趣味Web 小説 2009-08-19

2009年の課題図書で読書感想文「おこだでませんように」

おこだでませんように

「叱る」と「怒る」は違う。私は怒っていない。叱っているんだ。大人は、たいてい、そういう。

苛立ちを隠そうともせず、大きな声で、人の心にナイフを突き立てるような言葉で、目じりを吊り上げて。鏡を見ても、胸を張って同じことがいえるか。

「あなたのためを思っていっているのよ」それは否定しない。でも、それだけじゃないよね。

「あなたが憎くていっているんじゃない」基本的には、ね。でも、100%そうだ、って言い切れる? 絵本で世界の物語を読んでみれば、親が子を憎むなんて珍しくもない。ちっとも思うように行動してくれない子どもを叱り飛ばすとき、どのような種類の憎しみもその行為の中に含まれていないということが、あるだろうか。

「叱る」と「怒る」の境界は曖昧で、広範囲にわたって両者は混じり合っている。まずその現実を直視してほしい。両極端の事例を持ってきて、「ほら、やっぱり違うでしょう」とごまかすから、自分の言動をろくろく検証もせずに正当化できてしまう。

自分は子どもを愛している、この子のためを思えばこそ過ちは放置できない……そうでしょう、そうでしょうとも。けれども、だからあなたのすることは正しいのだろうか。強い動機は、自分の中にあるその他の気持ちを覆い隠して見えなくしてしまう。

絵本の主人公「ぼく」は、七夕の短冊に、ただひとつの願いを書いた。「おこだでませんように」と。

「ぼく」は、毎日、朝から晩まで怒られ続けている。「ぼく」が怒られるのには、いちいち理由がある。理不尽も非常識もそこにはない。そうだから、「ぼく」の悲しみを想像する人が誰もいない。学校の先生も、そして、父親のいない「ぼく」にとってたった一人の親である「おかあさん」も、傷ついた心に気付かない。

もちろん、「ぼく」にだって言い分がある。あるのだが、それは「正しくない行動」を正当化するだけの力を持っていない。だから、怒られているときに「ぼく」が何かいえば、ますます怒られてしまう。

いま私は、「だから」と文章をつなげた。直感的に「おかしい」と思った人が、どれだけいるだろう。悲劇の源泉は、こうしたところに隠れている。

「ぼく」と同様、私も弟とつまらないことでしょっちゅう喧嘩しては叱られた。叱られるのは嫌だから、次第に親の前では我慢するようにもなったが、親がいない場所や状況になれば、途端に喧嘩をはじめたものだった。しかし当然のことながら、弟は親に訴え出る。私は叱られた。

良い悪いをいうなら、喧嘩はよくない。そんなことはわかっているのだ。「どうして喧嘩なんかするのよ!」質問のようでいて、質問ではない。喧嘩は悪いことだ。でも、それが何だっていうんだ。どうしても許せないことがあるから、喧嘩するんじゃないか。私は怒りに震えるしかなかった。何もかも、諦めていた。

だが、弟は、諦めていなかった。弟は粘り強く両親と戦い続けた。両親が激昂するのも厭わず、自分の言い分を高らかに謳いあげるのだった。「口の減らない子」といわれ、「いい加減にしなさい」と頬を張られても、わんわん泣きながらも、挫けなかった。あの小さな身体のどこに、そんなエネルギーがあったのだろう。

つまるところ、弟が主張し続けたのは、「最終的にとった行動が間違いだったことは認めるし、謝る。でも、自分がそのような行動に至った経緯、どうしても我慢できなかった気持ちは理解してほしい」ということだった。私はそんな弟を「そんなもの通用するわけないだろバーカ」と冷笑的に見ていた。

バカだったのは、私の方だ。弟は、生誕以降10数年の戦いを経て、圧倒的な劣勢を挽回し、少しずつ戦果を勝ち取っていった。変化は、まず母に現れた。最初に子どもの言い分を聞き、その気持ちに寄り添う努力をするようになった。子どもの行動に対する価値判断は、子どもの言い分を理解することとは分離できる、という事実を発見したのだ。

両親の「叱り方」は、次第に変わっていった。子どもを糾弾するのではなく、「正しくない行動」につながる気持ちの乗り越え方を、子どもと一緒に考えるようになった。さらに、そもそも、そういう気持ちが生じないよう生活の仕方を変えていくことに、知恵を絞るようになっていったのだった。

私は、両親もまた「子どもを叱るなんて嫌なこと、なるべくしたくない」と思っていたことを知った。

「ぼく」の物語にはハッピーエンドが待っている。学校の先生も、「おかあさん」も、短冊を見て、たちどころに「ぼく」の悲しみを理解する。「ぼく」は抱きしめられ、自分の価値を知る。

現実には、なかなかこうはいかない。「だで」じゃなくて「られ」が正解だとか、「ま」が鏡文字になっているとか、「私は怒っているんじゃない、叱っているんだ」とか、「叱られるようなことをするからいけないのよ」とか、そんな反応しかないことが多いだろう。

こんな現実は、私たちが変えていくしかない。そして、それは不可能な挑戦ではないのだと思う。

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