私も仕事をしていてよくわかるのだけれど、人と人が対面で話をすると、話がスムーズに動く。協力企業さんと連絡を取り合うときも、ちょっと込み入った打ち合わせになると、メールや FAX ではダメで、最低でも電話が必要。
外部交渉以前に、社内の不経済もコミュニケーションの障害に起因するものが多い。工場法のために都内の本社工場を拡張できず、田舎に資本投下したら、本社は都内だから大田区の町工場群(試作ラボ)との連携はしやすい一方、いったん設計図を工場に出すと、途端に躓きが増える。
何度も何度も電話で話して、写真を送ってもらってもよくわからず、とうとう飛行機に乗って工場まで行ってみたら30分で原因究明に成功、とかですね。壮大な無駄が出てる。機械さえあれば生産の効率は上がる……というのはルーチンワークの話で、研究・開発・立ち上げの段階では田舎の工場って不便極まりない。
田中角栄の「日本列島改造計画」を国民は歓迎しましたが、その代償は非常に大きいものでした。私の勤務先はメーカーだから、じつは膨大なルーチンワークが会社を支えており、コミュニケーション不全のコストは致命的ではない、かもしれない。でも第三次産業なんか、たまらないだろうな。
ネット時代になって、むしろ東京に会社が集まっているという。akiyan さんはネットがきっかけで東京人になったそうですが、非常によくわかる。(電話や FAX も含めて)オンラインコミュニケーションの壁って、やっぱり大きい。
人口密度が高ければ、多くの人が多くの人と対面で話をでき、経済活動は活発になります。人口密度の弊害が致命的なのは第一次産業くらい。既に第三次産業が中心となっている日本経済が発展を続けるためには、産業集積をいっそう進めるべきだといえます。
本当に失業問題を解決したければ、フランスがなすべきことはユーロからの離脱だと思うのですが、これまでユーロ導入の中心になってきた経緯のため、どの候補もそれを主張できないんでしょうね。
(中略)
fhvbwx 『その理屈だと沖縄と北海道は円通貨圏から独立すべきなんですが。』
Baatarism さんの答えは日本はまだ地域間の経済格差が小さいからまだ良い
なのですが、私は少し違うことを思う。
仮に「県」がEU加盟「国」と同等の閉鎖性を持っていたなら、日本の経済発展はありえなかったでしょう。国家の経済発展を目指すなら、地域間格差を解消するのではなく内部化するべきなのです。だから市町村を合併し、道州制を進めるのが正しい。
ひとつの町の中に、繁華街と原野があっても、地域格差とかあまりいわないわけです。露悪的に極端なことをいえば、「北海道(札幌周辺除く)と沖縄は無人化せよ」と。地域通貨を導入せず、経済格差を放置する利点って、キツくいえばそういうことだと思います。
日本とアメリカとでは、農家一戸あたりの耕地面積が100倍ほども違うという。日本の農業が国際的に競争力を持つためには、99%の農家に廃業してもらうしかない。無人化はともかく、日本の田舎はもっともっと人を減らした方がいい。むしろその方が、みんなの大好きな田園風景だって守ることができる。
でも現状の行政組織のまま、そういうことが起きると、夕張問題になってしまう。石炭産業が消えた後、必死に新産業の勃興を目指すが官庁に商才はない。借金膨張、成果なし。市民は失業に耐えかね流出し、財政破綻。もっと行政単位が大きかったなら、悪あがきして無駄金を使うことはなかった。
もともと夕張なんて不便な土地だから、石炭が取れなかったら発展することはなかった。その石炭がなくなったのだから人口が流出するのは当然なのに、人はそう思わないのですね。自分の故郷の衰退を我慢できない。とうとう破綻するまで、夕張再興の夢を捨てられなかった。というか、未だに懲りてない人が多い。
田中角栄さんの「日本列島改造論」とは、こうした人の心の理不尽を政府が全肯定する内容でした。田中総理の誕生以降、日本の経済発展が腰折れしたのは不思議なことではない。
東京への人口流入が70年代に止まった理由を bewaad さんは地方の過剰人口が解消されたためと予想しています。でも増田悦佐さんや岩田規久男さんの主張は、そんなことに関係ないのだと思う。
人の移動を自由経済に最大限任せる政策が実現していれば、地方に暮らす人々は家族の中の過剰人口を放出するに留まらず、一家を挙げて都会へ移住したはずです。ところが「国土の均衡ある発展」を目指す政策により地方在住の不利は「我慢できる程度」に緩和され、人々の移住コストがその利益に見合わなくなりました。
その結果、三浦展さんが「下流社会」で描くような、生まれてから死ぬまで狭い地域で暮らすのが当たり前の社会が復活し、日本の高度経済成長は(いまだに第三次産業の生産性が先進国中最低レベルであるにもかかわらず=キャッチアップ型の経済成長が依然として持続可能であるにもかかわらず)止まってしまったのです。
山手線内の夜間人口密度はマンハッタン島の半分に過ぎないそうですが、これは一等地で2階建ての家に暮らす原住民を過剰に保護する規制があるから。都市への移住希望者が増加し続けていれば、都市開発の厳しい規制は緩和されたでしょう。原住民の特権に、移住希望者の怒りが向けられたに違いないからです。
しかし現実には、地方は人口の減少を受け入れず、「国土の均衡ある発展こそ経済成長の正道」という夢物語に飛びつきました。そして、ずっと同じ街に暮らし続けたいという都市原住民を、仲間と認識して応援しました。30年後、地方は無駄な努力で借金を増やし、都市は成長を阻害されて苦しみ続けています。
日本経済の長い長いジリ貧の歩みは、現実を見なくなった人々の当然の帰結でした。……というような見方なのではなかろうか、と。したがって人々が現実を見て、無駄金食いの地方振興策を捨てれば、再び都市部への人口流入が起き、第三次産業の生産性が向上し、高度経済成長が復活するという筋立てです。
岩田規久男さんが「「小さな政府」を問い直す」で基礎自治体構想や道州制をいわないのは、日和っているだけのように見えます。残念ですね。
経済学の考え方がよくわかって、たいへん面白い本。
日照権の説明なんかひどいよ。大きなビルが建つことで地域経済が活性化されれば、総合的に住環境は改善されたことになるかもしれない。したがって、ビル建設前に「もしビル建設によって家の売価が下がった場合、差額を補填する」という契約をすれば日照権問題は解消される。……いかがです?
フツーの人は、仮に家の価格が上がっても「日陰になるのは許せない」とか思うのではないですか。これが原住民利権。過剰な利益を要求し、経済の回転を止める元凶。
日本人が、経済的合理性より「思い入れ」を大切にしたいなら、それはそれでいいのです。ただ、そのコストを自覚してほしい。夢のようなことばかりいって「どうしてうまくいかないんだろう」、これでは困るわけです。ある意味、幸せですけど。
最後に再び、Baatarism さんのところから引用。
今後もフランスやドイツは、ユーロを維持するコストを国内の高失業率という形で引き受け続けざるを得ないのでしょう。しかし(中略)両国の我慢が限界を迎えたとき、ユーロはどうなってしまうのでしょうね?
EU 加盟国同士なら人の移動は自由。失業者は人出不足の国へ移動すればいい。なのにドイツもフランスも転入超過を心配している始末。おかしな話。だから、移住するより失業に甘んじる方が合理的という構造を壊すこと。EU 全体の経済発展が大切なら他に手はない。
近年の日本では、愛知県の求人倍率が飛び抜けて高い。全国の失業者、ウェルカム。ところが、来ない。そこで伯父の勤務先では世界各国から日系人を連れてきた。しかしコミュニケーションの壁が生産性を押し下げる。仕方なく北海道へ進出するも、開発と製造が離れてしまう不経済を背負い込むことに。
ブラジルの失業者は日本へ来るのに、北海道の失業者は、なぜ愛知に来ないのか。明治維新以降1960年代までの、人が自由に土地を移動する時代の再来を切に望みます。