趣味Web 小説 2010-03-03

memo:経済雑感 #2700

1.

「年率2%の経済成長=主観的な生活水準は横ばい」仮説(2010-02-28)に関して。

今から 40 年前に発売された KPGC10 (箱スカ GT-R )は、およそ 150 万円でした。

5.
その150万円の車は、市場で全く競争力を持たない。なぜなら、現代の衝突安全性の基準を満たしておらず、燃費が悪く、乗り心地もよくない。減税も補助金も、当然、ない。これらの欠点は、30万円の価格差では正当化できない。とくに安全基準の問題は致命的だ。「安全」の向上は不可逆な「質」の変化である。

確かに、なぜなら 以下は KPGC10 にも当て嵌まる。 今、シートベルトの無い自動車に乗った事のある人は少ないのではないか。 着用が法制化されたのは比較的最近ですが、シートベルトじたいは随分前から附いて居ました。 それ以前の車です。 また、スポーツ走行を目的として居るので、足回りは硬い。 つまり、乗り心地なんぞは ほとんど考慮されて居ません。 そんな KPGC10 ですが、市場で全く競争力を持たないかというと、決してそうではない。 発売時を上回る価格で取引されて居ます。 何度か書いたけれど、S20 というエンジンに価値がある。 もう少し正確に言えば、このエンジンを設計した櫻井眞一郎さんの考え方(思想)に価値があります。

いや……それは私の書いていることとは違う話だと思います。だって、KPGC10を新規に生産しても商売にはなりませんよね? 輸送機械は大量生産をベースに非常に安い価格を実現している商品なので、100台、1000台という数で作ったら、とんでもない値段になってしまいます。

定価1500円の本が古書になってプレミアが付いて数倍の価格になっていることはよくありますが、増刷して利益が出るかというと、残念ながらそうはならないことが多い。印刷の版下が揃っていればまだいいけれど、それがもうなくなっている場合、100冊くらい増刷したのではプレミア価格よりも高くなってしまう。

ニッチな中古市場もちゃんと雇用を生み出しているわけですが、規模としては小さい。全体の傾向を云々する際に持ち出す話ではないと思います。

人命を守るのは先づドライバー(人間)であって、自動車の機械的な安全性ではない。 当たり前だと思うのですが、これが分からないとしたら何うかして居ます。

と言うと、安全基準を無くすべきだ、みたいに読む人が居るので困る。

新規に生産される輸送機械は、厳しくなる一方の安全基準に従っていくしかない。「なぜ中古なら基準未達の商品が売られていいのか?」という疑問はありますが、少なくとも日本では多数意見によって、現状のようになっている。新規に生産される商品は、現代の安全基準を満たさねばならない。

個人的には、「中古ならいい」というなら、基準を満たさない商品も、その事実を客に伝えることだけを義務化して、製造・販売は許可すればいいのに、と思います。そうならないのは、貧しい人が安全性より価格を優先して危険な自動車を買うのは認められない、「安全」という「質」の向上は不可逆でなければならぬ、という発想があるからでしょう。

安全基準を厳しくするだけで人命が守られると思って居る人はいないでしょう。でも、2005年のマンション・ホテルの耐震偽装事件では、新基準の施行前に建てられた基準未満の建造物は中古市場で取引され続けているのに、新規物件の基準未達は絶対に認められない、壊して建て直せ、という反応でした。散発的に発覚する「健康に影響のない水準の食品衛生法違反」への反応も、似た感じです。

なるほど、安全と健康について、日本の世論は「そう考える」のか、と。

2.

ところで、世の中には「質」が下がっても「価格」の方を優先したい、という方向に流れていくものも少なからずあります。電話の安定性は、そのひとつ。携帯電話の交換機は、かつての固定電話の交換機とは比較にならない脆弱さです。

NTTの固定電話用の交換機は非常に堅牢だったので、その製造メーカーの商品は、自衛艦の設備など軍事用途にも、多少のカスタマイズをして流用されていきました。地震が発生しても電話がつながるように、という設計だから、甲板にドカーンと着弾して大揺れに揺れても止まらない電源として重宝されたのです。

しかし趨勢としては、「質」は「上がって当然」とみなされがちではないか。毎年、少しずつ「質」は向上しているのに、それは「当たり前」として評価されず、なかなか「量」の豊かさが向上しないことに人々は苛立つ。「日本は低成長でいい」という言説がまかり通るのは、そろそろ勘弁してほしいな、と。

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