑惑を持たれた」ことが辞職相当かどうか。注意かファンド運用益の返上で十分ではないか。

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