趣味Web 小説 2011-04-22

なくならない「不合理な悪事」

1.

なぜ辞表を提出できないのかがわからない。わからないが、わかる。

私は運動会が嫌いだった。自殺予告などをして運動会を中止に追い込むことに成功したニュースを目にするたび、誤解を恐れずに書けば、犯人に憧れた。すごいな、と思った。後先のこととか、広く世間に与える影響などを考えれば不合理なアイデアも、個人の空想・妄想・煩悶の中では魅力的に見える瞬間が、ある。

運動会をサボりたい、と周囲に訴えれば、必ず説得やらお説教やらをされるだろう。想像するだにうんざりする。ふと、まだ体験したことのない大きな破滅を空想の世界に閉じ込めておくことより、何度も実際に体験してリアルに想起できることを回避する方が、優先順位が高くなってしまう人がいても、おかしくない。

私が***を盗んだのも、後から考えてみれば、ようするにそういうことだった。なぜ明々白々な不合理を選択するのかは、当人にすらわからない。私は自分の破滅を完全に予見していた。それでいて、自分を止めることができなかったのだ。大人だって同じだろう。

2.

「辞表を提出しにくい雰囲気があるのが悪い」という一部の感想について。

何万人もの自衛官を被災地に派遣するとなれば、数人くらいはリンク先にあるような事件を起こす人がいても、おかしくない。私が「***を買いたいので小遣いを増やしてください」と相談することに困難はなかった。全ての人が常に合理的な判断をするわけではないのだから、何をどうしたって、事件はゼロにはならなかったと思う。

1件でもこんなことが起きていいわけはない。が、こうした事件をゼロにするために、無限大のリソースを割くこともできない。周囲の人が何をどうすれば私が***を盗まずにすんだのか、と私は何度か考えてみたが、いつも結論は「何をどうしたって無理だったんじゃないか?」だった。例えば、両親がエスパーのように私のほしいものを見抜いて***を買い与えていたら……私はまた別のものを盗んでいたんじゃないか、という気がしてならない。「辞表を提出せずに仕事から逃げるため、犯罪を行って警察に逮捕される」なんて不合理な道を選ぶ人を救うのは、並大抵のことではない。

「辞表を提出しにくい雰囲気があるのが悪い」とか、「旧軍の頃から兵士の心のケアがないがしろにされている」といった批判に一定の妥当性はあるのだろうが、それが原因だといえるほどの根拠は、私には見出せなかった。前述の通り、私は、こうした事件を根絶できるとは考えていない。事件発生率の高低の比較をすべきで、1件でもあったらアウトといったら、現実的な範囲内に「答え」は存在しないと思う。

ところで、「敵前逃亡は軍法会議にかけるべき」といった類の感想も僅かに見られた。個人的には、第二次大戦の経験から「敵前逃亡への寛容さは軍の強さと関係ないことがわかった」と認識している。だとすれば、無益な血を流すことなく、敵前逃亡には寛容な態度で臨む方が、理に適っていると考える。

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