小学生の頃、人里に熊が現れるのは、人が山を切り開いていったからだ、と習った。本当だろうか、と私は思ったが、いまだに事実をきちんと調べてみたことがない。
私が首を傾げたのは、「まんが日本昔ばなし」などを見て育ったためだろう。そこでは、昔の人はみんな山の中か海辺のどちらかに暮らしていたかのような描写になっていた。
現実には、農業に適した平野や台地に人口が集中していたそうだ。アニメの山は、平野の中にも数多ある丘陵などを誇張して表現していたものらしい。とはいえ、見渡す限りの平らな水田は、土木技術が普及し干拓や灌漑整備が進むまでは、限られた場所にしかなかったという。
古い街には大地の凹凸がよく残されている。いま私は東京に暮らしているが、関東平野の河口付近につくられたこの街の、坂の多さには閉口させられている。
実家は千葉の北総台地にある。近所を流れるふだんの川幅が1m程度しかない小川が、高低差10m、幅300mにもなる緩やかな谷を形成している。川沿いを走る鉄道をまとめて越える長い跨線橋から谷の全景を眺めると、日本地図では関東平野の一部にされている平らな土地も、昔の人は山また山と認識していたことを実感できる。
数年前に千葉県立中央博物館の方に訊ねてみたところ、自分の専門外ではあるが、と断った上で「かつては千葉県にも熊がいました」という。全域に人口密度が増えていく過程でかなり昔に房総半島からは消えてしまったようだが、今も関東平野周縁部、例えば多摩丘陵などには一定数が生息しているのだという。
となると、小学校の先生の話は、いささか滑稽に思えてもくる。人はずっと、熊が暮らすような山の中、あるいは熊の棲む山のふもとで生きてきた。いま私たちの多くが熊の心配なしに生活できるのは、先人たちがニホンオオカミと同様に熊を駆逐したからではないか。
既に大型の野生動物を追い出し終えた土地に暮らす者が、熊の近くに暮らす人々を「山を切り開き野生動物の領域を侵食していく人間の傲慢」「撃たれる動物がかわいそう」などと批判するのは偽善的ではないか。
そんな問題意識を持ってみると、100万都市の仙台や札幌の山林には今も熊が生息しており、時々ニュースにもなっていることに気がついた。熊は意外と身近な動物らしい。とくに2009年の夏は、全国的に梅雨が明けない異常気象のため、山に熊の餌が少なくなった。そのため、熊が人里で目撃される事例が増えている。
自然動物保護の啓蒙活動が進んできた日本だが、人と熊が共存する社会を実現するための取り組みは、ここに重大な挑戦を受けることになった。
さて、本書はマタギの伝統と現代の姿を伝える一冊である。
マタギとは東北地方・北海道で山での狩りを生業としてきた人々という。狩りに適しているのは緑が生い茂る前の春浅い季節。まだ山に雪が残る頃だ。マタギは専業の猟師ではなく、一年の大半を農耕、炭焼き、川魚漁、商工業などを営んで過ごし、機会を得て狩りを行ってきた。
マタギが獣を仕留める伝統的な道具は槍(やり)だ。昔の銃は精度も威力も低く、獣を追い立てるのが主な用途だった。槍で熊と1対1の勝負に挑むのは無謀だから、マタギの熊猟は集団で行われた。マタギは山では里の言葉を使わず、山の言葉だけでやりとりする。そして猟に成功するとケボカエの儀式を行い、祈りの言葉を唱えた。マタギは山の神を敬い、人の欲望の暴走に歯止めをかけてきた。
600年の伝統を持つマタギの末裔、吉川さんが営む「熊の湯温泉」は、白神山地の青森県側に位置している。最寄の集落まで3km、カラカ山と然ヶ岳に挟まれた赤石川の沢沿いにガッシリとした建物を構える。雪に閉ざされる季節を避け、6月から10月までを営業期間としているそうだ。
吉川さんはある年、マタギの掟に反して2歳未満の子熊の母親を仕留めてしまう。これは吉川さんにとって3度目のことだった。幼い熊は放っておけば死ぬ。吉川さんは、子熊を家へ連れ帰って育てることにした。2歳まで育て、森に返すのだ。ところが、今度の子熊は放獣しても翌朝には家へ帰ってきてしまうのだった。
諦めて子熊をずっと面倒見続けると決心した吉川さんだが、その後も狩猟は続けている。子熊の命をいったん山へ返したなら、山から再びその命を分けてもらうこともできる。しかし預かっている命は大切に守り育てねばならない。だから、かつての子熊を大人に育てつつ、山で猟をするのは矛盾ではない。
マタギはいつまでマタギでいられるのだろうか。1994年に兵庫で熊猟が禁止されたことを嚆矢として、熊と人の関係においても、野生動物保護の理念が重要な地位を占めるようになってきた。青森県は熊猟の規制に及び腰だが、いずれ禁猟になるだろう。他方、安全を名目とした熊の捕殺は続いている。
マタギは命を分けてもらうことを通じて山を敬い、山を荒らさぬよう守ってきた。だが今や、人の移動・転職が自由になり、生活水準に比して熊猟の利益は小さい。もはや山から直接に命を分けてもらう必要は乏しい。伝統の維持という名目も、高性能銃の導入による猟の個人化、山言葉の廃れなどから、趣味の狩猟との差異が狭まり、説得力を失いつつある。
今夏、石川、秋田、青森などでは、人里で目撃された熊を餌でおびき寄せ、わなで捕獲し駆除(射殺)することになった。人の安全を優先順位のトップに置き、リスクを背負って熊と共存する道を捨てた。マタギは転機を迎え、熊は有害獣として排除される。そして「安全」な街に響く環境保護の掛け声。
うまくまとまらなかった……。