趣味Web 小説 2009-12-13

解釈の正誤より大切にしたいこと

1.

ymScott 普段バラエティ観ない人間がこれだけ読んで「やっぱりバラエティやお笑いは酷いから観ない」と言い放つほど日村にとって酷いことは無いと思う。「全員人を笑わせようと必死」というコアを抜いて読んじゃダメだろ。

y_arim これはid:ymScottが正しすぎる。芸人にとって一番辛いのは芸を見て笑ってもらえないことでしょうよ。

そういう話とも言い切れないと思う。そもそも、ブロゴスフィアの片隅でこんな話題が盛り上がったところで、関係者が読むわけでもなし、いや、読んだところで現在の状況がどう変わるわけでもない。

ymScottさんが「やっぱり」と書いている通り、所詮は予断を強化しているだけの話で、この記事があろうとなかろうと「バラエティやお笑いは酷いから観ない」という人は、これまで通り今後もそうなんでしょう。

より確からしい解釈というのはあるでしょうが、たとえ日村さんが「俺の真意は……」と語ったところで、それが本音であるとさえいえない(例えば今後の芸人人生に都合がいいように適当なことを話しているだけども考えられる)わけで、つまるところ、これはひとつの「話題」に過ぎないわけです。

だとすれば、「記事の読者の一人一人が、何を感じているか、自分は今後どうしたいのか、世界にどんな変化を求めているのか、ということこそが重要」という見方も成り立つと思う。このケースに関して、私は記事の解釈の正当性を一番に重視する立場には、与しません。

2.

「解釈を重視する」のもひとつの立場なので、それはそれでいいんです。ただ、解釈の間違ってる議論は無効、みたいな意見を散見するので、異論を述べているわけです。どうせ解釈が正しくても大した意味はないじゃないか、と。

ブロゴスフィアの風潮なんだろうけど、様々な話題を他人事として批評家的に論じて事足れりとする人が多いことに、私は違和感を覚えます。日村さんが、オークラさんが、ラジオが、テレビが、芸能界が、って、そんなこと、いくらいってもしょうがないじゃないか。

もっとも、大多数の人はラジオ番組の制作に関わることはないわけで、自分ならどうするか、といっても難しい面はあります。せいぜい1リスナーとしての立場表明をするくらいなのは仕方ない。

……それで何がいいたいのかという話なんだけど、誤解を恐れずに書けば、ある意味で日村さんの「本当の気持ち」はどうでもいい。自分が日村さんの立場なら「仕事と割り切ってもなお、つらく悲しいだろう」という見地から、「こんなバラエティー番組はよくない」と表明するのは「正しい」といいたいわけ。

そうだそうだ、という人が増えていけば、自然と番組の作り方は変わっていくだろうし、そうなれば「ふつうの感覚の人」が芸人になれるようにもなっていく。「私はこう思う」という表明には、そういう力があるのです。

3.

もし私にできる恩返しがあるとすれば(2009-11-02)という記事を書いたとき、後で他の人が同じ話題に触れた文章をたくさん読んでみたのですが、「私はこうしたい」と書いている人は少なかったですね。

考えてみると、世間話などでも、他人を論評するばかりで、「じゃあ、あなたはどうなんですか」という疑問に応えてくれる人はほとんどいない。もちろん、みなそれぞれ領分がある。ではどうして、他人を論評できるのだろう。それは、話の枠組みは自分の理解の範囲内だからでしょう。

ならば、と思うんです。ラジオ番組の作り方といった枠組みでは、たしかに自分のこととして語るのは無理でしょう。しかし問題の構図を自分の仕事に置き換えて考えてみてほしい。もちろん個別の事情はあるでしょう。それでも、完全に他人事だと認識していたときとは、見え方が違ってくると思う。

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