趣味Web 小説 2009-10-23

人生記録のバックアップ

web書物が消えることが痛いのか
ショックを覚えるのは最初だけ。実は既存ログのレプリカというか複写は繰り返されているので、当然のように同じ文書がローカルに五つも六つもあるとかざら。さらには何故にそんなに増えていくのかと言えば、改変の都度のバックアップであったり、無意味に似たものを作り直すときに吐き出された物なのです。生のテキストに関してはもっと酷く「なんじゃこりゃあ!」という変なチップスまで大量に保管。ざっとMB単位にもふくらんでいて「把握」もしていません。ディスクを消しても、パソコンを変えてもすぐにふくらむなら、そりゃ、何度消しても同じ事なわけです。ディスク保管でもフロッピーという代物でも足りず、一体どれほどの書き込みを増やせば気が済むのだろうと思います。

私はウェブサイトの下書きファイルとメール以外に私的な文章を書いていません。書けないから。

だから、これだけは消えないようにしよう、と。ワープロ時代の文章をほとんど失ってしまった苦い思い出があるんですよ。

私は大学4年までどうしてもパソコンに慣れなくて、大学入学時に買ったCASIOのDARWINというワープロを気に入って、あれやこれやの文章をみんなワープロに入力していたんです。ところが、理由はよくわかりませんけれども、このワープロで保存したフロッピーディスクが、続々と読込不良になっていったのです。

衝撃を受けましたね。繰り返し試行すると反応してくれることもあったから、とりあえずバックアップの数を増やしたりして。でも焼け石に水。FDが2枚ともやられたら、はいそれまでよ。

その後、生き残った一部の文章はリッチテキストコンバーターを使ってパソコンでテキストファイルにしましたが、ほとんどの文章が失われました。印刷しかものだけ残された文章もあったのですが、数年後に「発見」したときにはもう感熱紙が劣化して読めなくなっていたりして。

いま下書きファイルはPCとSDカードとオンラインの3箇所に保存されていて、1日数回、同期をとるようになってます。そして月に1回、自動でバックアップをとってます。何らかの理由で最新版が連鎖的に壊れても、月イチ版は残る、と。家が火事になってもサーバーが壊れても大丈夫。

自分でも偏執的な感じはしますが、写真嫌いということもあって、他にあまり自分が今日まで生きてた証拠みたいなものがないんですよね。記憶もすぐになくしちゃうし。ここでは覚えてることだけ書いてるから、そういう風には見えないでしょうけど。

私のファイル管理は、3箇所に同じファイルを持つという点で一定の冗長性があるけれど、肝心の「頭」にあまり内容が残っていない。それに、システマティックだから、連鎖的な破壊がありうる。ワープロのときは、印刷物というイレギュラーがありました。

あ、印刷物で思い出した。年賀状だけは例外か。自分のところには何も残っていないから実感がないけれど、私的なライフログとしては、いちばん冗長性がありそう。

私が読んだ本などをサイトで公開するようになったのは、この件がきっかけ。最初は別に消えてもいいつもりだったけど、実際に消えたらショックだったので、バックアップの連鎖に組み込んだわけ。

いま読書記録をつけるためのウェブサービスがたくさんあるけれど、あんなもの、20年も30年も続くのは一つか二つあるかないか。今の読書記録を本当に懐かしく思うのはそれくらい未来なんだから、データを他人に預けて安心していられるか、と。

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