タイトルは引っ掛け。「なぜ?」の回答は、人の脳には「正常化の偏見」という機能が備わっているから、という説明でおしまい。本論は、正常化の偏見を乗り越えて防災対策を進めるにはどうしたらよいか、です。
片田さんは災害で人が死なないことを最上の価値とし、人を説得しようとする。
私が思うに、今日までヒトという種が生き残るのに、一定の利便のためには生命のリスクを厭わない性質が必要だったし、これからもそうなのではないか。津波で甚大な被害が出た後、人が戻らなかった地域が、ブリの養殖で地域の経済環境が良くな
るや、たちまち復興したというエピソードは示唆的です。
津波が来て、人が死ぬことはわかっている。でも、リスクを負う価値がある土地なんだ。そういうことなのだと思います、総論としてはね。
けれども人の心の中には、様々な価値体系が混在しています。最終的に、どのような生き方をするのか、という行動レベルの話と、一瞬の感情を支配する仕組みは違っている。だから、片田さんの説得が、一面において有効なのは理解できます。
三重県錦地区には,町の真ん中に「津波タワー(名称は錦タワー)」が建っています。津波が襲ってきても町の真ん中に住んでいる人は高台に逃げられないので,避難用のタワーを建てたのです。
そのタワーの上から周りを見ると,新築の住宅がたくさん建っています。住んでいる人に聞くと,その住宅は「100年住宅」だと言うのですね。でも,ここは津波常襲地域なので,その家は絶対100年もちません。その点を住民に問いただしても,彼らは合理的な回答を示せない。津波の記憶が風化する中で,リスクに対して無意識になった結果だと思っています。
素人の火遊びで経済学的思考に挑戦してみると、100年住宅と30年住宅の価格差が人々の予想するリスクを下回るなら合理的な話なのに、片田さんが素人の舌足らずをうまく補完できず「不合理」と決め付けているだけなのではないか。津波の発生時期に関して情報の非対称性があるので、無駄は残ります。
つまりこういうこと。30年住宅を建てて、33年後に津波が来たらどうなりますか。新築3年目で津波の被害を受けることになってしまう。100年住宅の価格が30年住宅の3倍ならともかく、実際には数割の差に過ぎない。30年住宅最大のリスクは、30年以内に津波が来ないこと。100年住宅にその心配はありません。
先日、私が大学改革論をぶったときの戦略は、片田さんの説得の道筋に似ているところがあると思う。総論としては命を危険にさらしてでも……という人も、ある方面からつついてみると、グラッとくる。それは行動を変えるほどの力は持たないことが多いでしょうが、何かを心に残すのではないか。
まあ、実際には何ら影響を与えることなどできないのかもしれませんが、希望を持つのは自由。