「年率2%の経済成長=主観的な生活水準は横ばい」仮説(2010-02-28)に関して。
何が書いてあるのかよく分からない。高度成長でも苦しくなったと感じるなら2%超どころじゃ全然ダメじゃん。新製品の値段が下がらないってのもよく分からん。同じ価格で質が向上してるなら、値段下がってるでしょ。
まず、高度成長期にも産業構造の変化はあって、衰退産業に従事する人と、その家族は生活が苦しくなるのは当たり前の話。とはいえ、高度成長期に1割超の人が「生活水準の低下」を感じていたという事実、さらには6割近い人が「生活水準は横ばい」と感じていた事実は、かなり重い。
たしかに仰る通り、2%超どころでは人々を幸福にするには足りないように思うけれども、「デフレさえ解消すれば実現は堅い」といえそうなのは年平均2%の実質成長まで。それ以上は、挑戦の領域。
それに80年代は、実質2%ちょいちょいの成長で「生活水準の低下」を感じる人が減少傾向にありました。定常志向による目線の低下と2%+アルファの実質成長が均衡しつつあった……のではないか。2%成長が「質」で全て使われるのだから、「新しいもの」を選ぶためには何かを我慢しなくてはならないのだけれど、それは「生活の組み替え」であって、「生活水準の低下」ではない。とすれば、定常志向なら、不満はないはず。
この話題の発端であるWATERMANさんの疑問は、「日本は経済成長しているはずなのにどうして何かを選ぶのに、別の何かを我慢しなくてはならないのか」というものだと認識しています。おそらく人は、「質」より「量」の増進に反応しやすいのでしょう。しかしそれはそれとして、WATERMANさんはともかく、多くの人々は「生活水準が横ばい」と実感できるなら、概ね満足ではないかと。
だから、まずは2%超を目指せばいいと私は思うのです。
新製品の値段が下がらないといっているのは、「質」はそのままでいいから、とにかく値段を下げろ、というケースをいっているわけ。「あなたの収入が実質1.5倍になりました」というとき、月給で買える物の「量」は1.5倍に満たないわけです。しかし「質」の向上を考慮すると1.5倍になった、と。
私の記事は、WATERMANさんの疑問に答えようとするものです。その点に注意して読み直していただければ、そんなにわかりにくい話ではないと思う。
端的には、WATERMANさんは「質」の向上のボリュームを見誤っている、といいたいわけです。年率2%、20年で実質1.5倍の経済成長、と聞くと、「量」が1.5倍になることを想像しがち。ところが現実には、年率2%程度の経済成長は、人々が意識しない「質」の向上に吸収されてしまう。だから、「新しいもの」を買う、つまり「量」を増やす余裕なんてありはしない。
80年代までは、実質2%+アルファの成長をしていたので、+アルファの分だけ、他の何かを我慢せずに「量」を増やす=新しいものを買うことができたのでしょうね、と。そういう話です。