50 津波+3 |
9月11日、カウンターが1700ほど回った。
ろじっくぱらだいすに代打日記が掲載され、バラ職人という筆者名に、当村へのリンクが貼られたのだ。
代打日記のテーマは「意味がわからないけど何故か心に残る言葉!」だった。8月31日募集。
私が応募したのは「ドリフト更新」というわずか6文字。運よく採用されれば、村長への誕生日祝いになるだろうと思った。過去の例を調べると、200ヒットは見込めることがわかる。ただしこの大量アクセスは一過性で、一週間もせずに元の状況に帰する。
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ろじぱら読者となって7ヶ月、100万ヒット達成から500万ヒット突破まで見続けてきた。代打日記への応募に、これまで楽しませていただいた感謝の気持が作用したのは事実だ。以前には応援メールを出したこともある。
しかし、私の根本的な狙いは、当村のアクセスアップにあった。
先人の多くは失敗している、かに見える。だが私は、わずかに勝算を見出していた。
ろじぱら読者公称30000人の1%、300人のご訪問をいただく。その1%、3人だけ読者を増やすのは不可能なことだろうか?
私は村長と対策を練り、そしてフレームの改訂などを行った。不安を多く残してはいたが、まずまずの準備ができたと思う。
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代打日記掲載当日、リードミー計測で1200人の方の訪問をいただいた。当初予測の4倍だった。
そして9月26日に39人という結果が出るまでずっと、以前の最高記録(40人)を上回りつづけた。村長はじつに健闘したと思う。
この間、累計8000ヒットを達成し、リードミー計測100人以上/日も6日間にわたって体験した。村長の掲げたアクセス数に関する大目標は、いずれも達成されたことになる。
当村はアクセス数にして30〜40/日、リードミー計測の訪問者数にして30人前後/日がもともとの状況だった。先週のリードミー平均が45人/日だから、少なくとも12人以上、お客様は増えている。
もっとも、1200という初日の数字は多分に偶然であって、私は12という数字にはこだわらない。
"+3" さえ維持できれば、目標は達成できたと考える。
まだろじぱら津波は終っていない。
しかし、それにしても……。
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『重要なのは「来る客を増やす」ことではないのじゃよ。「来た客を逃がさない」ことなのじゃ。』ろじぱら2001年7月18日日想より抜粋
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49 モモの逆襲 |
若い警備員は、唐突に立ち止まった。
ゆっくりと自動販売機に歩み寄る。
とある駅の通路、帰宅ラッシュを少し過ぎた時刻。人通りはまだ多い。しかし、彼の動きに目をとめたのは2人だけだった。
老警備員が、何か声をかけた。手にはビニール袋、四角い紙箱が頭をのぞかせている。
若い警備員は振り向いた。ぼんやりとした表情だったが、何か腑に落ちないことがあるようだった。少し首を傾げ、口元がものいいたげに半開きになっていた。
だが、彼は黙って口を閉じた。
老警備員が手で合図すると、若い警備員は自動販売機に背を向けた。
なにごともなかったかのように、巡回歩行は再開された。
* * *
私は老警備員のはるか後方から、一部始終を見ていた。
警備員たちが歩み去るのを横目に、私は自動販売機に近づいた。
なるほど、年貢の納め時なのであろう。
ふだん果物の上に仁王立ちしているQooが、逆立ちして果物を支えていた。その表情は、いささか苦しげに見えた。
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48 米沢行備忘録 |
本稿は、山形県米沢市での普通運転免許合宿備忘録である。
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本当に大切な思い出なら、備忘録に書き留めておく必要はない。もしも忘れてしまうのなら、それはむしろ忘れた方がよかったのだ。
どうでもよい瑣末なことほど、備忘録にふさわしい。
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9月11日、東北地方には台風が近づいていた。山形新幹線は全線不通となり、私は初日から自動車学校に遅刻した。台風のせいとはいえ、遅刻したのは私ともう一人だけだった。みな偉いもので、わざわざ始発に近い電車に乗り、意地でも定刻通りに到着したのだ。
そんなわけで、入校後の遅刻だけはすまいと思っていた。ところが呆気なく遅刻したのは、わずか数日後のことだった。土曜日の最後の授業で、「明日、朝9時からだ」と予定を伝えられた。日曜日は、当初の予定では休日だった。だから、明日、というのは、明後日の間違いだと思った。もちろん、間違いなどではなかった。
私は運転が下手で、規定の時間数では仮免許試験を通りそうもなかった。教官はしかし、合宿を延長させるのはしのびないと考えてくださった。日曜日は休日返上の補習だったのだ。
おかげさまで仮免許試験には一発合格できたけれども、教官には本当に申し訳ないことをした。補習開始の時刻、私はまだ朝食の味噌汁をすすっていた。
* * *
ホテルの食事には毎回満足だったが、とくに目をひいたメニューがあったのでご紹介する。
中華丼はご存知だろうか? 熱々ご飯に中華餡かけなどを載せた料理だ。型にとらわれない料理なので、例えば母が作るのはまるで野菜炒め丼だけれども、それはそれで美味しいと思う。
ホテルはさすがにもっと上品で、中華ライスを出してきた。つまり、カレーライスのように盛り付けたのだ。白いご飯に美しく淡い緑と半透明の餡(失礼を承知で書けば片栗粉でとろみを出したアレのことであって、小豆を使った小倉餡とはまったく違うもの)が、大いに食欲をそそった。
ところで、カレー丼というのはどうか?(←××)
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ホテルのテレビは無料だった。かつて修学旅行で泊った旅館は、どこも有料だったので、少しく驚いた。新聞のテレビ欄を見ると、テレビ東京系がない。民放の深夜放送も7割減。CMが取れないのだろう。一晩中テロ事件のニュースを流したのは、NHKだけだった。
かつてNHKといえば、日付が変わる頃には放送を終えるので有名だった。フジ系よりも遅くまで放送を続けるNHK教育を見ながら、つくづく時代の変化を感じた。
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合宿の同期は30人以上いたが、その半数は横浜国立大学のテニスサークルのメンバーだった。夏の新人合宿を兼ねた恒例行事だという。今年の一行を率いる1年生氏によれば、14年間も連続で利用しているのだそうだ。
当然というべきか、教習所の営業担当とは顔見知りで、毎年2回以上会食の機会があるという。なるほど、ふだん事務所に姿の見えない営業担当氏が太っているわけである。
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米沢といえば肉牛が有名だが、庶民の味としてはラーメンや米も名が通っている。しかし市内でいっとう有名な店として先述のサークル代表に案内されたのは、何とカキ氷屋だった。
一杯1000円……これはジョークではない。しかしカキ氷定食と呼ぶべきその「料理」はなかなかの物に見えた。多勢とご一緒させていただいたので、みなで違う種類を頼んで少しずついただいたのだが、そんなことをしなくても元は取れたような気がする。
いいものを食べれば、多少の出費は我慢しなければならない。
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教習所で暇な時間は、お喋り、学科試験の勉強、新聞、本、卓球やテニスなどに費やされる。そして本当に何もすることのない人は、ぼんやりとテレビを見る。
しかし時には、みなが注目する番組もあった。
例えば9月12日のテロ事件ニュースである。私自身そうだったが、合宿所のテレビで事件を知った人は少なくなかった。「とくダネ」が10時までかかり続け、以降一日中、NHK衛星第一がかかっていた。誰もチャンネルを回そうとしなかった。翌日以降も、朝のワイドショーは必ず「とくダネ」がかかっていた。
ブッシュ大統領の演説は、生中継で全部見た。NHK衛星第一はなかなかたいしたテレビ局だと思ったものだ。
他に人気があったのはまず「キッズ・ウォー3」、次に「笑っていいとも」「ごきげんよう」、そして何故かときどき「ちゅらさん」が「笑っていいとも」を中断した。「やまとなでしこ」の再放送も毎夕かかった。個人的には、いずれも悪くないと思われた。
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米沢で一番売れている新聞は「山形新聞」一部百円也。少し薄いけれど、堂々たる内容を誇る一般紙である。海外情報は主に通信社経由とはいえ、社説で正面から同時多発テロについての見解を述べていた。好感度高し。
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コインランドリー営業時間の怪。
入り口の自動扉には、深夜零時まで営業と書かれていた、はずなのだ。それで10時半頃に入店した。ところが11時になるや閉店の案内放送である。中からは出られるが、外からは入れなくなるので注意してほしいという。
そして11時20分頃、ちょうど乾燥機が止まった直後に警備員がきた。「閉店放送が聞こえなかったんですか?」と不機嫌そうだ。いや、でも入り口に……「でも放送があったでしょう」
洗濯物を全て畳み終わり、店を出る。警備員もついてきた。「で、どこに深夜零時まで営業と書いてあるのですか?」
それはここに……「あれっ?」
見ると、紙が貼られて文字が隠されている。セロハンテープは風化しており、かなり以前に紙が貼られたことは明らかだった。
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クリーニング屋はいくつも見かけた。私が利用したのは、古ぼけた商店街にたたずむひなびた薬局。値段が他所の4割引だった。綿シャツ180円、綿パン250円也。「売上の小なるにつき、消費税はいただきません」という。
斜め向かいにハイカラ(!)なクリーニング屋があった。ズボン300円などというから、ここも頑張っている。なんと即日引渡しだそうだが、しかしなぜ、客入りがああも多いのか。人のよさそうなおばあちゃんから出来上がりの洋服(たいへん満足のいく仕上がりでした)を受け取りながら、ガラス越しに向こうの店構えを眺める。
丸眼鏡のおばちゃんが、目を吊り上げながらてんてこ舞いしているのが見えた。クーラーのある部屋で、額に汗をかいていた。手には白い手袋。ああ、頑張っている。
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昼食は基本的に教習所のお弁当である。十分な量、コンビニ弁当など比較にならないおかずの品数、味も悪くない。
ある日、コンビニ弁当のようなカツカレーが出た。使い捨ての入れ物に入ったやつ。サラダつきだったけれど、いつものお弁当のような品数はまったく望めない。ゴミも多い。なのに、「いつもこういうのにしてほしい」という人が少なからずいた。
予想通りだったとはいえ、実際に目の当たりにすると、何かおかしいと感じる。違和感を感じる。
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スーパーを歩いていて、ふと気付いた。マクドナルドのソフトクリームって100円だったのか。安い。いいのだろうか、そんなお値段で。
コンビニの安物アイスはどれでも100円。私のような味音痴には、実際のところ100円のと200円のを食べ比べても、倍も値段が違うものとは思えない。唯一ソフトクリームだけが、お店で150円出して買うのとコンビニの100円のとでは断然違う。
マクドナルドはこの常識を破壊した。100円で、あの、本当にやわらかいソフトクリームが食べられるのだ。安い。(今までがぼったくりだったのかもしれないが)
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お土産は教習所のおじいさんの意見を聞いて、「鯉の甘煮」にした。何とか饅頭とかよりはよいだろうと思う。
研究室の先輩向けには、「カールみちのく牛タン味」を買った。お土産物屋さんにしか売っていない、地域限定の商品。製菓メーカーもいろいろやるものだ。
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合宿最終日、天気は非常によくて、うとうとするうちに電車は関東に到着していた。まだ夕陽が美しい時刻だったのを覚えている。
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47 自動車教習所 |
私は「身体で覚える」ことが極端に苦手だ。だから昨日帰ってきた普通運転免許教習の合宿も、予定通りには終らず延長になるだろうと覚悟していた。ところが意想外の早さで技能が上達し、規定日までにどうにか、冷や冷やながらも運転できるようになってしまった。
教官方には、大いに感謝している。
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合宿生は35人いて、その内の30人以上が予定通りに卒業した。最終の9月28日、惜しくも卒業検定に落ちた人たちも、今日29日には卒業の運びだという。入学は9月11日、つまり20日足らずで、全員が基本的な運転技能を身につけたことになる。
例えば学校の体育の授業で、生徒全員に跳び箱を成功させられる教師が、どれほどいるだろう。例えば家庭科の授業で、全員に基本的な包丁捌きを習得させられる教師が、どれほどいるだろう。
私は地方(山形県米沢市)の教習所で合宿した。だから、期日通り検定に合格できるよう、日曜日の補習など、教官がいろいろ便宜をはかってくれた。広くて車通りの少ない、走りやすい道で検定に臨むことができた。
しかし、それだけで説明が足りるのだろうか。
学科試験は、たしかに簡単かもしれない。しかし仮免許学科試験は、90点以上が合格基準である。これを全員が合格するのはどういうわけか。もちろん問題は、事前に明かされていないのだ。
技能、学科、いずれも採点基準ははっきりしていて、基準に満たなければ当然のように不合格となる。警察の定期審査が入るから、教官が一人勝手に温情を示すわけにはいかない。にもかかわらず、高水準の教育達成率を実現しているのだ。
教習所の教官方は、たしかな教育成果をあげている。
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ところで文部科学省によれば、小中高等学校では、生徒に基礎学力を保証しなければならないのだそうである。とはいえ現実がどれほどのものか、誰もが知っている。しかし驚くのは、現状を「仕方ない」と考える「教師」が多いのはどうしたことか。生徒や親がいうのならばともかく、教師がその程度の意識でいいのだろうか。
自動車教習所のように、警察のような機関が教育の成果を評価するシステムを導入すればよいのか。いや、それ以前のレベルの話ではないかという気がしてならない。
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46 サイト批評 |
素人相手に批評をするのは危険です。「そういうあなたはどうなのですか?」必ず、そう問い返されるからです。
例えばプロの物書きであれば、文芸評論家が一冊のベストセラーも生み出せないことを納得しつつ批評を参考にしますし、取るに足りない才能しかない一般読者の意見も大切にします。批評者は批評にさえ長けていればよいと、よくわかっているからです。
私は今夏、「個人WEBサイトの批評を請け負います」という勇気あるサイトがいくつも誕生するのを目撃しました。私は興味を持って観察をはじめましたが、まもなくひとつ減り、ふたつ減り、とうとう秋になる頃には、そうしたサイトはほとんど消え去りました。批評コーナーばかりでなく、サイトそのものが次々と消えていきました。
個人サイトの批評には、大変な困難が伴うのです。
そんな中、以前から個人サイトの批評をしており、今も続けているサイトがあります。
ホカポン(管理人:さやか嬢)
こちらでは女子小中高校生のサイトを中心に批評をされています。「侍魂の先行者」を知っている人々、と同じように(もちろん規模は桁違いですが)「ホカポンのサイト批評」を知っている人々、という小集団を確認できるほどですから、たいしたものです。
* * *
8月末、そのホカポンでにゃごろう村を批評してもらいました。興味深い内容だったのでご紹介したいと思います。ただし批評を依頼する際に、「批評を転載しない」という規約に同意しています。ですから私の言葉で、概要を紹介しましょう。
当村の問題点は2つ、まず村の構成がわかりにくく、村内移動に戸惑う。次にエッセイ本文のデザインが単調で寂しい。対策として、フレームの案内部分に「エッセイ」というコンテンツを作成すること、エッセイの見出しに色を使うことの2点があげられました。
なるほどと思ったものです。ホカポン自体のデザインにいくら問題があろうと関係ありません。的確な批評、適切な対策案は、単独で十分に力を持っているのです。
その後、9月11日に「ろじっくぱらだいす」から多勢のお客様があることを察知し、フレームの案内部分と助役室の新デザインを公開しました。そして近日、サイト全体をリニューアルします。乞う、ご期待!
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45 一時閉鎖 |
夏休みの宿題が終りそうもないので、サイトの更新ができません。突然で申し訳ございませんが、一時閉鎖します。
……先月末、トップにそう書かれたサイトが巡回先にちらほら。現在はというと……なぜかそのままだったりします。
さて、私のようにテキストサイトのログ読みを楽しむものにとって、何よりいらだたしいのが、この手の一時閉鎖です。
更新しようと思いつつやむなくの更新間隔2週間と、自覚して2週間休むことの間に物理的な差はありません。ただログを読むことができればいい私のような客にとっては、更新休止程度でサイトを閉鎖されるのは困ったことです。
管理できないサイトを読まれる気持ち悪さ、想像できないではありません。しかし例えば私の場合は、むしろありがたいという気持の方が強いのです。更新休止中にもおいでくださるお客様には、まず感謝したいのです。
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私は本日より普通自動車免許取得のため約一ヶ月、米沢へ合宿にいってきます。その間、助役室の更新は止まりますが、もちろん一時閉鎖など致しません。どうか自由に、ログを閲覧していただきたいと思います。多少なりともお楽しみいただければ幸いです。
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44 防災の日 |
自分で歩けない生徒(当時中学2年生)を、塾で教えたことがあります。冬期講習の集団授業でした。
彼女は手足が骨と皮だけのように細く、声もか細く弱々しく、体つきが大変小さく、いつもお母さんが抱きかかえて持ち運んでいました。腰も具合悪く、椅子に座るときは必ず座布団を敷いていました。ふだんは車椅子に乗っていると伺ったような記憶がありますが、あの腕では、自分で車輪を回すことはできなかったはずです。
* * *
塾の室長からわたされた座席表によれば、彼女の席は教室の右端、前から3列目。私は、ふいに強烈な不安に襲われました。教室の床がぐらっと傾ぐ幻想を見たのです。……もし、地震が起きたなら。
室長にお尋ねすると、座席の位置はお母さんの希望なのだそうでした。上体をまともに支えられない小さな子ですから、あまり後ろでは黒板が見えません。かといって最前列で目立つのは嫌だというのです。結論が前から3列目、右端の席でした。
しかし塾の教室は狭く、どの机にも生徒が座っています。机と机の間を通るのは一苦労でした。何回実験しても、私が彼女の席へたどり着くまでに8秒以上、机の下へ隠すまでに30秒以上かかりました。
彼女は自分で机の下に隠れることができません。いざというとき、私が守る他ないのです。右端の3列目では、私が彼女の上体に覆い被さるという方法でも10数秒なりの時間がかかります。机に挟まれないように、椅子を引き出さなければならないからです。
* * *
私はお母さんに、この不安を相談してみました。
お母さんは納得してくださいました。
こうして、彼女の席は最前列の右端になりました。黒板が多少見難いのは我慢していただく他ありませんが、これでようやく、命の保証ができました。
たかが塾講師にしても、教室でなにごとか起きたときには生徒の命を守らなければなりません。今日は防災の日、ふと昔のことを思い出しました。
[参考:関東大震災(防災の日のいわれ)]
1923年9月1日午前11時58分に、関東地方南部を襲った大地震。震源は相模湾でマグニチュードは7・9。大きな火災が起き、東京では3日まで燃え続けた。死者と行方不明者14万2000余人、家屋の全半壊25万4000戸余、家屋の焼失44万7000戸余に上った。
東京、横浜という日本の中心が壊滅状態になり、政治、経済が大混乱した。市民生活も混乱し、「朝鮮人が悪いことをした」といったうわさが広がり、関東一帯で6000人に上る朝鮮人が官憲や自警団によって殺されたといわれる。
関東大震災と、台風がよく来るといわれる「二百十日」が9月1日前後なのにちなみ、1960年に9月1日を「防災の日」にした。この日は、大震災を想定した訓練が行われ、防災に対する意識の高揚を図る。[出典:毎日新聞/ニュースの言葉]
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43 マスコミ |
今回は、同じ話を3回繰り返します。
1.
マスコミは大衆を洗脳するといわれますが、私はそうした意見には懐疑的です。私の家族はかつて朝日、毎日、読売、日経などを読んでいましたが、どうもしっくりこないので、ちょくちょく新聞を変えていました。ページが少なくて損だということで見向きもしなかった産経を取り始めたのは、ちょっとした気まぐれに過ぎませんでした。今ではすっかり産経以外の新聞は取る気にならないというフリークですが、その始まりはそんなものでした。
新聞だって商売なのですから、読者受けする記事を書かなくては経営がたちゆきません。
現在の新聞各社の勢力図がほぼ確定したのは戦後のことです。大衆の嫌戦気分に乗り、朝日・読売・毎日など大手全国紙はこぞって左より(自由・人権・平和・中国がとにかく大好き)の路線を選択しました。産経は後発なので経営基盤が弱く、ページ数などどうしても先達に見劣りします。したがって多数派をターゲットにしても勝ち目はありませんでした。少数派読者の取り込みを図って右より(規律・伝統・国際貢献・資本主義がとにかく大好き)路線を選択したのは、ごく自然な流れだったといえます。
今の朝日の論調が左よりなのは、朝日読者に左寄りが多いからです。毎日も似たようなものです。読売が20年程前に中道路線に変更したのは、戦後しばらくたって左より人口がへりつつあるのを敏感に感じ取り、増えつつある中道派を取り込む大手新聞が日経しかないことを見て取ったからです。路線変更は成功し、うまく朝日を出し抜いて世界一位の販売部数を実現しました。
[朝日+毎日]と[読売+日経]の部数は拮抗しています。[産経]は断然少ない。日本人の多くは左か中道で、右は少ないといえます。この勢力図をつくり上げたのは新聞ではありません。大衆です。新聞が大衆を洗脳するのではなく、大衆が新聞を動かしているのです。
2.
ベトナム戦争のとき、産経新聞の読者以外は、なぜボートピープルが発生するのか理解できませんでした。報道によれば、サイゴンが「解放」され、内戦(!)勃発の張本人とされた帝国主義アメリカが追い出されて、地上の楽園が北朝鮮(!)に続いて実現されるはずだったのですから。あの戦争はアメリカが勝手にやってきて起こしたものではなく、もともと現地人同士が政治体制の選択(資本主義or共産主義)をかけて戦っていたものなのです。アメリカがくる前から戦争ははじまっていて、アメリカが敗走した後も戦争は続き、そして勝者は敗者を手ひどく痛めつけ恐怖のどん底に突き落としました。だからこそ、ボートピープルが発生したのです。
こうした状況をしっかり解説した報道は産経でしか読めなかったわけですが、それは産経の記者が優秀だったからではありません。結局は、何が商売になるのか、ということです。朝日の読者は「戦争は話し合いで避けられるはずだ」という意見の持ち主が多いから、そうした期待を叩き潰すような記事は望みません。だから「乱暴者のアメリカがやってきて、平和なベトナムに戦争を持ち込んだのだ」という「物語」が売れるのです。産経のように「どうしても相容れない二つの主義主張があり、一方が他方を支配するには武力を用いる他なかった」なんて記事を書いたら朝日読者は総スカンです。
現在のロシアでは共産党が一大勢力であり、一見、資本主義と共産主義が共存しているかのように見えます。しかし、自由な政党設立を認め、普通選挙で議員を選び……といったやり方が根本的に資本主義国のものだという事実に目を向けなければなりません。ロシアの共産党は、議席こそ多くとも資本主義に支配されています。ベトナム戦争の意義も、ここにあったのです。労働者の政党による独裁体制と資本主義国のような民主主義体制は、「話し合えば共存できる」なんてものではなかったのです。
……と、私は考えるので産経読者なのですが、要するに読者が報道機関を選択しているのだ、ということです。私は毎日新聞を読んでいる頃は、記事にむかつくことが多かったのです。何をバカなことをいっているのかと。朝日なんて読むのも嫌だったのです。だから産経に変えたんです。こうしてみると、マスコミが大衆を踊らせているというのは、錯覚ではないかという気がしてならないのです。
3.
なぜ、「マスコミは大衆を洗脳(煽動)する! 危険だ!」という意見が絶えないのでしょうか?
それは、マスコミの消費者にとって、「どうせ世の中は他人が動かしている、自分にはどうにもならない」と思い込むことで責任を放棄できるからです。こんなに都合のいい話はありません。
いまやマスコミは、政治家と並んで黒幕あつかいの双璧です。いわく、歌手の○○が流行るのはマスコミが推しているからだ、毎年のファッションブームなんてみんなテレビ番組発じゃないか、□□が落ち目になったのはマスコミが見放したからだ、まるで猫も杓子もマスコミが動かしているかのようです。けれども、全ては勘違いに過ぎません。
「報道されれば物が売れる」のなら、テレビ局自身がレコード会社を設立し、アパレル産業を傘下に収め、芸能事務所を営業するに決まっています。なぜそうせずに、記者が全国を飛び回って流行りものを探すのか。
理由はわかりきっています。物が売れるかどうかを決める主導権は、マスコミにないのです。
マスコミはこれからブレイクしそうなものを探すのは得意ですが、もともと力のない商品を流行らせることは、できないのです。
* * *
同じことは報道の論調についてもいえます。マスコミはいいたいことをいっているのではありません。お客さんの喜ぶようなことを選択して報道しているのです。
戦争中は、死ぬのは嫌でも米英を鬼畜と憎む気持は実際に多くの日本人の中にあったのです。たかだか数百万人しか動かせない大本営だけでは、戦争などできません。一億国民の意思があって、戦争は泥沼化していきました。そしてマスコミは戦意高揚記事を書き飛ばしました。戦後一時期、左よりの論調一色になったのは、大衆の望む記事がそういうものだったからです。
マスコミは商売です。そして商売の基本は、お客様の要望にこたえることです。マスコミの報道が世論を形成するのではありません。世論がマスコミの報道を変えていくのです。朝日の記者に右よりはいませんし、産経の記者にも左よりはいません。それぞれのお客さんを満足させられない記者は捨てられます。お客さん、つまり大衆の力こそ絶対的なのです。
* * *
もし、世の中に黒幕がいるとすれば……権力とは無縁だと思っている膨大な人々の無意識の中に、潜んでいるのではないでしょうか。
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42 公約 |
うちでは産経新聞を取っています。私好みの記事を書くからです。とはいえ、何から何までお好みどおりとはいきません。
小泉首相が終戦記念日の靖国参拝を取りやめ、13日に参拝したことについて、予想通りというかなんというか、今朝の朝刊は(私にいわせれば)アホな意見が満載でした。有言実行を貫けなかった小泉首相の聖域なき改革など信用できない、公約を果たさない政治家にはうんざりだ、といった論調が全28ページ中の8ページ(さすがに多すぎませんか?)を費やして語られています。
長年産経を読んでいるので、読まなくても内容はわかりますが、それでも読みました。ファンというのはバカですね。
* * *
産経新聞はまず、靖国参拝は日本国民の精神に関わる国内問題であり、今回、中韓の外圧によって15日の参拝を諦めたのはおかしいと書きます。
けれども、自民党内でも多くの議員が15日の靖国参拝を阻止しようと画策しましたし、もとより野党の多くは反対姿勢です。日本国民にも多勢いる、中韓の外圧や(靖国に限って)政教分離を重要視する参拝反対派を見れば、「国内問題として」参拝の日取りを変更したともいえそうです。実際、小泉首相は中韓の外相声明にはびくともしなかったのに、官房長官や党幹事長の説得で転んだのでした。
* * *
そして、首相の言葉がこんなに軽くていいのか、選挙の公約を守らないのは許せないと続く批判には、ますます納得できません。
政治家は、必ず公約を守るべきなのでしょうか?
もし選挙の公約を守るのが政治家の第一の勤めなら、国会審議など無用です。選挙公約に関わる法案は事実上の国民投票で決着済み。即座に与党案を賛成多数で可決すればよいです。野党の主張を聞いて法案を修正すれば、公約違反になるのですから。13日と15日、たった2日の違いでさえ叩かれるのです。
* * *
首相の言葉がこんなに軽くていいのか、という批判も無意味です。
産経はしばしば首相に「再考」を促しますが、「一度やるといったら誰がなんといおうと実行しなければいけない」とすれば、産経の記事は虚しくなります。終戦記念日の靖国参拝が産経「読者」の希望だったにせよ、都合のいいときばかり「公約通りに実行せよ」とはひどい。(矛盾はどの新聞・テレビにもあります。笑って流しましょう)
* * *
私は小泉首相が終戦記念日の靖国参拝中止を残念に思います。けれども、今朝の産経のような批判の仕方はいただけません。
参拝反対派は2日ずらしても許してくれませんし、参拝賛成派は今回の一件で失望の色を隠せません。敵が増え、味方が減りました。いいことが何もない……という批判だけで十分なのです。なのに、公約を守れなどと余計なことを書くから、ファンは恥ずかしい。
追記:
小泉首相は終戦記念日に千鳥ヶ淵へ行くそうですが、個人的には正午に皇居前広場へいったらいいと思う。小泉首相が皇居前広場で黙祷を捧げる映像は、いくらかウケがよさそうな気がします。こうなったからには外圧よりも支持率急落が気になります。さて、どんなイメージアップ作戦が飛び出すか……興味津々です。
(↑全国戦没者追悼式典を忘失してました。情けない 補記8/15)
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41 個人情報 |
村長は個人情報を明かさない主義で、私は大抵のことは明かしても構わないと思うたちなので、当然いくつかの問題が生じます。対応策として、ここで情報を整理しておきたいと思います。
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村長と私は現在、それなりに離れた場所に住んでいます。年に5回も電話しません。会うことも滅多になく、年間でも片手で数えられます。サイトのデータは共有していますが、なんとFDの郵送で対応しています。
私は村長の中学高校時代の先輩です。ただし中学時代は何の交流もありませんでした。このことさえ明かさずにおけば、私は卒業した学校名を出すことができたのですが、今となっては、それは無理です。なお、中学高校ともに私立なので、いくつかの都県から生徒が集まっていました。
小学校と大学については、村長と私は別のところに通っています。
* * *
私が個人情報を相当程度明かすのは、文章を書くのが楽になるからです。村長の度重なる要請に応じて渋々書きだしたという経緯はともかく、文章を公開する以上は読みやすいものを書きたいと考えています。筆力がなくとも、固有名詞を出せば具体的な文章になります。具体的な文章は、大抵の場合、抽象的な文章よりも読みやすいものです。
また私は今でこそバラ職人というHNを使っていますが、以前はどこでも(2chでも)本名で書き込んでいました。けれども、困ったことになったことは一度もありません。ジャニーズ事務所のタレントは「追っかけ本」(一般書店で購入可)に住所を掲載されていますが、そのために仕事に差し障りのあるほどの損害をこうむったという話は、寡聞にして知りません。ならば私が本名を明かして困らないのも道理です。今、HNを使っているのは、単に気恥ずかしくなったからです。
住所氏名を公開すればどこから何が送りつけられるかわかったものではありませんが、私の住所氏名は大学の在籍者名簿、高校の同窓会名簿、日本折紙学会の会員名簿、千葉県立博物館友の会の会員名簿、高校時代の部活のOB名簿、研究室の名簿などに載っています。現在のにゃごろう村の閲覧者より、そうしたいろいろな名簿をご覧になる方の方がよほど多いのです。
さらに私の場合、周囲が「私=バラ職人」と知っています。HNを使う理由として「身辺の人にばれたくない」を挙げる人は少なくありません。しかし私は家族に読まれても構わないことしか書いておらず、もとよりそうした問題には無縁です。
ネットでどこまで個人情報を出すかは、ネット以外の場合に準じるのが穏当だと思っています。実際に住所氏名顔写真までサイトに掲載している方がいらっしゃるように、それでもさしたる問題が生じないのが現実なのです。地元のスーパーで会員カードを作れば、そのスーパーでいつ何を買ったか全部把握されます。全商品5%オフが大切か、個人情報の秘匿が大切か、ここでも選択を迫られていますが、多くは5%オフの魅力に負けるでしょう。
結局は、「何をどこまで信じるか」という問題に行き着きます。ネットに渦巻く悪意、スーパーの商業主義……徹底的に不信感を抱き、個人情報を死んでも渡さない覚悟で対応するもよし、ある程度の情報は渡してやるもよし、個人が判断すればよいことです。周囲の助言はもちろん大切ですが、最後に決めるのは自分自身。リスクを負うにせよ、不都合を我慢するにせよ、責任は引き受けていかねばなりません。
あらゆるリスクを排除することは不可能です。私たちはひとつひとつの場面で、リスクとメリットを秤にかけながら、個人情報と向き合っていくしかないのでしょう。
追記:
詳しいプロフィールを公開している個人が、周囲の人・組織・物を批判する文章を公表することはは、まだネット上では珍しいことですが、出版では昔からふつうに行われています。
ネット上で「そんなことしていいの?」と驚かれることのほとんどは出版で実現していることを考えますと、ネットを支配する大衆の倫理観の堅さに驚かされます。「批判」と「情報公開」は、まるで二大タブーのようになっています。あらゆる批判が非難・中傷と言い換えられてしまうばかりでなく、批判そのものすら忌避する傾向には苦笑を禁じ得ません。
ただ、このお堅さこそが日本人の健全さを示しているともいえます。ネットの「自由」に恐怖し、自分の周囲を倫理の高い敷居で囲い込もうとする姿は、良識を持って生きたいという好ましい気持の発露に他ならないからです。サイトの文章を読んでみればもちろん、そうした方々にも反社会的な面が多くあることはわかりますが、それでも、全体として倫理観を高く持ちたいと願っている姿は悪いものではないと思えるのです。(イライラさせられますが)
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