趣味Web 小説 2010-01-21

memo:上念司『デフレと円高の何が「悪」か』の感想

デフレと円高の何が「悪」か (光文社新書)

上念司さんの『デフレと円高の何が「悪」か』を読んでみました。

1.

うーん……リフレ派の身内ウケ系の本かな、これは。素人向けだから極力わかりやすく、という意図は理解するけれども、論敵を「トンデモ」「非常識」「愚か」と表現し、判断基準を示さず「極端」「極めて」「非常に」という。軽妙に書かれ調子よく読めますが、手放しでは褒めにくい。

あと、明らかにマズイ記述も。ジャンケンでも、10億回ぐらいやれば、たぶん10連勝できる時もあるでしょう。というのですが、1対1なら約1/6万の確率で10連勝できます。

あるいは、デフレ脱却の過程では、名目金利が3~4年程度安定しているということは、昭和恐慌とその脱却のプロセスからも歴史的に証明されています。といった記述。昭和恐慌は強力な傍証ですが、「証明」は言い過ぎ。

2.

言葉の選択の問題にとどまらないのが、「国民が本当に返済しなければならない国の借金は総負債の30分の1」という議論。総負債から国の資産を全て差し引き、続いて国民同士の貸し借りを相殺すると、たしかに1/30になるのですが……。

まず、財政が破綻しても国の資産を全て債務の返済に充てることはありえない。国家の清算は非現実的で、行政に必要な最小限の資産は残さざるを得ない。

そして、国内の貸し借りなんだから相殺可能というのはマクロの話。国債を(直接・間接に)保有しているのは資産家。資産の偏在は租税負担の偏りより極端なため、パッと国債を完済すれば貧乏人から金持ちへの所得移転になるし、逆に債権放棄すれば資産家イジメになります。

ひとつの整理としてはよいのですが、この議論から財政赤字のほとんどは返さなくていいお金でしたと結論するのは、おかしい。私も財政危機論者には与しないけれど、大勢の専門家が財政の危機的な状況を憂えていることには、それなりの理由があるのです。

3.

著者は給料が変わらず物価だけ上がるようなことにはならないといいますが、可能性は否定し難い。そもそもデフレを脱却することで雇用が回復する最初の要因は「実質賃金が下がるから」です。その後、需要が経済成長を牽引し、人手不足になって、ようやく賃金が上がります。賃金の上昇が実現する前に次の不景気にもなりかねない。

デフレの脱却は、深く狭いデフレの痛みを、薄く広いインフレの痛みへ転換する作業。世論の支持を集め難い政策です。でもそれが全ての出発点で、デフレのままでは力強い経済成長はありえないと私は思うから、諸般のリスクは承知で、もっと早く確実にデフレを脱却できるような金融政策を待望しているのです。

著者には、デフレの害と大胆な金融緩和の利益を説くと同時に、様々なリスク要因と、専門家の間でも意見が分かれている部分も、ていねいに解説してほしかった。そうでなくては、一時的に増えた賛同者も、その多くが先入観に親和的な意見に切り崩されてしまう。もっと強靭な議論が必要だと思う。

追記:

http://ow.ly/ZblA この人に一応反論しておきます。 1.昭和恐慌脱却時に名目金利が急騰したデータを示して下さい。 2.財政危機とデフレ不況の関係はスルーですか? 3.デフレの痛みはスルーですか? 検索でヒットするので為念です

1.昭和恐慌の際、高橋財政が成功したことに異論はありません。しかし「似た事例」で同じ結果になる保証はないので、安達誠司さんの著書では慎重な言葉遣いになっています。「歴史に学ぶと、名目金利が急騰する可能性は低いと考えられる」という穏当な表現の方が、真に多くの人を説得できると思うのです。

2.財政危機論が財政支出の足を引っ張り、また早すぎる減税措置の終了や、財政再建を目的とした増税が景気の腰を折ってきたことを批判的に捉えている点で、私と上念さんに意見の相違はないでしょう。しかし財政危機論を否定するために、非現実的な仮定をおいた議論に踏み込むのは、賛成できません。財政危機派の前提に可能な限り歩み寄った上で、それでもなお「増税は不要」と主張する方が強い。

3.「失業率が50%に達するまでデフレ親和的な世論は動かない」というエコノミストの言葉があったかと思いますが、デフレの痛みは失業者に集中します。逆にインフレは薄く広く痛みを分散します。私はインフレの方がずっといいと思いますが、ともかくデフレ脱却=生活改善ではない事実をきちんと説明しなければ、短期的には生活が苦しくなる人々は「騙された」と思いかねない。

つまり私が申し上げたいのは、リスクも短期的な痛みも承知した上でのリフレ支持でなければ、「私も失業してしまうかも……」という恐怖が和らいだ段階で、みなさっさと元のスタンスへ戻ってしまうに違いない、ということです。論敵を罵倒せず、リスク要因も明示しつつ、データからリフレ政策の勝算を説く……そんな(安達誠司さんのような)書き方が必要だと思う。

デフレは終わるのか 円の足枷―日本経済「完全復活」への道筋 恐慌脱出―危機克服は歴史に学べ

私は「ハイパーインフレ」とか「国家破産」とかいったものを無批判に信じてしまう人たちをとりあえず正しい方向に向かせたいと思って書きました。トンデモを論破するにはある程度レトリックが必要です。

参加者がそれぞれに工夫を凝らし、いろいろな方法論を試すのが自由経済のいいところです。私の感想はどうあれ、現に多くの方が『インフレと円高の何が「悪」か』を絶賛されています。ズレているのは私の感覚であって、上念さんの採用した解説スタイルこそ、大勢の心を動かすのに最適なものなのかもしれません。デフレは今すぐ終ってほしいので、そうであってほしいですね。

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