わたしは、戦車、カラシニコフ、じらいを知っています。でも、「平和」というのがどんなものか知りません。見たことがないからです。でも、他の人から聞いたことがあります。
わたしは、たくさんの武器を知っています。武器は、バザールや、街や、学校のかべや、家の前や、バスの中や、どこでも見られるからです。
「平和」というのは鳥のようなものだと教えてくれた人がいます。また、「平和」というのは運だと教えてくれた人もいました。でも、それがどうやってやってくるのかは知りません。でも、「平和」が来ると、じらいの代わりに花が植えられると思います。 学校も休みにならず、家も潰されなく、死んだ人のことを泣くことがなくなると思います。
「平和」が来たら、家に帰るのも自分の家に住むのも簡単になると思います。銃を持った人が「ここで何をしている?」とかきかなくなると思います。
1 ソ連。1978年、アフガニスタンでは革命政府が社会主義国家を作ろうとしたが、国民が激しく抵抗したので、ソ連に助けを求めソ連軍が来た。このままじゃアフガニスタンがソ連の仲間になってしまう、それは困るよ~と思ったアメリカが反政府ゲリラ「ムジャヒディーン」を全面的に支援。武器をじゃんじゃか与え、アフガニスタン国内にゲリラ訓練施設を(アメリカが)作って、徹底的に、政府&駐留ソ連軍と戦わせた。
2 内輪もめ。ソ連軍は引き上げ、1992年にゲリラ「ムジャヒディーン」は政府を倒し、ラバニが大統領になった。が、政権をとったとたん「ムジャヒディーン」の内部で権力争いが起きた。勝ったとたんに「同盟軍」が内輪もめ、という、いつものパターン。長期のゲリラ闘争で各派とも気が荒くなっているし、アメリカが買ってくれた武器弾薬がそこらじゅうにくさるほどあるので、めちゃくちゃな内戦となった。各派とも略奪や強姦といった蛮行を繰り返した。
3 タリバン。このありさまを嘆いた神学校の若者たち(タリバーン)が1994年、「世直し運動」を始めた。その誠実な姿勢は多くの支持を集め、1996年には首都カブールを制圧、今ではアフガニスタンの95%を平定し、治安を回復させた。
4 アメリカのおもわく。アメリカが、巨額の軍事援助でソ連を追い出しラバニ政権をでっちあげたのは、もちろんアフガニスタンを自分のものにしたかったからだが、思わぬ展開でタリバン政権というのができてしまった。アメリカは、今度は、ムジャヒディーン各派を反タリバン同盟として戦わせているが敗勢濃厚、仕方ないので「タリバンは人権を侵害している」だの「テロを支援している」だの、けんめいにデマを流したりして各国がタリバン政権を承認しないように工作を続けている。また、(かつての共産圏に対する憎悪と同様)アメリカは、イスラム世界といろいろな意味で敵対関係にあり、アフガニスタンにおける神学生たちの勝利を認めたくない。ロシアも各地で宗教弾圧をこころみている関係上、アフガニスタンがイスラーム国となって他地域の精神的支えとなることを恐れている。
反タリバン宣伝は、人権問題、テロ支援、麻薬問題、の3つの柱を持っています。人権問題からみていくと、とくには女性の地位の問題があります。イスラム社会における女性解放として、まじめにコミットしている人々もたくさんいる一方、単なるプロパガンダもあります。
タリバンが治安を回復させる前の混乱期には、ムジャヒディーン各派――これをアメリカは支持しているのですが――による無秩序な略奪、強姦、殺人が繰り返され、人権がどうこう以前の状態でした(例えばアムネスティのWOMEN IN AFGHANISTAN参照。日本語の資料としては、「カブール・ノート」がある)。タリバンがアフガニスタンにおける人権状況を大幅に改善したのは歴史的事実ですが、平和な西側先進国の文化からみると、受け入れがたい点が残っているのも確かです。
反タリバン宣伝では、「タリバンはイスラム原理主義でイスラム原理主義とは悪いものなので悪いのだ」という論理的には意味をなさない循環論法が用いられるのですが、この点からハッキリさせておきましょう。原理主義とは教典の戒律を厳格に守るという意味でしょうが(そしてその意味では、すべてのまじめな信徒は原理主義者ですが)、タリバンが女性の外出を制限しているのは、原理主義とは必ずしも関係ないです。教典(コーランとハディース)にない(しいてあると言うなら解釈技術的な)要素をたくさん含んでいます。第二に、コーランがとくに女性差別的なわけでもありません。当時の宗教は、キリスト教もそうですが、ある意味、女性差別的です。新約聖書にも教会では女は発言するなとか書いてあります。もちろんだから宗教は間違っているという意味じゃありません。第三に、コーランについて言うなら、モハメッドの時代の状況に照らせば、明らかに女性の地位を向上させる方向の教えでした。……とはいえ、平和が回復したなら、古い教典と現代の意識とのおりあいをつけるための、さまざまな再解釈や変革が試みられるべきでしょう。
現在、アフガニスタンは全体としては内戦下にあって、地雷を初め潜在的な危険は、いくらでもあります。1994年ごろの状況に照らせば、タリバンが「女性は、できる限り外出を控えるように」とか「どうしても外出しなければならないときも、できる限りひとりだけで外出しないように」という命令を出したのは、ある意味、当然のことです(決してイスラム教が女性の外出を禁止してるわけじゃありません。もっと単純に、女性の一人歩きは危険だった)。内戦が終結して社会が平和になっても女性の外出や社会参加が不当に制限されるとしたら、そのときこそ、女性解放の社会運動を起こせば良いでしょう。平和なアメリカあたりで「女性の就労の自由が侵害されている」などと、ぷんぷんのんきに怒っているのも、ちょっと筋違いな気がするし、なにより、まじめにジェンダー問題にとりくんでいる人々の誠意が、単に利権がらみでアフガニスタンに介入したいだけの人々に利用されてしまうとしたら、むなしいことです。ましてや「タリバン政府は女性の人権を侵害しているから、制裁をくわえる」などと言って、空爆したりするのは、とんでもないことです。
まじめな神学生であるタリバンたちとしては、女性が身近にたくさんいると「間違い」がおきやすいと恐れているのかもしれませんが、これはタリバンたちの弱さで、長期的には社会全体を「修道院」にするわけにもいかないでしょう。
それと、衣服などの問題でも「女性が抑圧されている」と訴える人がいますが、これはタリバンたちの問題というより、イスラム文化の前からの習慣です。実際、反タリバンの土地であるフェイザーバードでも、女性は、からだの線や顔を隠すようなかっこうをしているそうです(「標高7000mの山岳地帯にて」)。あのチャドルというのは、ご存じのように、べつにアフガニスタンだけのものでもなく、イスラム文化圏の女性の民族衣装です。また当たり前のことですが、社会的、文化的に服装の制約を受けているのは、女性だけじゃありません。例えば日本では、一定の場合に男性のネクタイ着用が義務づけられていたりします。いずれにせよ、本来、軍事介入の口実になるほどの問題では、ないのです。いずれ時期が来れば、女性も男性も解放されるでしょう。アフガニスタンも、アフガニスタンを非難する先進諸国も、どちらも進むべき長い道を持っています。
アフガニスタン国内のゲリラ訓練施設は、もとをただせばアメリカが(ソ連兵を殺させるために)作ったものです。日本の外務省のサイトにも書いてあるように、「ソ連軍駐留時代に米CIAによって建設されたゲリラ訓練施設が現在も存在すると言われ、これがアフガニスタン国外におけるテロ事件に結びついている、との指摘があります。98年8月に米軍がアフガニスタン国内を攻撃した際の目標も、これらの施設であり」……要するに、アメリカは、自分たちが建設したテロ支援基地をみて「世界のみなさ~ん、アフガニスタンには、あんなものがあるんですよ!悪い国ですね~」と、その(アメリカが自分で作った)基地を攻撃目標としてミサイルを撃ち込んだとさ。ばかな話……
アフガニスタンを含むこのあたりのアジア地域は、アヘンは良くないものだという知見が整う以前から、ケシを作って、アヘンを使っていたようです。ソ連軍駐留時代、アメリカがアフガニスタンの反政府運動を支援していたときも、資金調達のために、アメリカはケシの栽培を黙認していたようです。
しかしタリバンの時代になって、ケシの栽培は禁止されました。タリバンの中心は堅物の神学生たちで、世俗的な娯楽に厳しいです。もちろん麻薬遊びなんて問題外。国際的な承認を得るうえでも、きちんと取り締まって、いちゃもんをつけられる要素を減らそうとするのは、当然のことです。タリバン政府が麻薬問題に真剣にとりくんでいるのは、おおむね事実のようですが、現状、麻薬の問題が完全に解決されたわけでは、ありません。
麻薬流通のとりしまりを強めるには、もちろん、アフガニスタンの政府の努力を支援しなければいけません。具体的には、(いきさつはともあれ)ケシの栽培で生活をたててきた貧しい人々が、代替作物でやってゆけるようになるように、種子を提供したり、インフラの再建を進める必要があります。20年の内戦で、例えば畑に水を送る施設(かんがい)がたくさん破壊されたようなので、そういうところから手をつけないとならないでしょう(ケシは荒れ地でも栽培可能なのだそうです)。今年の日照りで、畑にまく大切な種子を最後の食べ物として食べてしまった農家も多いようです。
あへんはともかく、ヘロインは、ヨーロッパで消費されるものです。単純化していえば、ヨーロッパ人がほしがってアフガニスタンに作らせているものです。この取引で、いちばん儲けているのは、アフガニスタン人自身じゃないでしょう。また、アフガニスタンでのケシ栽培がなくなると、ただならぬ事態が発生するのはヨーロッパ(の裏社会)においてでしょう。これは人間の弱点にかかわることで、アフガニスタンだけが問題の原因であるわけでも、アフガニスタンでケシ栽培をやめれば問題が解決するわけでもありません。
神学生たちは、いわば地上に神の国を作ろうとしています。「神の教え」に従った社会を作ろうとしています。このこころみは長期的には変更を迫られるでしょうが、意図は、まじめなのであって、「タリバンはテレビや娯楽を禁止しているから、ゆるせない」などといって、軍事介入の口実になるような話じゃないでしょう。アメリカと旧ソ連の双方が、物質的なちからでこの国をもてあそび、荒廃させたことに対する反省と反動もあったと思われます。
「結局アメリカが悪い」とか「ソ連がいちばん悪かった」とか、だれが良いだの悪いだのの議論もあるのでしょうが、まぁ、それはそれ、という感じで、要するに、みな「まじめ」に考えているわけです。旧ソ連としては、すべての国家が社会主義経済を採用することが、貧富の差をなくし全体の幸福につながると考えていたわけで、アフガニスタンでの共産主義革命は当然、応援したでしょうし、「反政府ゲリラで困っている。助けてほしい」と要請されれば、ゲリラのテロ活動から国を守るため、軍隊まで派遣しました。結果として、このソ連軍の介入は、現在、一般のアフガニスタン人からもひどく恨まれているようですが、派遣されたソ連の軍人さんだって同じように家には小さな幸せを持っていたわけで、命令に従って中央アジアくんだりまで出動し、アメリカ製の武器を持ったゲリラにやられてむなしく死んだ人も多いでしょう。
アメリカとしては、ソ連の拡大を防ぐのが正義だと考えていたわけで、アメリカの権益(天然ガスのパイプライン)のためにも、莫大な軍事支援を行いました。あなただって数億円払って作らせた豪邸が、だれかに横取りされたらイヤでしょうし、それを取り返せる可能性があるとなれば法廷闘争でもなんでもやるでしょう。アメリカだってソ連を追い払ってラバニ政権を作るのは、たいへんな苦労だったわけで、ラバニが大統領におさまってくれれば、計画通りにパイプラインも作れるわけです。かなりぶは悪くなってきたものの、まだラバニが完敗したわけじゃない以上、反タリバンに全力をそそぐのは、当然のことです。
さらにまた、すでに見てきたように、タリバンの論理も明快です。ムジャヒディーン各派が蛮行を繰り返し国がめちゃくちゃになっているなかで、「これでは、いけない」と立ち上がった純粋な若者たちです。
タリバンの「人権侵害」というのは、平時であれば正当な批判である部分も多く、戦時なのでやむを得ない部分、また戦時とはいえゆるしがたい部分などもあると思いますが、アフガニスタンの歴史、また世界の歴史全般を考えても、紛争当事者としては、非常に良いほうと思えます。アフガン・ニュースを見ていると、ときどき反タリバン側の一部隊が、タリバン側に投降した(ねがえった)というニュースがありますが(今では、もとムジャヒディーンも、たくさんタリバンに加わっています)、投降した敵は、それなりに暖かく迎えるようです。前述のカブール・ノートにも「タリバンは新しい地域に進出する際、まず交渉によって無抵抗の中を進軍しようとした。進軍には現金も大量に使われた。金をもらった局地支配者は丸腰にされ、その地域から放り出された。交渉にも買収にも応じない場合は殲滅する。これがタリバンのやり方だった」とあります。
タリバンの学生たちというのは、決して(アメリカなどのイメージづくりにあるような)凶暴なテロリストでは、ありません。むしろ、1994年ごろの無秩序状態に照らせば、アフガニスタンの平和を回復した救世主といって良いほどです。ただ、さしせまった命の危険がなくなってみると、たしかに国を救ってくれたタリバンですけれど、いろいろ細かい点で、今度は、タリバンのやり方に対する不満も出ています。それも事実です。とくに異文化の者からみると、イスラームのやり方は「過酷」に見える点があるでしょう。でもイスラームは、なにもアフガニスタンだけのことじゃないですし、異なる文化の価値観を自分の感覚とあわないというだけで否定するのは好ましいことでは、ないでしょう。
アメリカによるマスコミ工作は見事です。CNNにこんな反タリバンの宣伝をやらせてるほどです。やらせてるといっても、CNNは、そうそう政府の圧力で動くメディアでもなく、これは記者が、本当にタリバンは悪いと信じて書いている記事なのでしょう(たぶん国連が制裁をしているということは、相手は悪者に違いないと思っている……警察につかまったのだから悪いことをやったのだ、と信じられる無邪気で素朴な平和の人々)。自分で作ったテロ基地をゆびさして「あ!テロ基地がある」と叫び、そこにミサイルを撃ち込んで「悪は滅びました。わたしは正義」というなんて、どう考えても変てこな話ですが、当時の記録を調べると、けっこうアメリカがやったことは正しいと考える人が多い(多かった)ようです。もっとも、アメリカ国内での反応は、ラディン氏の問題も考慮に入れないと、きちんと説明できないでしょう。それは、またいつか……。
冒頭の写真と手記は、もともとは無関係のものですが、創作的に組みあわせてみました。写真の出典は、UNHCR Chief Sadako Ogata's Visit To AfghanistanにあるAPの写真、手記は、カブール・ノート フラッシュバック編2にある「アフガン人の10歳の少年が書いた、こんな文章」をもとにしています。