「もうとっくに終ってます!」の罠(2007-05-15)の補足。
ノートを一所懸命に教科書のようにしようとしている人を褒める人ってよく見かけるのですけど理由がよくわからないです。教科書でいいじゃん。
ノートは教科書じゃないのだから、教科書のように書く必要なんてないですよね。例えば、私の数学のノートは、間違えても一切消さずに、新しいページに書き直してました。なぜなら、後から自分がどこで間違えたかを確認するために、間違えた記録が必要だったから。
私が略した部分で勘違いがある様子。詳細は、下記いずれかの本を参照してください。
……といっても読む人は少ないだろうから、簡単に書きます。一番たくさんノートを使うのは算数。したがって算数のノート指導が、ベースとなります。算数のノートが整うことで、他の科目のノートも変化していきます。
いろいろ述べましたが、「全てノートに記入させる。ただし余白の多いスカスカのレイアウトとする。数字も記号もていねいに書かせる」というイメージです。
毎月のようにノートを1冊使い切ることになります。筆算を必要とする計算問題の場合、1~2問につき1ページを消します。より複雑な課題なら、1問解くのに数ページ使わせることも珍しくありません。
しばしばその効果を疑問視されるノート指導ですが、計算間違いの多い子にはよく効きます。また頑張った証拠が使用済みノートとして目に見える形で積み上がっていくので、停滞期にも学習意欲を持続させやすくなる利点があります。
問題解決プロセスのキーとなる部分を筆写させることは、型学習の基本ですから、教科書の一部を筆写させることは有意義です。練習問題を解く際にも、パターンとして繰り返しノートに書かせていくことで、少しずつ問題解決のプロセスが身についていきます。
時々バカな先生がいて、イラストの人物の言葉として吹き出しに書かれている言葉を筆写させるのに、イラストを全部コピーさせたりする。わざわざ人物の絵を描かせ、吹き出しマークまで書かせてしまう。そうした事例を誉めてはいけませんね。
やたら蛍光ペンなどでノートを飾り立てたがる女の子がいたりしますが、先生が無意味に長い時間を与えるのがいけない。不満顔の子には、ペンで美しい枠を作っているとき、意識は枠そのものへ向いてしまっていることを気付かせましょう。
大したことないと思われるかもしれませんが、生半可な努力では実例集にあるようなノートの再現は不可能です。個別指導でやっても骨だったのに、篠崎さんはクラス全体を指導しているわけで、驚嘆に値します。
算数の全授業実践記録が公開されています。基本型学習の意義がよくわかるはず。教師がそこで手を抜くと、必ず脱落する子どもが出てくることが、繰り返し描写されています。その都度、リカバリーしてクラス平均80点を死守していく。すごい先生。目次の配色が目に厳しいのを我慢して、目を通す価値あり。
こうした実践記録、作ろうとする人は多いけど、最後までやり通せる人はほとんどいない。教育雑誌でたくさん記事を書いているスターみたいな先生だって、挫折してる。赤塚さんは偉い。