趣味Web 小説 2010-09-08

「嫌だ」と声を上げること

他人の善意に頼る「ゾーニング」はまったくの無意味です。

そうでしょうか。私がこの記事で「実例」をリンクしないのは、「善意」ゆえです。何の意思表示もなければリンクしていてもおかしくない。具体的な罰則がなければ、物理的にブロックできなければ、意味がない、と私は考えません。

もしそれを無意味だというなら、えっけんさんの批判だって無意味ではないですか。いくら批判したって、検索避けを布教する自由はいささかも脅かされないのです。えっけんさんが「意味がある」と思う程度には、検索避けというマナーを布教する言説にも意味はあります。

言葉の力、文化的な戦いによって、問題の発生確率を許容できる水準まで減らすことは可能です。確率をゼロにするだけが「意味」じゃないし、認証制にしたって仮面を被った敵が入り込む可能性はゼロになんかなりません。「嫌だ」と声を上げるのは大切なことだと思う。

ソーシャルブックマーク問題もそうだし、今年だと「勝手にToggeterにまとめられたくない」問題もそう。

昔からいっていることだけれども、リンク(など)の究極的な自由と、「嫌だ」という意思表示は矛盾しません。どうして「嫌だ」というのか、(すぐには)理解できなくたっていいよ。現にいま「嫌だ」といっている人がそこにいる。それ自体、意味のあることじゃないか。

「嫌だ」という気持ちを踏みにじっても罰はない。たいていの自由なんてのは「やっても法的に罪ではない」だけ。自由を行使する者が、それによって傷つく人の気持ちを斟酌しないでよいはずがない。ときに「それでもやらねばならぬ」こともあるでしょう。それは仕方ない。しかし、信念を押し立てて他人の気持ちを害することを「気にしない」なら、いずれ自由は憎しみによって制限されることになると思う。

どちらの意見が正しかろうと、いま相手が納得していないという現実を、無視すべきでない。

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