2002年6月3日: ごらんのページには古い日記がおいてあります。新しい日記は新しいサイトにあります。移転先
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2002年5月6日: 写真を少し整理しました。
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(編集者・注)現地で取材活動中の、写真家の久保田
今日は、ナッサルバールから難民がアフガン国内に帰っていくところを取材したとのこと。いま外務大臣が来ているので日本のマスコミも増えているはずですが、やはりというか、こういう地味なニュースについては、ほかに取材に来る者もなかったそうです。現地では代表的な難民村であっても、日本ではほとんど無名でしょうし、それがなくなるという住民にとっては人生の一大事のできごとでも、日本のマスコミ的には、まったくニュースバリューがなくマスメディアには乗り得ないのでしょう。「20年住み慣れた難民キャンプを後にする彼らの複雑な気持ちを少しでも日本に伝えたいと思います」と久保田さんは話していました。
「難民生活者が本国に帰れるようになる」――単純に考えればめでたい話のようですが、当事者の立場にたつと話はそう簡単でもないようです。もともとパキスタン政府によって、いつ追い出されるか分からない不安定な立場だった人々――「平和」になった故国に帰れると言うものの、その「平和」が往々にして皮肉なひびきしか持ちえないことを知っている人々。
ナッサルバールへ。ナッサルバール(約20年前からあったアフガン難民キャンプ。アフガニスタンの隣国パキスタンにある)に入る許可を再び取った。
ドライバーが融通きかなくて、友人のアジーズに会いに行くだけなのに、コマンダーに挨拶しなければならない。と言いだし。結局アジーズの家でお茶をご馳走になるだけなのに、ライフルを持った人間がついてきてしまった。
しかも彼はアジーズの家に土足で上がり込んだ。
せめて子供達の前ではライフルは見えないように気を遣ってほしかった。
ずーっとお茶を飲んで、話をしているだけなので、彼はしびれを切らして帰って行った。僕はライフルを持った人間が去った後のアジーズの娘達の真の笑顔を忘れない。
写真はアジーズの娘達(原寸大, 98KB)
ナッサルバールは6月末までに今度こそ閉鎖される予定だ。何度も訪れたため子供達は僕を見ると「ヒロ、ヒロ」と寄ってくる。彼らにとってはナッサルバールが故郷なのだ。その生まれ故郷を離れ、友達と離れ、新たな土地に引っ越すことを子供達はどう思っているのだろう。
アフガニスタン本国へ帰る難民はいいが、アジーズを含め、時期尚早だと思ってパキスタンに残る難民は大変だ。何処かの難民キャンプに移り住むか、自分でお金を出して家を借りなければならない。
20年にわたる長い歴史をもったナッサルバールが今消えようとしている。
シャムシャトゥ難民キャンプ(shamhsatu)の学校。
ナッサルバールほどではないが、シャムシャトゥからも難民が帰還し始めている。 何人かの子供はアフガニスタンに帰りたいと話していた。
シャムシャトゥは、英字では Shamshatoo, Shamshatu などとつづられることが多い。
(www.faireal.net の記事より)
よくアメリカ映画で影のある登場人物がベトナム戦争経験者という設定になっている。実際、ベトナム戦争でこころにトラウマ(こころのきず)を負い、PTSD(つらい過去の思い出のために今の生活も大変になってしまうこと)とともに生きる元・兵士たちが少なくないという。
安全な空から爆弾を落としたりするのが、こころの重荷になるようなつらい過去なのだろうか、と疑問を持つかもしれない。
でも想像してみてほしい。たとえ相手がとるにたらないイモムシであったとしてさえ、毎日毎日、朝から晩までイモムシをつぶす作業をさせられたら、どうだろう。いやな作業だろう。あとから悪夢にうなされるかもしれない。
ましてや、この場合、空の下にいるのはイモムシではない。自分と同じように冗談を言って笑ったり、クラスメートに恋したり、お母さんにしかられて涙ぐんだりする生きている人間だ。
ベトナム戦争で使われた
言いつけられて人殺しをしているけれど、なんのうらみもない相手だ。アラブ人がアメリカのビルをこわしたらしい、というけれど、証拠のハッキリしないウワサにすぎないし、同じアラブ人というだけで関係があるとは限らない。そもそもアフガニスタンに住んでいるのは、アラブ人ですらない。ここは中国のむこうにある山のなかの中央アジアの国で、住民のほとんどもアジア人だ。かんたんに考えても、むずかしく理屈をこねても、すじの通らないことなのだ。
「すじが通らないことをするからアメリカ人は悪い」と言いたいのでは、ない。むしろ、そのように「アメリカ人」をひとくくりにするのが、間違いのもとだ。実際に軍隊にいて、人殺しを言いつけられるアメリカ軍の兵士たちだって、ホントはイヤだろう。人殺しが本当に楽しくて楽しくてしょうがない、なんて人は、たぶんめったにいない。
攻撃をするほうも、ずっと一生、こころの重荷となるかもしれない。ベトナム戦争のときもそうだったように。
安全なヘリコプターから爆弾を落としたりする側でさえ、そうなのだ。
朝一番アフガンビザを取得しに行く。しかし!火曜日と木曜日しか受け付けていないようだ。そのままナッサルバールへ行く。ナッサルバールは難民の帰還計画も始まり、人口が全盛期の3分の1くらいに減っている。月曜にはまた400家族がナッサルバールから出ていく予定だ。パキスタン政府としてはあと1〜2ヶ月のうちにナッサルバールを空にするつもりらしい。
ナッサルバールの町は全体の5分の1くらいしか残っていない。
テロ事件後復活するかと思われた学校も取り壊されていた。
今回クエッタ近郊の難民キャンプで、かつて難民がいたが、他に移り住んだり帰国したりで使わなくなったキャンプが空爆の避難民を収容するために再利用されていた。願わくば、ナッサルバールが2度と使われないことを祈る。
写真はナッサルバールの壊された家をバックにアジーズ兄弟と僕。
ラーワルピンディーでパキスタンの女性団体(ジャムリアンマンパーティ)のデモがあった。(平和的なデモ)
彼女達は今回のムシャラフの信任投票でムシャラフを応援しています。
ビザの手続きのためにイスラマバードに向かう。ジャーナリストビザのため手続きが煩雑であちこちをたらい回しになる。情報省、内務省に行き、時間切れ。また明日手続きの続きをしなければならない。時間が余ったので某国大使館に行った。アフガニスタン大使館に出すためのレターをもらいに行った。出てきた担当の女性がIDの提示を求めたのでASIA NEWSのIDと日本新聞協会の特派員証をみせた。すると係官は「他の身分証明書はないか」という。すったもんだの挙げ句「担当者がいないので2時間後に来てください。」と言われてしまった。某国大使館で一番愛想がよかったのは警備のお兄さんだった。他国の大使館で冷たくされるのは仕方ないと思うけど、自分の国の大使館で冷たくされるのは悲しい。
4月30日、ムシャラフ大統領の信任投票が行われます。町にはポスターがそこらじゅうに・・
地元の人
4月17日10:58Take off MH89
インド上空が飛行可能になったので、今回は
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