加野瀬さんの言及に対して私が補足説明をしても、たいていスルーされてきた(と私は思っている)から、今回も加野瀬さんの反応はスルーかな。
もし何かあるとしたら、例えば、私の過去の発言を引っ張ってきて、「まず自分の言動を見直したら?」というパターンか。実際、私は自分の理想を実現できてはいないし、脛に傷はたくさんある。ただ……開き直りと受け止められることを承知でいうのだが、「自分が完璧になるまで、理想を掲げて、よりひどい他者を批判してはいけない」なんてことはないと思うよ。カッコいいとか悪いとかなんてことより、大切なことってあるよ。
ただ、私の場合、いくつかの点について、過去に全く逆の主張もしている。そのことについては、「考えが変わりました」と先に書いておく。とくに2004年から2005年にかけて、私は、いろいろな点について主張を改めた。その後、現在に至るまでの間にも、私の考えは少しずつ変化してきている。
私は加野瀬さんが岩崎さんを「ハックルさん」と呼ぶ程度のことを法律で禁止すべきとは思っていない。でも、合法だから完全に自由だとも思っていない。そこは自制すべき領域じゃないか、と。
私の中では、無断リンクとかと近い扱い。無断リンクはしていい。究極的には、そう。だけど、それを嫌がる人の気持ちにも、可能な範囲で最大限の配慮をすべきだと考えている。相手が嫌がったとしても、それでもリンクする意義があると確信できるときだけ、リンクしないでほしいといっている記事にリンクすべき。
無断リンクを嫌がるのはおかしい。おかしい人の言い分には耳を貸さない。無視する。……そういう乱暴な意見には与しない。どんな勘違いがあるにせよ、現にリンクをつらいと感じている人がそこにいるわけであって、その痛みに何の配慮もしない、考えない、それでいい、というのは強者の論理だ。
「ハックルさん」という字面に悪意はないが、あるコミュニティにおける使われ方を見れば、彼らが「岩崎さん」と呼ばず「ハックルさん」という理由は、透けて見える。「ひろみちゅ」だってそうじゃないか。誰がそんな呼び方をはじめたんだ。私はリアルで高木さんに「ひろみちゅ」と呼びかけている人を見かけたことがない。ネットでは「愛称」として通用しているかのように装っているが、やっぱりみんな失礼な呼称だと思っているんじゃないのか。
そういうことを、安直にやるべきでない。どうしても「ハックルさん」と呼ばねばならない理由、あるいは、そう呼ぶことの社会的効用が、礼を失する悪を上回っていると確信できるときだけ、そういう言葉遣いをすべき。
REV あまり蔑称は使わない方針だけど、「国家社会主義ドイツ労働者党」は蔑称で呼ぶことが多い。 / あと、頻用されている通称が、内部の人には好まれていない場合があり、どっちを優先すべきかちょっと困る。
通称の「ナチ(独: Nazi (ナーツィ))」は Nationalsozialist の初め2音節を同音異字につづり変えた物で、当時の対抗勢力がナチ党員および国家社会主義者に付けた蔑称(中略)。また「ナチス(Nazis (ナーツィス))」はその2格(属格)および複数形であり、集合的にナチ党の意味でも用いる。(中略)したがって、映画などでナチ党員が「ナチス」と言うのは本来は誤りであり、自分たちにナチおよびナチスという呼称を用いる事は無かった。自称としては党名のイニシャルを略して NSDAP (エンエスデーアーペー) 或いは NS (エンエス) と呼んでいた。
知らなかった……。今後は、何のメリットもないのに「ナチス」と書くのは、控えることにしたい。例えば、NSと深い関わりのあった方の子孫とわかっている人と会う機会があったとき、何の意味もなくナチスという言い方をしないことにしようと思う。ブログの文章ではどうしようか……。「NS(いわゆるナチス党)」とでも書こうか。字数制約が厳しいTwitterでは、たぶん「ナチス」を使い続けると思う。
ちなみに、ネオナチはドイツ語でもNeonazismusなのだそうだ。でも、ネオナチの人々が、Neonazismusを自称しているのかどうかは、ちょっと調べただけでは、わからなかった。実際のところ、どうなのだろう。
あと、頻用されている通称が、内部の人には好まれていない場合
として私が思い当たるのは、「イギリス」「イギリス人」かな。「イギリス」は蔑称ではないが、スコットランドや北アイルランドから来た方がいい顔をしないことは、経験的にも理解している。小学生の頃、英語の授業の補助で教室にやってきたスコットランド出身の方が、「イギリス人」は日本語だから我慢できるが、そういわれるのは嬉しくない、「English」といわれるのは耐え難い、と力説されていた。が、私はそれ以降も、「イギリス」「イギリス人」を使い続けている。「UK(いわゆるイギリス)」と書いてもいいはずなのだけれど、過去ログを検索してみたところ、私は一度もそうした書き方をしていない。
ekken 「ハックルさん」は、彼が「岩崎夏海」であることを告白する以前に付けられた「愛称」であると認識している。「ハックルさん」自体は蔑称だとは思わないけど、言及内容が過度に馬鹿にした物言いであることが多い
経緯はどうあれ、現在の「ハックルさん」使用者の偏り具合を見れば、いま「ハックルさん」という呼称が持つ意味合いは透けて見えます。
また、岩崎さんのはてなIDは「aureliano」なので、本名不詳、ハンドルネーム不詳なら、「aurelianoさん」と呼ぶのがふつうではないかと。そうせずに「ハックルさん」を選ぶ人は、その時点で既にネットWatch感覚に片足を突っ込んでいるように見えます。finalventさんを「終風爺」「爺」などと呼ぶ人などもそうですが、勝手に徒名をつけて呼ぶ行為全般に、私は同じ空気を感じます。