趣味Web 小説 2007-07-17

ペンもノートも持ってこない学生の指導法

教室へやってきた大学生が、ノートもペンも持ってきておらずゲンナリ、という話。

二十歳の大人に、「ノートをちゃんと持ってこい。」なんてこちらはとても言う気になれない。ペンを出せ、とかも。それを言うのは本当に相手に対する侮辱だと思うから。だから、「ノートをとったほうが知識として後に残るよ。」とか、「まあ、ノートをとらないのもあなたがたの価値観だけれども。」とか言っても、平然としてただぶすっとして椅子にだらしなく座っている。

昔、アルバイト先で私がミーティングをやっていたことがあります。全員が高卒以上で、8割が大学生。いくつか連絡事項があるので、メモしてくださいというのだけれど、持ってきていない人がいる。

仕事でペンは使うのですが、カバンにしまって席に置き、ミーティング室へ持ってくるのを忘れてる。ノートはそもそも持っていなかったりします。おじさんおばさんはもちろん、学生でもそういう人はいました。

私はどうしたかというと、中学生や小学生と同じ対応をしました。「ペンと紙のない人は手を挙げてください。席から取ってきてもらうより、配ったほうが早いので配ります。後でペンは返してください」

鈍感な人間だから、こういうことができるのかもしれません。私には「ノートを持ってきなさい」といわれて「侮辱された!」と感じるセンスがない。きっとあちこちで失礼なことをしているに違いありません。

でも、やっぱり講義を聴いて、ノートを作成してほしいなあと思ったら、ペンと紙を講師の方で用意すべきだと思います。そんなことまでやってられるか、と思うかもしれませんが、それなら、私にはよくわからないそのこだわりを、学生にノートをとらせることよりも優先したいということなのではないでしょうか。

ペンを忘れる、ノートを忘れる。最初はびっくりするかもしれないけれど、次回からは、そういう学生もいるんだな、とわかっている。わかっていて、何もしないというのは、私にはピンときません。

ペンと紙があっても、何も書かない学生もいる。私なら、紙はこちらで配って、授業の最後に提出させます。「半分以上、何か書きなさいよ。半分、書いてなかったら出席点あげないよ」とか何とか、そういうインセンティブも与える。

でも、先生が黒板に書いたことしかノートに書けないという学生が大半かもしれない。であれば、ノート指導をする。ノートの見本をプリントで配る。とりあえずそれは二つ折りにして隠させる。授業は90分を3分割して、20分毎に、「ハイ、ここまでがノート見本の1番ね。自分のノートと見比べてごらん」という。

そして「抜けている部分があったら、自分のノートにも書き写しなさい」と指示する。1時間の授業で3回練習できるので、ゴチャゴチャ説明しなくても、だんだん感覚がつかめるようになってくる。なお、消しゴムは基本的に使わせないこと。誤字の修正はいいけど、全体の修正は禁止します。

小中高で12年間も大勢の先生方が一生懸命に教育して現状程度なのだから、一朝一夕には何も変えられない。だから、みんながこういうことを指導していく。指導仲間を増やしていく。

学生のプライドなんかより、こういうことの方がずっと大事だと、私は思う。

「そんなことじゃこれから社会に出てどうするんだ駄目じゃないか、」ということを言いたいわけではない。それも各人の選択だから、と自分は考える。近代工業社会に自分を合わせるばかりが人生ではない、と普段から自分は考えている。だから「ノートとペンを鞄に入れて登校して、それを机の上に出して板書を書き写せ、」というような説教は自分はしない。それは講師として僭越というものだ。

学生には講義に出ない自由があり、単位不足で退学する自由がある。教室までやってきた学生に対して、教師が指導することが僭越でしょうか。

僕一人が厳しいことを言っても、もし他の教員が大学の単位取得、留年させない、卒業させる、という目標設定を優先して、はっちゃはちゃな学生に申し訳程度の穴埋め小テストを出して、期末にはほとんど「事前に答えをそのまんま教える」ような試験をして単位を与えてしまっているなら、学生はいくらでもそっちに逃げてしまう。あるいは逃げ切れると思ってしまう。そうだからこそ、講義にノートも持ってこないで平然としてしまう。脅しもなにも効かない。

厳しいことなんかひとつもいわなくたって、ノート指導はできます。100人学生がいるのなら、ペンを100本用意すればいい。紙を100枚用意すればいい。

補習塾で私は、きれいに削った鉛筆を20本用意していました。子どもが返却した鉛筆を、休み時間に「お疲れ様。さようなら。はい、さようなら。じゃあまた来週ね」などと帰っていく生徒たちに挨拶しながら、ていねいに削る。すると自然に、忘れ物は減っていきます。

最初は、鉛筆を貸してもブスッとしています。無言で手を突き出し、返却するのです。「はい、どういたしまして」と受け取る。そのうち、一人の子が「先生ありがとう」といって返す。それを見て、少しずつ変わっていきます。

やって当然の「当たり前」のことが出来なくなっている人に、それをさせるようになる教育とはどういうものか、まだ僕も、そして世間もよくわからないのではないか。いい大人なんだもの、相手は。

ご家庭で指導すべきことでしょうと幼稚園に見放され、これくらいは幼稚園でしつけてほしいよと小学校で見放され、小学生じゃあるまいしと中学校で見放され、もう義務教育じゃないんだよと高校で見放され、いい大人じゃないかと大学で見放される。こんな連鎖は、福耳さんが止めるしかない。

私が教えた中でも、とうとう高校受験の当日に筆箱を忘れた子がいました。いち教師が奮闘しても及ばない領域は大きい。けれども、教育に魔法はありません。淡々とやっていくしかないと思います。

こういうことに大人も子どももない。小学生でも中学生でも高校生でも大学生でも、書くものがないなら教師が貸す。それだけです。次回も忘れたら、また貸せばいい。「来週こそは、ちゃんと持っていらっしゃい」と、何度でもにこやかに語り続ければいい。

どうにも改善が見られなければ、その理由を探求していきます。ときどき、こうした些細な兆候から何らかの障害や病気が発見されることもあるようです。

ちなみに

社会人相手のセミナーでは、筆記用具を忘れた人が申し出れば、いろいろ貸してくれることが多いようです。私もお世話になったことがあります。

これこそ「いい大人が何やってんだ」なのですが、筆記用具を持ってき忘れる参加者って、案外多いそうです。自分で言い出せない人に声をかけることもあるとか。学生相手にそこまでやることは全然ないと思いますが、ダメ学生はダメ社会人になり、それでも失業率は5%未満って、ようするにこういうことなのかも。

「そんなんじゃ社会で生き残れないぞ」って脅すより、みんなが楽しく暮らせる社会を作っていく方がいい。日本人は、少しずつ、そういうことをやってきたんじゃないかな。

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