連帯保証人制度とは、貸し手のリスクの一部を保証人に転嫁して、融資の利率を低減する仕組みだ。貸し手はリスクが減った分だけ利率を低減しているので、損得ゼロ。連帯保証人制度によって得をするのは、タダで保証人を頼み、低利で融資を受けることができた借り手である。
「銀行は保証人にリスクを丸投げして暴利を貪っている」と考えるのは間違いだ。かつて一時的にボロ儲けをした銀行があったとしても、そのような状態は長くは続かない。借り手は、より低利で融資をしてくれる銀行を求めている。市場が機能している限り、いずれ必ずライバル銀行が顧客を奪う。競争を嫌ってカルテルを結べば公正取引委員会の指導が入るし、外部から新規参入した銀行や外資系の銀行は業界の不文律に頓着しない。自由化の進んだ現在の銀行業界においてもなお、濡れ手で粟の大儲けを続けられる理由はない。
ところで、銀行の融資担当者が「連帯保証人なしでは融資できない」と宣告することは、実際にあるそうだ。それはなぜか。私が思いつく理由は3つ。
茂木さんは「貸し手がリスクを取れ」というのだけれど、実際のところ、連帯保証人制度を廃止すれば、「起業のハードルが上がる」「家賃が高くなる」といった、借り手側不利によってバランスする。連帯保証人によって利益を得ているのは、借り手側からだ。現在の保証人制度の最大の不合理は、じつは多くの人が無償で保証人を引き受けていることにある。
賃貸住宅についても同じこと。連帯保証人制度がなくなれば、家賃は上がる。あるいは、家賃保証会社との契約が必須になる。保証人がタダで背負っていたリスクが、有償の保険に置き換わるわけだ。従来、得をしていたのは借り手側なので、負担が上昇するのは借り手側である。
経済の自由を安直に縛れば、その弊害もまた大きい。連帯保証人制度を禁止すれば、2.iに示した低収益高リスク事業の即死を招く。高リスクといっても破綻確率は1割に満たないのだ(そうでなければ保証人がいたって法定金利で融資するのは不可能)。これらにまとめて死刑宣告をくだす正義など、私には認め難い。
やるべきは連帯保証人制度そのものをなくすことではなく、「連帯保証人必須」の解消を後押しし、サービスの消費者に選択の自由を与えることだ。「保証人がいれば低利率で融資、いなければ高利率」「保証人がいれば家賃保証会社との契約は不要、いなければ必須(実質的に家賃値上げ)」というように。
今はまだ「保証人必須」としても商売が成り立ってしまう。だが、人の縁が薄くなる流れは止まりそうになく、保証人を見つけられない人は増え続ける。いくら家賃を下げても「保証人必須」である限り借り手が見つからない、「連帯保証人が絶対に必要だというなら、少し金利は高いけど他の銀行に融資をお願いすることにします。さようなら」という顧客が激増する、そういう日が必ずやってくる。ならば、「現在の商売のやり方を変えるコスト」を政府が少し補助して、変化を促進するのは有意義だと思う。