趣味Web 小説 2009-03-13

「想像」力を育てるなんて無理。自分の気持ちを率直に伝えよう。

ときどき目にする話題。

子どもに「他人」の立場を思いやる心を理解させたいが、手詰まりになってしまったとき、こういう言い方をすることがあります、不愉快に思われる方が多いことはわかっていますが、どうか事情をご理解いただき、許してください、という話。

とくに異存はありません。難しいことを教えるのに、通常の指導の枠内ではどうにもならないときはあります。

ちなみに私の場合はもう、そういう難しいことはしないと決めています。例えば個別指導塾で、隣のブースの生徒などに迷惑をかける子に対して、私はこういっていました。

「**さんが本当に迷惑に思っているかどうかは、たしかに君のいうとおり、私には断言できない。でもね、もし私が**さんなら、迷惑に感じる。集中力が途切れてしまうからね。それでね、いいかい、私はね、自分の生徒がそういう、よその生徒の迷惑になるかもしれないことをするとね、とてもつらいんだよ。さっきもショックで心臓が止まりそうになったんだ。だから、もうそういうことはしてはいけない」

ようするに、生徒の迷惑行為に苦しめられている「自分」の正直な気持ちを理解してもらう。まあ、これが通じないなら、第三者の気持ちなんか理解させようもない。

ふだんから「私の担当してる生徒はみんないい子ですよ!」と素で自慢しているような親バカ的講師だった、という特殊条件はありますが、毎回とくに抵抗なく生徒らは私の願いを聞き届けてくれました。しかしまあ、ひとつ潰せば他のあれこれが気になってくる、という感じではありました。

ホラ見ろ、ちゃんと他人への想像力を育てないと根本解決にはならないんだよ、といわれれば、まあそれはそうかな、と。でも自分にだってできないことを生徒にいってもな……というのが正直なところ。

あまり他人の目を気にしていなかった母は、電車内で私たちが騒いだときも、常に自分の価値観から躾(しつけ)を行った。「周囲の人が迷惑するから」ではなくて、「電車の中では静かにするのが正しいと私は思うから」おとなしくしなさい、というわけ。なので当然、私たちの家族しか乗車していないときだって、車内を走り回ることはきつく禁じられた。大浴場で泳いではいけない、というのも同じ。

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