10 記念講演 |
英語における仮定法は、ドイツ語の接続法、フランス語の条件法にあたるものです。この三者には形式上の共通点があります。V(動詞)が過去形になり、しかも歪みます。
映画やマンガで、画面にもやがかかったり、情景が波枠に囲まれたりすると、それは「妄想(仮定)」のシーンと分かります。全く同じ手法で表現されるのが「回想」シーン。妄想と回想が何故同じになるのでしょうか?
実は『非現実』という点で両者は同じなのです。記憶は個人の脳髄の中に存在するので、勝手な解釈が無制限に許されます。だから回想は妄想なのです。
ここまでの話から、仮定法・接続法・条件法の文法が理解できます。「過去を歪める=妄想」という考え方から「もしも〜だったら」の意味が生じてくるのです。
仮定法でwould,should,couldが多く使われるのと同様に、接続法ではä,ë,öいわゆるウムラウト(変音)がたくさん聞こえてきます。単語ではなく音で非現実を表現したドイツ語は、ロマン派の作曲家シューマンを天才にしました。
(わけがわからない? でも、もう少し我慢)
シューマンは歌曲を多く残しました。
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旅人が冬の雪山を故郷へと歩いている。疲れ果てた体で山小屋に辿り着き、故郷の夢を見ながら一晩眠る。
曲は、ここで転調します。音階はメジャーになり、主題が発展して繰り返され、詩にはウムラウトが多用されます。
やがて旅人は、再び雪山を歩き出す。故郷への思いを胸に、現実に帰ってゆく。
音階はマイナーに戻り、詩のウムラウトも消えてゆく……。
* * *
シューマンでは、詩の内容、曲の転調、ドイツ語文法、全てが音楽の中で統一され、完璧な論理芸術が完成されているのです。
自然は漸く復権してきましたが、今も日本人の価値観に抜け落ちているのが古典文化。英米のエリートは今でもシェイクスピアを諳記している者が少なくないのに、日本のエリートの誰が古典を諳記しているでしょうか。日本の将来への指針が外国への追従の域を出ないのは、独自の文化を棄てて外国文化を羨むばかりだからではないでしょうか。
サミットやG7の会場で空き時間に、各国代はどんな雑談をしているのでしょうか。じつは文化の話なのです。毎回それに加われない国が一つだけあります。それが、日本なのです。
欧米には、人間が獣と違うのは文化を解するどうかだという考えがあります。なるほど、美術も音楽も小説も分からぬ日本人は、経済人economic man ならぬ economic animal(経済獣)だといわれても仕方ありません。
日本人は欧米志向でありながら、シューマンを理解しません。表層に目を奪われ歴史を見ないのです。歴史を棄てた者には、他者の歴史の大切さが分からないのでしょうか。
日本人は伝統を放棄し、随分と単純な文化観を形成してしまいました。非常に優秀で「人命を救いたい」と願う者は、必ず医学へ進んでしまう。医者だけではメス一つ作れないのに。
文化(そしてそれに含まれる学問)は、実は人生のあらゆる方向に間口が開かれています。何を勉強しても、あらゆる人生に応用できます。文化とは、そう、懐の深いものなんですね。
参考:大島保彦先生の講演(98年4月)が基調となっています
文献:大島先生の新著「本当の勉強力」講談社現代新書に関連する文章があります
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9 大根 |
ところで、日本でも年中取れる野菜といえば大根。
いよいよ夏ということで、だんだんピリリと辛くなってまいりました。
そこで、何となくお薦めの料理をひとつ。
1.油揚げをだしに使うか何かで油抜きして、さっぱり感を演出します。
2.油揚げをフライパンで焼いて、表面を少しパリっとさせます。
3.大根おろしと醤油をかけて、お召し上がりください。
うまくすると、これがけっこう美味しいです。
かいわれ大根を添えてもいいですが、大根おろしの方が無難な味かも。
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8 南瓜(かぼちゃ) |
今は季節に関係なく南瓜を食べられるわけですが、祖父母が農家なので、ちょっと複雑な気分です。本当は秋の野菜ですよね。へちまとかと一緒で、夏に花が咲いて……。
南瓜というと冬至に食べるというイメージがありますが、祖父母の時代には、冬至に南瓜を食べるために、何個もとっておいたそうです。
でも大方は冬至前にいたんでしまって、早く食べざるを得ません。冬至に南瓜を食べられるというのは、結果的に豊作のお祝いだったそうです。長持ちするいい南瓜が、飢えて食べ尽くさないだけ取れた、という意味で。
……と書いていたら、テレビで「南瓜は夏野菜」との紹介が。おかしいなと思って調べたら、今は南瓜の苗を農協で速く大きく育てるので、出荷時期が早まるのだとか。四国や九州ではそろそろ温室南瓜の出荷が忙しくなる頃のようです。それでも千葉県では、まだ南瓜は花すら咲かせていません。
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7 下書きの道具 |
大学1年生の時点で比較すると、文系学生の方がパソコン保有率が高いことが見て取れます。(うちの大学だけですか?)
必修科目:情報処理の授業でサイト建設の課題がありますが、これはもう誰が見たって文系学生の圧勝です。ふだんからレポートをパソコンで書いているだけのことはあります。
私は理系学生です。いまだによく目にするのは、ルーズリーフに消え入りそうな薄さのシャーペン文字、というレポート。ルーズリーフだから、先生がトントンとレポートを揃えるときに、リング穴が微妙に角に引っかかります。
私は大学1年の春に、いらいらした教官が「ワープロで書いたレポートしか受け付けないぞ」と冗談をとばしたのを契機にワープロの導入を決めました。(ちなみにお金をためてパソコンを買ったのは割と新しい話です)
とはいえ理系ですから、ワープロを導入しても使いようのないタイプのレポートがほとんどです。数学、物理、化学いずれもアウト。積分記号も出力できないでどうするのでしょうか。
それでもワープロは慣れれば便利です。下書きの道具としては最高ですよね。何回でも構成のやり直し、文章の部分削除、一節の挿入ができるのはワープロならでは。手書きだと大変です。ただ、文章をじっくり推敲できる点が逆に、手紙に向かないかもしれません。
しかしパソコンもワープロも生活必需品ではなくて、普通の大学生なら卒業研究まではなくても困らないようです。むしろワープロで推敲を繰り返していると文章が短くなってしまうので、手書きの方が長さ指定のレポートでは有利だとおっしゃった先輩もおりました。まあ、それは人によりけりでしょうけれども。
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6 新本格ファン |
旧聞ですが「ミステリー豚カツ説」論争をご存じですか? 小説が肉でトリックや謎が衣だ、と言ったミステリー評論家筋と、トリックや謎が肉で小説部分が衣だ、とした新本格ファンの論争です。ここには新本格の危機が見え隠れしています。(新本格とはミステリーの1ジャンルです)
新本格のコアなファン層≒コミケの客層という分析があり、実際に新本格コミケ本は無数に存在します。ノベルスのシリーズ系新本格は、表層的にキャラが立っているアニメ的なノリが特徴で、新規読者の取り込みに成功したともいわれます。それで部数は出ましたが、先行きは不透明です。
同人誌を作るような京極ファンの内、どれだけの方が他のジャンルも読むのでしょうか? 新本格の歴史は浅く、本気になれば一年で一通り読めると今でもいわれています。その後、過去にも新本格と同等かそれ以上の傑作があるのに歯牙にもかけず、新本格の新作しか読まないのは勿体無いことです。
京極夏彦と綾辻行人は口を揃えて「自分達は本格ミステリーばかり読んできたのではなく、むしろそれ以外の本を沢山読んできた」と語っています。
かつて読者でなかった作家は稀です。今の読者のレベルが、そのジャンルの未来を決めます。SF以外殆ど読んでこなかった作家が台頭してSFは衰退したという指摘があります。新本格もそうならないとよいのですが…。
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5 大学生詐欺 |
群馬県出身の友人が先日、彼の友人を大学に連れてきました。彼はただの見学者ではありませんでした。何と大学生に成り済まして友人と一緒に授業を受けたのです。よくよく考えてみたら、それが大学当局にばれないことに気付きました。
普段学生証が必要なのは図書館に入るときだけです。生協施設利用時すら一切の身分証明が免除されています。自分と一緒に授業を受けている人が本当に大学生かどうかは、図書館に行かないと分からないのです。
この盲点を突いた詐欺事件は、昔から絶えません。大学生に成り済ました詐欺師は、まず本物の大学生と友達になります。同じ共同体に属する者同士はガードが甘くなりますよね。借金を頼まれたらご注意。最初の内は返してくれるのですが、次第に千円、一万円と金額が増えていき、ある日突然姿を消すのです。大体数十人まとめて被害にあうそうです。
違うパターンもあります。まず偽大学生の詐欺師は友人を連れて消費者金融にお金を借りに行きます。次に学生証を忘れたと言って、友人に泣き付きます。友人の本物の学生証で信用させ、大金を借りると姿を消すのです。
この手の詐欺を防ぐには、面倒でも友人の学生証を確認し、名簿で名前の存在を調べておかねばなりません。
大学生活は全く罠が多くて困ります。
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3 筆記体 |
私が初めて英語を勉強したのは幼稚園生のときです。福笑いのようなものをわたされて、earとかmouthとかeyeとか発声練習したらしい。でも月に一回しかやらないので、何にも覚えられません。毎月毎月earでmouthでeyeでした。幼稚園の先生方、何か虚しいことをしているとは思わなかったのでしょうかね?
小学校に入ると、毎週1時間の英語の授業がありました。会話中心で、時々外人が来るつまらない授業でした。みんな外人に緊張して、英語で話しかけられるのを嫌がるんです。外人が顔を向けた方向の生徒が一斉に下を向きました。外人さんも、あれには傷ついたでしょうね。
結局私が、アルファベットの大文字小文字を全部書けるようになったのは中学生になってからのことです。ABCの歌を頼らずに辞書を引けるようになったのは高校生になってから。筆記体が読めるようになったのは、なんと大学入学後です。
大学の最初の授業で「すみません、読めないんで筆記体じゃなくてブロック体で板書してください」と頼んだときには笑われましたね。でも、高校のクラスメートには筆記体の読めない人はいくらでもいたんですが……。
日本人のTOEFL平均点がアジア最低だというのは有名な話。危機感を抱いた教育ママさんの期待を一身に背負い、来年度からの教育改革により、多くの小学校で英会話の授業が始まるそうです。
何だかな〜、と思うのは私だけですか? 小学生の頃、英会話塾にいってた人、たくさんいると思います。でも中学3年生くらいで、もう英語に挫折してませんでしたか? 無駄な苦労という気がします。
そもそも日本と他のアジア諸国では受験層が違うので、比較なんてできるはずないんです。日本では普通のバカ大学生もたくさんTOEFL受けますけど、他のアジア諸国では、よほどのエリートしか受験しないんです。平均点で日本が負けるのは当たり前じゃないのかな。そういう常識的な考察を抜きにして、小学生に英会話を習わせるなんて短絡的過ぎます。
それに日本人のTOEFL平均点を下げているのは会話じゃないんです。じつは文法・作文なんですよ。近隣諸国ではとくに中韓に負けていますが、じつは会話問題の得点は拮抗しています。ところが、文法・作文それに読解で圧倒的に劣るんです。
日本の英語教育は読解重視だからダメだなんていわれていますが、英字新聞とか読めない人が多すぎませんか? じつは日本の英語教育は、レベルが低すぎてダメなんです。
「会話ができない」のではなく、「会話もできない」のです。暗記してる単語・熟語の数も、文法の決まりも、全然足りません。日本のように詰め込み方が甘い英語教育をしている国はないそうです。まったく会話重視なんていっても、単語も知らずにどうするのでしょうか。
……ちなみに、私は今でも筆記体を書けません。でも大丈夫! モニカ嬢がクリントン前大統領に宛てた恋文だって、ブロック体だったんですからね!(それにしてもへたくそな字でした)
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2 今後の方針 |
というわけで助役室がはじまってしまったわけですが、「何を書こうかな?」というところで、やっぱり悩みます。とりあえず、毎日更新なんてとても無理なので、不定期更新にさせていただきます。
今後の方針は以下の通りです。
・基本的に日記にしない
・ネットの話題を中心に
・プチ論説風のエッセイ
こんなところです。
たまにしか更新しませんから、たまに覗いていただければけっこうなのですが、多少なりともお楽しみいただければ幸いです。
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1 助役室開設 |
にゃごろう村の助役、バラ職人と申します。このたび村長から部屋を与えられましたので、まずは数ヶ月、頑張りたいと思います。
助役室のルールは以下の通りです。
・助役室は「にゃごろう村」の1コンテンツです
・助役だけが執筆します
・ログは30件程度保存します
・ご意見は村民会館とメールにて承ります
なお、リンクはご自由にどうぞ。素材やバナーへの直リンクと違い、制限はありません。(→参考文献)
参考文献:
社団法人 著作権情報センター、マルチメディアと著作権
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