失敗は成功の母、というけれど。実際のところ、何らかの成功によって失敗が帳消しになることって、まずないんだよね。失敗はいつまでも失敗のままで、成功はまた別の話。だから、といっていいのかどうかわからないけれど、失敗したときに大切なのは、そのつらさ、悲しさに負けずに生き抜くことなんだと思う。
語り手・達也くんの姉、そして物語の主人公の加奈さんは、小学校6年生。運動会の華というべきリレーのアンカーを任された。見事に1位でゴールテープを切るが、バトンミスで失格になる。バトンを受けたのが、規定の範囲を1メートル出たところだったのだという。
自分一人がガッカリするだけなら、まだよかった。加奈さんが台無しにしたのは、みんながつないだバトン。その重さに、小さな心は押しつぶされてしまった。
素晴らしい走りへの賞賛も、一瞬の歓喜の記憶も、これまでの努力の積み重ねも、「気にすることないよ」という言葉も、かすかな慰めにしかならない。今回の失敗に懲りてバトンパスの練習に励んでも、小学校最後の運動会に再挑戦することは決してできない。
かといって、もし加奈さんが失敗を気にせずニコニコしていたら、ムッとする人は少なくないだろう。そしてそれは、加奈さん自身の気持ちでもある。取り返しのつかないことをいつまでもクヨクヨ悩んでいたって、具体的な成果は何もない。それでも、人が一歩踏み出すためには、ときには足踏みだって必要なんだ。
人はどうして、失敗すると悲しくなるのだろう。加奈さんは誰にも責められはしなかった。みんな優しかった。それでも、悲しくなってしまった。
私の経験に照らしても、感情的に自分を責めたり、「ぼくはなんてダメな奴なんだ」と貶めたりしても、そのこと自体が直接に未来をよくすることは、ない。いろいろな場面で私の前に現れた「泣いていたって意味ないだろう! 対策を考えろ!」と怒鳴る人々は、その感情的な大声は無意味ながら、言葉は正しかったと思う。
ただ、バトンミスは今後もなくならないに違いない。どんなに練習を積んでも、スタートダッシュとギリギリのタイミングを追求する競技、その一連の動作の中のことである以上、不確実な領域は残る。1996年のアトランタ五輪、400メートルリレーの3走だった朝原宣治選手は、バトンを受け取れないまま規定の距離を走り抜けてしまった。日本トップクラスの選手だって、バトンミスをする。
反省の意味というのは、じつのところよくわからないことが多い。それなのに反省は有意義だということになっている。だから、やる気の問題だとか、気の緩みとか、反省の有効性を訴えるために問題の原因の方が創作されてしまいがち。
みんな自覚はしないまでも、こうした状況を肌で感じてはいるよう。私的な相談の場では、例えば「しばらくおとなしくしていればいい」といった、反省なんて世間向けのポーズですよ、みたいなアドバイスをくれる人がたくさんいる。
ただ、その意見は有用なものかもしれないけれど、聞いた人の沈んだ気持ちを救う効果は乏しい。もちろん、自分にガッカリして意気消沈する時間というのも長い人生の中では貴重なものだから、直ちに救い出そうとするのはお節介かもしれない。それでも、誰からも見捨てられたかのように感じている子どもに、大人たちが救いの手を差し伸べるのは、大切なことだと思う。
加奈さんは失敗から一晩経っても食欲がわかず、部屋に閉じこもっていた。折り悪く、両親は知人の結婚式に出席するため、家を空ける。傷心の姉と二人きりになり、達也くんは困惑する。そこへかかってくる一本の電話。声の主は、近所に暮らすおじいちゃんだった。
たまたまおじいちゃんの家に親戚が多く集まるので、達也くんと加奈さんもくるように、という。おじいちゃんは渋る加奈さんを説得し、家から出すことに成功する。昨日の運動会を観戦していたおじいちゃんは、一計を案じていた。
おじいちゃんの家では料理の準備に忙しい。大好物のハラン寿司づくりを、加奈さんは無言で手伝う。
料理が揃う頃には全員が集まった。元応援団のおじいちゃんが乾杯の音頭を取り、和気藹々とした空気で宴がはじまる。
宴席の話題は、みんなの失敗談。最初はいとこの洋くん、次にその姉のまなみさんが、今ではひとつの思い出となった失敗のエピソードを語る。おじいちゃんは、話に区切りがつくタイミングで「失敗に乾杯!」と音頭をとる。達也くんはおじいちゃんの気持ちを理解した。
今度は達也くんが失敗談を話す。さらに横浜のおばさん、おじさんが続く。
他人の失敗談は面白い。加奈さんは座がワッと盛り上がるそのときには小さな笑顔を見せるけれど、やっぱり表情は暗い。それはそうだ。大失敗から1日しか経っていない。加奈さんは「私の失敗も笑って話せる日がくるのかしら……」という。「くるとも」と、おじいちゃん。みんなで失敗に乾杯して、物語は終る。
つらいときにお説教は最悪だし、暗い顔と共存するのが嫌なだけの人が口にするおためごかしの慰めも役に立たない。加奈さんを力づけたいという気持ちは本物でも、実際にどうしたらいいかというのは、難しいところ。この物語は、フィクションらしい理想像を描き切ってすがすがしい。
大勢に愛されている加奈さん。みんなの話を聞いてもすぐに心が晴れることはないけれど、この宴が加奈さんを勇気付けたのは間違いない。失敗の悲しみがずっと心の片隅に残るように、自分を支えてくれた温かい記憶も末永く生き続ける。加奈さんはもう大丈夫、達也くんも安心して眠れるね。
あと、肝心なときに家を離れてしまう両親は冷たく見えるかもしれないけれど、おじいちゃんの手厚いフォローをセットで考えれば、大正解だと思う。あまり身近すぎる人の体験談は、自分を客観視する材料にはしにくい面があるから。そういえば物語中、おじいちゃんは音頭取りに徹して失敗談を語っていない。すごい。