この意見には首を傾げる。
常用漢字表について、「漢字表記をした場合に表外漢字を含む言葉の使用を自制するべき」という理念はたびたび唱えられるが、実際には「まぜ書き」が多用されてきた。素人目には言い換え可能な表現に見えることも多いのだが、それぞれにこだわりがあるのだと思う。
政府は、「飛翔体」と表記した。漢字辞典の使い方は小学校3・4年で学ぶ。総画索引で「翔」を調べて「しょう」の読みを知り、国語辞典で「ひしょう」をひけば、だいたい言葉のイメージはつかめる。キーワードだからこそ、歴史的経緯を踏まえつつ意図をより正確に伝える言葉を選んだのだろう。
地の文で不用意に表外字を多用し、国民を煙に巻こうというのではない。これくらい目くじらを立てる必要はないと私は思う。
- 前書き
- この表は,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。
- この表は,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。
- この表は,固有名詞を対象とするものではない。
- この表は,過去の著作や文書における漢字使用を否定するものではない。
- この表の運用に当たつては,個々の事情に応じて適切な考慮を加える余地のあるものである。
所詮は目安である。なるほど、公用文作成の要領に従うなら「飛翔体」は常用漢字で書き表せる簡単な言葉で言い換えた方がよいが、これも努力目標に過ぎない。
以前にも一度紹介したが、国語審議会の議事録には常用漢字表策定の本音が出ている。常用漢字が2000字程度に限られる究極の理由は、義務教育で扱える漢字数にある。実際の定着度を見れば1500字以下が真の上限だろう。相当数の国民が読めない字があふれる国、それが識字率99%超を誇る日本の現実だ。
やる気がないなら、常用漢字表などやめてしまえ!
そういう問題ではない。
常用漢字表がなくなったところで、何も解決しない。小学校で学ぶ1006字の教育漢字すら、定着率は悲惨だ。日常生活に必要な字ばかりなのに。現状を見る限り、一定の調査に基づき政府が目安として示した漢字を優先的に学ぶ仕組みは必要だ。常用漢字表が消えれば、新教育漢字表が代わりに登場するだけだ。
新聞が交ぜ書きをするのは、より多くの読者を獲得するために必要なことだからだ。政府が自制するのは、「学校で教わってない漢字は読めない」という国民の苦情に一定の理があるからだろう。売れなきゃ食えない新聞の方が作業は徹底している。こうした構造は今後も変わらない。
小形さんは、勝手にルールを厳格に解釈し、それでは窮屈だからルールをなくせ、と主張する。一人相撲ではないか。当の政府が「飛翔体」を堂々と使ってくれているのだから、「なーんだ、そうか、公文書でさえ、とくに説明なく表外字を使えるんだね」と安心していいはずだ。怒る理由がわからない。
義務教育で扱える内容は限られている。だから目安をもとに教育内容を決める必要がある。この目的のため、常用漢字表の規模は制限され、表外字との併用は前提となっている。当用漢字表をルーツとする常用漢字表だが、もはや「やる気」云々で廃止すべきものではない。
目安の必要性は認めたうえで「伝統を断絶した当用漢字表の前まで戻って考え直すべき」という主張なら理解できる。が、当用漢字表の告示から63年経ってしまった。一人が生まれてから死ぬまでの時間が過ぎている。国語政策の連続性を破壊するデメリットは小さくない。現実の政策としては採用できないだろう。
いやいや、国の政策はそうでも、個人の選択は自由じゃないか。それはその通り。趣味のブログに何の制約が? 結局、私は放り投げたんだね。正しい字を勉強して使っても、むしろ敬遠されて読まれない。こちらの主張がどうこうという以前に、まず表記のところでコミュニケーションに躓いてしまう。仮名遣いもそう。
私が文章を読ませたい相手の大半は、現代の日本語表記法に慣れ親しんでいる人。だから後ろめたさを感じつつも、いい加減な表記法と、ヘンな字を使い続けることにした。……んー、全部、不勉強の言い訳かな。単に楽な道を歩こう、という。私は「読める」で満足して「書ける」に至らなかった。
自分の常識をみんなの常識にしたい人は世の中に多い。現在の学習指導要領の内容さえ全く不徹底なのに、これ以上、あれこれ教えるなんてできるものか。「できる」というなら、ボランティアで土日にでも近所の子どもたちを教えてみたらいい。1ヶ月で絶望するよ。
中学校の国語教師なんて、プロの教師のくせに最低で、授業時間中に漢字を扱わない。だったらせめて黙っていればいいものを、漢字テストの結果だけ見てブツブツ文句をいいだす。教育成果に何の責任も感じていないのか。そりゃ全員100点満点は無理だよ。だけど、全部宿題任せにするのは学習指導要領違反じゃないか。