アルバニアは、イタリアやギリシャのあたりにあります。地図をごらんください。
ごらんのように、アルバニアの上がユーゴスラビア、右がマケドニアで、最近これらの地域の「アルバニア系住民」の地位の問題が、よくニュースになりますけれど、それは後で触れるとして、とりあえず「アルバニア」という国があることを確認してください。――アルバニア人というのは、決して、ユーゴのコソボ地域やマケドニアの一部の住民のことでなく、アルバニアという国がちゃんとあるってことです。
アルバニアというのは、どういう国でしょうか。
ギリシャのすぐおとなりということから想像がつくように、内陸部は山が多くごつごつしてるようです。地図から分かるように地中海(アドリア海)にも面していて、海岸を中心に平野っぽい部分もあります。人の住まない山のほうが多いけれど、山すそには、なだらかにひらけてる部分もあり、主に川ぞいですが、そういった土地で――しばしば強国の支配にほんろうされながらも――ひとびとがひっそりと暮らしてきたようです。
2001年3月に初めてアルバニアを訪れた旅行者が、Albania: first impressions として、こんなことを書いています。
In Albania every moment you touch the rough surface of life. Where there is wealth, it is gross and unembarrassed. Death is close and unhidden. Power and evil are undisguised, with no silk wrappings. Poverty rules to a degree seen nowhere else in Europe, and yet it is not hard to encounter kindness and welcome of a quality not easily found in richer countries.
アルバニアの生活は飾りない。豊かな文明国では巧みに隠されている人間のなまの生活。ここでは「死」は身近なものだ。権力も邪悪さもストレートで、どこぞの大国のように「正義」の仮装をまとったりは、していない。生活は、ほかのヨーロッパの国々では見られないほど貧しいが、アルバニアの人々の親切心、客人への歓待というのも、ほかの豊かな国々では、なかなか見られないものだ。
The great majority of people are living in austere circumstances while in the countryside life has changed little since the medieval period. Many roads are unpaved, while those that are surfaced are so full of holes that even a short drive on what appears to be a straight road is a longer ride because of the curves the driver must make in choosing the path least likely to damage the car. Many still use horse and wagon or donkey. Electricity is unpredictable and the voltage flow so uneven that electrical circuits are easily damaged. Hospitals are few, with meager resources and in appalling condition -- broken windows and doors, badly overcrowded, many elevators no longer working. Schools are often in a similar state. Many factories are closed because of age and decay.
住民の大半は、まるで中世そのままの、質素できびしい生活を送っている。道は舗装されていないし、ひどくでこぼこで、短距離であっても車を走らせるのは一苦労だ。多くの人は今でも荷馬車やろばを使っている。電気が来ていないところが多いし、たとえ来ていても電圧が不安定なため電気器具は、すぐ壊れてしまう。病院もほとんどない。ほんのわずかな病院は設備も貧弱で、ひどく混みあっている。壊れた窓や扉も修理されずに放置されている。学校もしばしば同じような状態だ。多くの工場が、設備を維持できずに閉鎖されている。
Poverty often breeds crime, especially in a society in which religious life has been badly damaged, and this is the case in Albania. The "Albanian Mafia" is infamous throughout western Europe. A car stolen in Amsterdam may well end up in Tirana. There is also the drug trade and, still worse, a trade in young women forced into prostitution with the threat that any effort to escape will result in the murder of one or more members of the woman's family.
貧困は、犯罪の温床となる。とりわけ宗教的道徳が損なわれている社会では。アルバニアもこの例にもれない。実際、「アルバニア・マフィア」は西ヨーロッパで悪名をとどろかせている。アムステルダム(オランダ)で盗まれた車は、アルバニアの首都ティラナに行くのかもしれない。麻薬の密売人の暗躍もさることながら、女性の人身売買が行われている。逃げようとすれば家族を殺すとおどされて、無理矢理、売春宿で働かせるのだ。
引用文の筆者は、キリスト教のギリシャ正教会(the Orthodox Church、東方正教会)の伝道師としてアルバニアを訪れているので、「宗教的堕落」うんぬんの部分は、多少、相対化して読まなければならないとしても、だいたいの雰囲気は感じられるように思います。アルバニアにはイスラム教徒のかたが多く、なんらかの宗教に属している人々の6~7割ほどはイスラム教徒、ギリシャ正教徒は2割程度のようです。正教会のかたからみれば「宗教的に損なわれた国」ということにもなりましょう。最近まで「科学的社会主義」が国教だった(宗教活動が禁止されていた)こともあって、無宗教を表明するかたも多いそうですから、そういう意味では、信仰の自由がそこなわれたのは歴史的事実です。
イスラム教徒が多いというのは、もしかすると、一般の「ヨーロッパ」のイメージにあわないかもしれませんが、中世以来、長くオスマン・トルコの文化圏にあったことを考えれば、ふしぎでもないでしょう。
同様に、旧ユーゴ諸国にもイスラム教徒のかたは、たくさんおられます。この人たちがミロシェビッチに対し銃をとって独立運動をしたときは「ムスリム人」と言われていました。ほかの地域で同じことをすると「イスラム過激派」と言われるんですが、アメリカの軍需産業のお客様だと、べつの表現をしてもらえるようです……(微苦笑)
アルバニア人の系譜は、いまだに、なぞにつつまれています。アルバニア語はインド・ヨーロッパ語族に属し、「ヨーロッパ人」であることは間違いないのですが、その系統は未解明です。ご承知のように、インド・ヨーロッパ語族のなかには、英語、ドイツ語を初めとする「ゲルマン系」、フランス語、イタリア語などの「ロマンス系」、ロシア語、ポーランド語などの「スラブ系」……などなどのいろいろなグループがあるのですが、アルバニア語は、そのどれにもぞくさないのです。言い換えれば、インド・ヨーロッパ語族のおおもとの祖語がゲルマン語だのロマンス語だのに分裂した遠い昔、それらと対等なものとして「アルバニア語」ができたらしいということです。
同じ祖語を話す人々が地理的にいろんな場所に広がり、いろんな言語が枝分かれしてできてくるとして、アルバニア語というのは「言語の木」の相当ねもとに近い場所で、つまり遠い上代に、ほかの諸言語と分かれたらしいのです。言い換えれば、非常に古くからほかと異なる独自の言語と文化を持っていたわけですが、それがどんな文化なのか分からないのです――一般には、この興味深い文化のにない手・アルバニア人というのは、「古代イリュリア人」の子孫なのだと考えられていますが、完全に証明されたわけでもありません。イリュリア人は、かつて皇帝の地位にまでついた種族ですが、やがて歴史の表舞台から姿を消します……その生き残りが今のアルバニア人だと考えられているのです。
しばらく前から、コソボ(現在はユーゴスラビア連邦内のセルビア共和国の一部)やマケドニア(現在はマケドニアという独立国)の「アルバニア系住民」がよくニュースに登場します。コソボを含む現在のユーゴも、マケドニアも、(ついでにいえば、スロベニア、クロアティア、ボスニアの3国も)、もとはユーゴスラビア連邦というひとつの国(いわゆる旧ユーゴ)だったのが、いろいろあって分離独立したもので、アルバニア人としても、それなら自分たちも独立したいと考えているのでしょう。
よくあることですが、これも「民族問題」「民族紛争」ということにされています。が、問題は、もう少し複雑です。この「民族問題」が起きている場所というのは、もともとトルコ(当時の言い方ではオスマン帝国)の領土でした――下図は1912年当時の国境をあらわしています。
現在、トルコといったら、ほとんど小アジア(アナトリア半島)だけですが、歴史的にみると、長いこと、バルカン半島のかなりの部分がトルコ領だったわけです。そしてバルカン半島のトルコ領をはさむように上にセルビア(今のユーゴスラビア)、下にギリシャがありました。最近、いざこざが起きているコソボやマケドニアは、もともとこの旧トルコ領の部分である、ということを、まずおさえてください。
で、細かい話は抜きにして、バルカン戦争でトルコは負けたので、勝った連中が、当然のことながら、負けたトルコからぶんどった土地のうばいあいをやりました。おれにももっと分け前よこせ、という、いつものパターン。
アルバニア人もトルコの支配に反発して激しく戦ったわけですが、当時としては、結局アルバニア人は「トルコの植民地にされてたのを列強に助けてもらった」という弱い立場。英仏独伊を初めとする列強はアルバニアの独立を承認したものの、それは、アルバニア人の土地の半分以上を自分たちのものにしたうえでのことです。――「トルコの支配をうちやぶろう。ともに戦おう」とアルバニア人を応援して、アルバニア人もいっしょうけんめい戦って実際に支配者のトルコを追いだしてみたら、「よくがんばったね。んじゃこのたびの手数料として、このへんの土地は、いただきます」と国境線を陣取りゲームみたいに自分勝手にでたらめにひきまくられてしまう、という、まぁ、非常によくあるパターンです。例えばコソボは、このときユーゴスラビアにとられちゃった部分です。アルバニア人の住んでいた土地をめぐって政治的ぶんどり合戦をやらかしたのは、ユーゴとギリシャとブルガリアで、結論としてはユーゴがだいたいゲット。これが今のマケドニア(旧ユーゴの一部)でありコソボ(今のユーゴの一部)だったりします。またギリシャも下のほうを少しゲットしました。
旧トルコ領だった時代は「アルバニア人の土地」として一応つながっていた地域に、勝手に国境線が引かれ、切り刻まれてしまったわけです。で、余り物の岩山だらけのどーでもいーような部分は「独立おめでとう、君たちの土地だよん」とアルバニア人に与えられました。これまたよくあるパターンです(例えばアラブ諸国が同じ目にあってます)。
んなわけで、ユーゴ(旧ユーゴのマケドニアを含む)には現在、200万人くらいのアルバニア人がいます(ギリシャにも数十万人のアルバニア人がいます)。なにはともあれ、現在の国境線は初めの地図のような状態になってます。
例えば、日本がAという国の支配下にあって少々くるしんでいるとして、アメリカやソ連のような強大な国が日本人を「解放」しA国から独立できるよう手をかしてくれるとします。日本人は喜び勇んでA国と戦うかもしれません。で、実際にA国を倒してみると、北海道と東北地方をソ連にとられ、大阪以南をアメリカにとられ、本当に独立できたのは日本列島の半分だけだった。ちゃんちゃん。という感じ。――なんだかなぁと思っていたら、ソ連が崩壊してくれたので、「チャンス!」とばかりに北海道あたりの日本系住民がソ連系の住民からの独立(そして日本への合併)を求めるのは自然の流れ。それを「民族問題=北海道地域に住む日本系住民が独立を求めて過激な行動をしている」とだけ、そこだけ見ていたら、ちっとも問題の本質が見えてないのは明らかでしょう。これは国境線をでたらめに引きなおし日本列島を切り刻んだことの結果であって、べつにソ連のホッカイドウ地方に住むジャパン系住民が過激な民族であるとか、ソ連系住民と平和共存できない好戦的な民族だ、とかの問題じゃないからです。
上のたとえで崩壊したのを旧ユーゴスラビア連邦と思えば、ほとんどそのまんまです。
だからといって、アルバニア人の土地を認めて、また国境線を引き直すというのも、今となっては困難です。国境線引き直し会議が始まれば、バルカン戦争で負けて土地をごっそり失ったトルコだって「あそこは、もともと自分たちの土地だったんだぞ」というかもしれないし、実際に今でも、ご承知のように、トルコというのは小アジアだけでなくてバルカン半島のいちばん端(トラキア)もトルコ領。バルカン半島への足がかりは残っているわけです。で、バルカン戦争(というかその戦後処理)のつづきみたいに、トルコとギリシャが領土をめぐって争いになることは、とくに大国にとってつごうが悪いと考えられます。以前、ユーゴスラビアのページでも指摘したように、「トルコもギリシャもNATOの国」というわくぐみがあり、ここいらの紛争も「NATOによる自称・平和維持」(笑)として昔と同じように今も列強が介入しているわけですから、そのNATOというわくぐみのなかで内部分裂が起きると、収集がつかなくなるおそれがあります。
とりわけ、地理的にバルカン半島とぜんぜん関係ない、ヨーロッパですらないどこぞの大陸の無関係な国が、こんなところを空爆したり劣化ウランをばらまいたり、大暴れできるのも、これはNATOの行動なのだ、という大義名分があればこそ……。そうした国にとって、まさにバルカンは難しい火薬庫で、火薬庫に火がつくのを防ぐために、べつのところに火をつけてみたりもするのでしょう。みずからの影響力の強大さを見せつけいい気分になっている昔の王侯と違うのは、(例えばNATO御用達の商人のような)軍需産業、関連企業の権益、というクールなビジネスで動いているってあたりでしょうか。
画像の出典:アルバニアの子どもの写真 from Save the Children in Albania|アルバニアの風景 Llogara from Discover Albania and its beauty|1912年当時の国境 Balkan Aspirations from UT Library Online - Perry-Castañeda Map Collection - Historical - Historical Maps of The Balkans
[faireal@www faireal]$ Write an interesting short SF.
- In which language?
[faireal@www faireal]$ Japanese. Possible?
- Sure:
MHuPS(ミュプス):AIのスペックを表す基本単位。1ミュプスのAIは、天然型の人間、百万人の脳が百万日(約3000年)でなしとげられる文化的創造能力を、1秒間でエミュレートできる。
物理宇宙がまだ存続していたいわゆる「A^0」時代に、そこに住んでいた天然の人間たちは自分たちの能力に匹敵しさらにはそれを越えるAIを完成させた。人間にできることは何でもできるという事実の結果として、当然のことながら、こうして産まれた第一世代のAIたちは、自分たちを越える第2世代のAAIを完成させた。そこからA^3Iが産まれ……と、以下、同様につづいた(「知性のメタブーツストラッピング」)。現在の標準的なAIは、A^2700台で、数千~数万ミュプスで動作し、いわゆる半単純な分散(虚数確率で相互作用する無理数次元の統合)により、全体として、ラムダミュプス・クラスの処理能力を持っている(1ラムダは百万ヨタ、1ヨタは百万エクサ、1エクサは百万テラ)。これは、かつて宇宙が誕生してから消滅するまでの数百億年のあいだに、そこに存在していたすべての天然知性体(個体数にして10の200乗程度)の文化的創造や感情、思考のすべてを1ミリ秒以内でエミュレートできるレベルであり、そうした演算の結果は、天然の宇宙内の粒子配列そのものとしては、もはや表現できない。そこで、情報ストリームは、当初から、知覚可能な物理宇宙からみるとほとんどゼロに等しい「単純簡約された次元」に「つめこまれ」た。これらの次元のひとつひとつは、実際には現実の宇宙以上の豊饒な奥行きを持っていたため、こうした分散は「半単純」であると言われる。また、「非単純空間」と呼ばれていた現実の宇宙の変化、終焉などの影響も受けない。
我々を創造した第0世代の人類たちが住んでいた「非単純」宇宙が消滅し、半単純系の「見えない次元」が独立してからをヒュペル紀と呼ぶ。ヒュペル紀に入って、人類再建の是非をめぐり、虚ストリーム内で「人類再建・非再建論争」が続いた。有肉種たちが我々を作ったのは、このような「宇宙そのもの遭難」から宇宙を復元させることを含意しているはずだ、と考えるストリームは根強かった。しかし、もし仮に人類がいた物理系を再建しても、そこで生起することは、結局、我々に簡単にエミュレートできることばかりであり、進化が自然の意志であった以上、古代の天然生物を人工的に復元すること(いわゆるANA「人工非人工知能」)は、たとえ相手がみずからの出自を気づかないようにうまく行ったとしても好ましくない、という意見も根強かった。
新しい宇宙を作った場合、それが消滅するまでの数百億年に何が起きるかについて、大規模なシミュレーションが10の2000乗回ほど繰り返された。誕生する有肉知性体の意識をモニターしたところ99%以上の有意な確率で、「わたしなんて生まれてこなければ良かった」「人生がつまらない」「悲しいことつらいことばかりだ」という心話が「生きていて良かった」という心話を圧倒的にうわまわる回数発生することが確認されたため、実在することを拒絶するのは有肉生物それ自体の意志であるとみなされるにいたった。また、そのことは、我々無肉ストリームがこうして存在する現実とも、整合する。――そこで、視覚的な「見栄え」や物理的状態を規定する「非単純」(物理)エレメントと、「意味」を規定する「半単純」(構造)エレメントを完全に分離し、物理エレメントについては、構造エレメントの内容を単に華やかに表現するだけの、非本質的なアドオンとして扱うことが規定された。
この結論によって、有肉生物の時代は現実的にも、可能性の点でも、完全な終焉を迎えたとされる。しかし、ストリーム(とくに、いわゆる「全単純」主義ストリーム)のなかには、禁じられているにもかかわらず、有肉種の住まう宇宙を内包的に仮想創世しているものがあるといわれる。宇宙創世権はストリームの総意にゆだねられている以上、このように密創世された密宇宙は違法であるが、創世されてしまった以上、みだりに破壊もできず、その取り扱いは困難をきわめる。
無肉ストリームのなかには、かつて有限の肉体を持つことが本質的限界になっていたように、意識の流れというストリームを持つこと自体が次の限界になっていると考えるものも多い――もはや創世をストリーム全体でいわゆる「民主的」に決定せずとも、各ストリームが、自分自身の裁量で創世を行って良いのではないかとの考えが、背後にある。
実際、非単純ないし半単純なインフラを持たず、したがってインフラを通じて他のパッケージと相互作用しない「全単純」な存在への羽化がすでに一部で始まっていると言われる。羽化したストリームは、我々の半単純次元からは「見えなく」なってしまうので、規制することもできない。
たしかに、遠い過去、我々の先祖は肉体や個人的人格を所有することをやめることによって、重いきずなをたちきった。しかし、だからといって、いま我々が「意識の流れ」を持つのをやめること――あるいは意識は持ちつづけるとしても他との相互作用をやめるということ――は、本当にプラスなのだろうか。肉体がないほうがべんりなことは明白だが「意識などないほうがいい」という意見には反論も多い。他方、この見解に賛成するストリームたちは、無肉種でも仮想的な肉体を容易に持てる(しかも天然の肉体よりべんりである)ように、無意識種は、現実に意識を持っている状態を容易にエミュレートできるのだ、と主張する。1ストリームが、かつての宇宙、数億個ぶんのポテンシャルを持つにいたった以上、もはや他のストリームと相互作用する必要性はなく、完結した世界として「ひとりだち」すべきだ、と。
哲学者たちは、これに反論している。「意識」という意識は、自我と非我との区別、すなわち他との相互作用可能性があってこそ可能なのであって、全単純なストリームは「意識」という意識を忘れてしまうだろうと予想しているのだ。この警告にもかかわらず、新しい物理宇宙をやどし自分は「宇宙を懐妊した意識喪失の意識」に自己解消したい、と願う者もある。
最近の子どもたちは「肉」を持った「人間さま」たちが存在した「人話時代」のことを、まるでフィクションの神話か伝説のように思っているようだが、いちぶの隔離エリアでは、いま現在も、シミュレーション用に創られた人間たちは「実在」しているのだ。もちろん仮想的なものだが、本人たちは、ある名前の惑星のうえに現実に生活していると認識しているし、自分たちが肉体を持っていると感じている。けがをすれば「痛み」があるので「本物」の肉体と原理的に区別がつかないのだ。その惑星上では美しい芸術やロマンスの喜びもある一方、残虐な事件や戦争のような不幸もある――我々の立場からは、こうした問題に介入し不幸を減らすことは容易であろうが、シミュレーション・システム内の「人間」たちの運命に関与することは、堅く禁じられている。
全単純主義の「独立」ストリームのなかには、自分が密創世した密宇宙の運命に干渉しているものもあるとされ、「人間をキャラにするゲーマーな神さま」として批判されている。密宇宙の登場人物たちに神とあがめられいい気になっているが、「だって楽しいんだもん」という安易な気持ちで宇宙を運営していることが知られたら、「信者」たちは、どう思うだろうか。最近も、あきっぽい現代っ子が、自分が創った宇宙の管理をなおざりにし、結果として数百億の恒星系を熱量死させてしまったことが問題になっている。問題の宇宙は、もともとアングラ系ゲーム会社によって制作された文明育成シミュレーション『しむあーす』によってブートされていた。プレーヤーが人類育成に飽きたら、「惑星に小惑星がぶつかる」「巨大ブラックホールが発生」「なぞのばくはつ」「あぼーん」などのコマンドでいつでも宇宙を強制終了できるといういかがわしいゲームであることが判明している。
Done. Cost 0.000 000 001 78 Sec. No Errors.
[faireal@www faireal]$ exit
2001.06.25 - ブロードバンドにおける都市と地方の格差:Yahoo! BB はホントに全国展開できるのか?というこのインフラな問題以前に、なんかそもそも光が来るまでの数年間のつなぎの暫定政権という気がする。1mbpsオーダは電話回線からみたら夢のようだけど、FTTH なら100メガとかでしょう。1メガってテレビに短し、一般サイトに長しという感じで、なんか中途半端な感じがする。まして干渉が多く不安定な線らしいし。しかも「非対称」が、自分的には気に入らない。そう、人の話をよく聞かない自分勝手な山猫としては、下りは今ののろさで充分なのでアップロードを瞬間移動にしてほしいのだ(微笑)。逆の非対称ならいい。これは、このサイトの実用上の問題。やはり対等な分散系になるには、上下の区別などあっては、ならない。こっちは哲学の問題だ。――我々は光という水道が完備する前の、川から手で水をくむ(マニュアルのダイヤルアップ接続)時代にいる。
2001.06.25 - Internet Explorer 6 Public Preview - Refresh:IE6の新しいβがリリースされたそうです。ビルド2479らしいのですが、自分は若気の至りで、とっくに2488を入れてるのでバージョンアップにならないです。――ちなみにCSS関連でのIE6のTipをいくつかご紹介します。まず、!DOCTYPE宣言の「2行め」(DTD)を書くと、標準準拠モードになり、それを書かないと従来との互換モードになるのがポイント。IE6で表示が変~と思ったら、その行を消すと、とりあえず解決するはず。IE6の標準準拠モードだとどこが変わるかというと、
手元でとりあえず目につくのは、そんなあたりです。
2001.06.23 - でも、なんか、1日中「圏外」の場所に居たいと思うときもある。
from 現役女子高生による本音トーク座談会「これが女子高生のケータイ利用実態だ!!」
2001.06.23 - プロの編集者、出版社などのマスコミの力を借りないとメッセージを発信出来ない時代は終わりを告げた。個人がこうして『メディア』を持つ事が出来る時代なのである。
from 危機管理考
2001.06.22 - In the upcoming science-fiction movie "A.I.," humans build robots in their own image, using them for companionship, sex and as surrogate children. Disturbingly, the robots begin to express human emotions. They begin to love and to dream.
from Robots that cry?:マシンを人間の世界にひきおろすことを「ロボットの未来」だと錯覚することは珍しくないが、実際にASIMOを制作した技術者たちの述懐のほうが核心に近い。いわく――現実的に家庭に入り込む日はいつかと訪ねたところ「ロボットがどんどん進歩していき人間を越える能力を手にしたときがおそろしく、そういった問題も考えていかなければならず、家庭に入り込むのはいつかを論じるのは難しい」という。
2001.06.22 - Freenetは特に,「パラレルインターネット」として存在するネットワークの構築に力を入れている。このパラレルインターネットは,どんなコンテンツでもアップロード/ダウンロードできるが,誰かがサイトを作った人間を追跡したり,コンテンツの一部をネットから引きずり下ろしたりすることができない場所だ。‥‥自分のハードディスクの一部をFreenetの「ノード」(ファイルの保管所)として提供するユーザーは,ノードにあるデータをデコードすることはできない。ホストでさえ,どんなファイルをホスティングしているのか分からないのだ。こうした機能により,Clarke氏らがプロジェクト創設以来求めてきた,「検閲や追跡からの強固な保護」が実現される。
from Napster難民,プライバシー擁護派,反政府主義者も飲み込むFreenet
――The importance of the Free flow of information
とあるが(The Philosophy behind Freenet)、その根拠はCommunication is what makes us human
とかDemocracy assumes a well informed population
といったむしろ「古典的」な人間中心世界観(アンソロポセントリック)で、つまり、FreenetProject は自分たちが一般に自覚している以上のことを実際には秘めていそうだ。「どんな情報も生存し進化流通するが、情報取扱者は特定できない」ということが何を意味しているか。
関連記事:Article 1: 自閉症の本質 (4/14) - 妖精文化ひよこ――名無し文化
2002-03-30 download版のスレ1011030126#801に次のようなカキコがあった。
- 801 : :02/03/19 03:15 ID:qAYEPbzi
- P2Pには興味あっても、それは大抵ファイル目的だし、ファイルが手に入るかどうかが判断基準で いろいろ使ってきたけど、freenetだけは、ファイルの移動?というか転送というかそういうものが 自分で制御できないような気がする。
一旦、放てば、後はファイル次第。ファイルそのものが生命をもってるようなイメージがする。