memo:私の空想するリフレ政策(2009-11-11)と重なる内容だけれども。
リフレを訴える勝間和代さんに会って、デフレ宣言を出して、90兆円規模の予算見通しと30兆円台の税収予想を発信して、そのうえ金融政策の効果を小さいと見積もる審議委員人事案を提示したとなると、残る手は政府紙幣くらいではないか。
来年度の日本経済の需要不足は80兆円近いと予想されている。国債の償還は乗数効果が1を割り込む(償還されたお金が消費に回らない)そうだから、100兆円くらい国債を償還してはどうか。借款債を全て政府紙幣で償還するとか。日銀を経由すれば市場に政府紙幣が直接出回ることはなく、混乱もないだろうし。
国債価格は落ち着いているけれども、国債を(直接)買っているのは庶民じゃない。それに国債の大半は10年以下に満期を迎えるタイプのもの。庶民だって、10年以内の財政破綻を予想している人はほとんどいない。ならば現時点で国債価格が安定していることは、庶民の不安を何ら反証しない。
年金制度について 読売新聞2004-07 世代 信頼していない 信頼している 20代 87.4% 3.4% 30代 83.7% 16.4% 40代 59.6% 20.1% 50代 73.4% 25.2% 60代 64.0% 35.0% 70代 45.8% 50.7%
ここで財政破綻とは、やたら税金が高く希望の乏しい未来を予想している。いま夕張の市債を買いたがる人なんてあまりいないように、「そうなった」ら日本国債の価格は下がる。現時点で30年債の価格は安定しているけれど、もし100年債があったとすれば、そろそろ価格が危ないかもしれない。
いずれ破綻するとわかっていれば、現在の価格に予想が織り込まれるはず……というのは行動経済学の実験でも否定されていたと思う。多くの国民が財政破綻を予想しているのは、人と話せばわかること。私と同世代で自分が年金を生活に十分な金額もらえると信じている人なんて、珍しいよ。
頭のいい人は英語でも勉強して海外に行けばいいかもしれないけど、自分たちにはそんなの無理だし……みたいな。ソマリアのような国の人々だって、一部のエリート以外は海外に脱出なんてできないわけで。
よそのコメント欄に書いた内容を採録。
ところで飯田さんは「貨幣発行益を国債の償還に使うことと、日銀が国債の買い切り額を増やすのは同じこと」とも主張されている。これも何となく納得してたんだけど、じつはいろいろよくわからないところがあります。先の無税国家の仕組みでは、どんどん国債の残高が積み上がる。返す気もないのに借金ばかり増えるのは気持ち悪い。じゃあ国債を引き受けた発券銀行が「債権放棄」したらどうなるのか。これが第二の疑問点。
日銀が国債を買う場合、その時点で既に日銀券は発行されているわけだから、「債権放棄」しても経済に影響を与えないような気がする。その一方で財政不安は解消される。何も悪いことがない? でもリフレ派の本でも「買い切り」までは書くけど、「債権放棄」はいわない。何故なのかな。金融引締めの際に売り物がなきゃ困る? でも半分くらいは「債権放棄」していいような……。
債権放棄の件は、今春、借換債が過去最大規模となったり、シンジケートが解散したりして、借り換え問題が地味ながら繰り返し報道されており、また成長率・長期金利論争が日銀保有分の国債についても問題視していたので、気になったものです。現時点では借り換えは緊急避難措置と認識している国民が多いような気がしますし、どんどん金額が膨らんでいくのも素朴に気持ち悪いです。せめて日銀保有分は金利を免除したらいいのに、と思います。
(中略)
「実質」金利という考え方が理解されず、ゼロ金利で金利生活が破壊された云々として(少なからぬ)国民が問題視し、量的緩和解除を「正常化」への第一歩として歓迎したりしているわけですよね。利払いはみな返ってくるので「実質」的な意味はないのはわかりますが、借換債の規模が見た目だけであれ膨らんでいくことは国民の不安と批判を呼び込むのではないかと。借換債そのものが「実質」的には問題視するべきでないとしても、その啓蒙は可能なのでしょうか。不安は冷静さを欠いた議論を呼び込みやすく、増税論議が進む状況にある今、それこそ緊急避難的に、国債残高の抑制策をとる必要もあるのではないかと思ったりするのです。
「借金はした人が返すべきだ」みたいな直感的正義があるわけで、だから老人の多い国会議員も自分が政治家をやっていられる間に財政均衡を実現したいと思うのでしょう。「政府を家計に例えたら」でいうなら、子孫にまでローンを支払わせるのは気が咎めると。逆に子孫の側も、基礎控除のおかげでタダで家が手に入るにせよ、家のローンは親の世代で完済してよね、と思ってる。
bewaad さんの試算は、財政の持続可能性をいっているけれど、庶民の直感は持続じゃなくて借金そのものを重視してる。だから「それで結局、いつになったら借金はなくなるの?」と思うわけですよ。「借金はあるけど大丈夫なんです」「嘘つくんじゃないわよ、これ私たちに返せっていうんでしょう!」「ですから、生活水準の低下とか増税とか一切ありませんから」「また騙す気ね!!!」云々。約一年前、当時は「向こう側」だった私が執拗に求めたのも、この不安に応えるシナリオだったわけです。
結局、リフレで増税なしに債務残高の対GDP比をピークアウトさせる試算では、約15年後にようやくピークアウト、残高が減っていくのはその先。国民の借金恐怖が持続不可能では? と少々疑問に。事実を語るには空虚な言葉であっても、時代の気分が現実の政治を動かすので、構造改革といいつつリフレする、みたいな詐術は必要悪でしょう。だから「敵」を「バーカバーカ」といって満足せず、その価値観、世界観を研究し、逆手に取る方法を見出さねばなりません。
人生80年である以上は、「40年以内に国債残高が一般国民が全く不安を感じないレベルまで低下するシナリオ」というのを提示しなきゃならん、と。私がいいたいのはそういうことです。でも現実には40年では(リフレ派のシナリオでは)時間が足りない。とすれば、何らかの詐術の需要がここにある、ということになります。
こういう意見には納得できない。PS3が値下げでようやく売れるようになったのを見れば、みな「お金さえあればほしいもの」はいろいろあるのは間違いない。ライフサイクル仮説や恒常所得仮説に抵触しない形で現在の収入が増えるなら、消費は増えるはず。
国債を発行して国がお金を配っても、将来の増税予想につながるから貯金に回る。だから所得の再分配を強化して消費に飽きているらしい金持ちから貯金ゼロの貧乏人へお金を移したり、(デフレが続く限りは)政府紙幣で国債残高をドンドン減らしていくのは、景気対策として有効な施策だと思う。