異様な物語である。粗筋はこうだ。
物語の舞台は、きつねとうさぎが出会ったら必ず「おやすみなさい」という約束に支配された土地。
迷子の子うさぎは、きつねと出会う。きつねはすぐさま子うさぎを食べようとするが、子うさぎはきつねにルールを突きつける。仕方なく、きつねは形式的に「おやすみなさい」と声に出す。だが子うさぎは、「おやすみなさい」とは単なる言葉ではなく、きちんと実質が伴わなければ、約束を守ったことにはならない、と主張する。
子うさぎはまず「おやすみなさいのお話」をさせる。続いて「おうちのベッドまで自分を運ぶ」ことを要求する。きつねはうさぎよりはるかに敏感な鼻を使い、においをたどって子うさぎを家まで送り届ける。きつねの期待に反し、家の中は空だった。だが子うさぎも、いよいよ追い詰められた。子うさぎの最後の希望は「ぼくが眠るまで子守唄を歌い続ける」こと。子うさぎはギリギリの賭けに勝ち、きつねが先に眠りに落ちた。
そこへ子うさぎの家族が帰宅する。父うさぎはきつねを棒で殴って殺そうとするが、子うさぎはルールを盾にきつねを守る。きつねを眠ったまま家の外へ引き出したうさぎの一家は、扉を固く閉ざしてベッドで眠りにつくのだった。おしまい。
「約束」って何なのだろう。作中の大人たちはみな、子うさぎに約束を突きつけられると、なすすべもなくそれに従わざるをえない。うさぎが自分の巣を知ったきつねの命を助けるのは致命的な判断ミスだし、きつねがうさぎを食べられないのでは生存権すら脅かされてしまう。
カーチェイスに出くわした子どもが、逃走車に「速度違反ですよ」といったらスピードがガクンと落ちる。これ幸いとパトカーが追いつこうとするも、やっぱり子どもに「速度違反ですよ」といわれて法定速度に。そのまま逃走車とパトカーは等速で延々とカーチェイスを続ける……私が連想したのは、そんな光景。
「はだかの王様」の逆バージョン、ともいえそう。ふだんはみんなルールを知りつつも半ば無視して生きているのだけれど、目の前に突きつけられたルールを堂々と破るのは難しい。お互い様だと思うから大人は黙っているのに、子どもは平気でルールを持ち出す。無邪気で素直な発言には、世界の空気を変える力がある。
それでも解せないのは、きつねと迷子の子うさぎはしばらく2匹だけで行動していたのに、なぜきつねが約束を破らなかったのか。きつねが約束を破ったところで、周囲にその判断を咎めるものはいない。
とすると、きつねに約束を守らせたのは、きつね自身に他ならない。しかしこの約束は不条理なものだ。それでも守らねばならないのか。そもそも誰が、こんな約束をしたのか。この物語ではレアケースできつねも助かったが、ほとんどの場合、うさぎが一方的に得をするルールなのである。
こうした土地のしきたりというのは、一見したところ意味がないようでいて、じつは……ということも時にあるから、全く無視してしまうのも危ないのかもしれない。それでも、どんどんエスカレートしていく子うさぎの要求に翻弄され、いいように使役された挙句、腹ペコのまま荒野に放り出されるきつねは哀れだ。
私は何となくきつねに感情移入していて、子うさぎの「ちょっとまって!」が出るたびにイライラさせられた。しかしもちろん、子うさぎはきつねをいじめているわけではない。生死の瀬戸際で脳をフル回転させ、たったひとつの約束によって自らを守ろうと必死に言葉を紡いでいるのだ。
あらためて、読み直す。
「あいさつ」だけでは一瞬の時間稼ぎにしかならない。「お話」をねだってみても、きつねの創作力は低く、あっという間にお話は結末を迎えてしまった。さあ、どうしたらいい? ゆっくり考える時間はない。きつねは再び大きな口を開ける……。もはやこれまでか。もう家族にも会えないのか。お父さん! お母さん! ぼくは、ぼくは……。
「ちょっとまって!」
本って面白いな。さっきまで「またか!」といらだっていたセリフに、今度は「待ってました!」と拍手したくなる。
この絵本、幼稚園などでの読み聞かせでは人気があるという。「ちょっとまって!」がいいリズムを作って、繰り返しを重ねるたびに場が盛り上がっていくそうだ。
当初は「約束」について「宗教的戒律の暗喩なのだろうか」なんて考えていたりした。しかし今では、単純に弱者が強者の追跡をかわすフィクションならではのツールなのかな、といったあたりに落ち着いている。例えば、日本昔話の「三枚のお札」のような。
ただ、「三枚のお札」は結末で和尚が山姥を食べて退治してしまう。人と山姥は排他的な存在なのだ。しかし本作の結末は、うさぎときつねの共存を示唆している。無論、きつねが小動物を捕食して生きる存在であることは今後も変わりない。
父さんうさぎは扉を角材で補強したが、問題は、うさぎの食べる植物は家の外にしかないということだ。うさぎ一家の未来は不穏な空気に包まれている。自然界の調和は、緊張感あふれる共存関係により成り立っている、ということなのだろうか。
面白い絵本だけど、これで感想文を書くのは(私には)相当につらい。
作文の材料としては、こんなところかな。「世の中にはこんなルールがあるんだ」といわれたら、初耳でも「そんなものかな?」と思ってしたがってしまうキツネの悲しさに焦点を当ててもいいけど……って、やっぱりこの本、小学校低学年向けの課題図書としては相当に厳しいよね。