アフガニスタン写真報告

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久保田 弘信

2002年2月2日

サウジアラビアの人たちとディストリビューションへ行く。場所はカンダハルの中心部から2キロ程の場所。12時45分。9時半から始まったディストリビューションはまだ続いている。サウジから二人が来ているが、地元アフガン人との調整がうまくいっていない。誰に物をあげるかがはっきりしていない。お金はあるようだし、すごい量の米とドライフルーツを持ってきている。ドバイからカラチ、クエッタそしてカンダハルへと運んできたようだ。惜しむらくは国際スッタッフの少なさだ。2家族に1袋の米と一缶のドライフルーツを渡し、後で半分づつ分けてもらうというシステムが混乱を招いている。それぞれ二人組が作られたが、ある二人組は片方のおばさんがファルシーしか話せず、もう一人がパシュトゥーしか話せず、どうしてようか分からない状態ができてしまった。サマリーならこの十分の一でも多いくらいなのに・・現地の調査をするNGOと物をだすNGOがタイアップできればいいのに・・調査は決して地元の人に任せてはいけない。サウジの人たちは3時過ぎに残りを地元のスタッフにまかせてホテルに帰ってしまった。

取材のひとこま
国連のマークが入った青い帽子をかぶっている久保田さんの写真 サマリーの人たちと(94KB)。「ちなみに僕は転職してUNHCRのスタッフになった訳ではありません。」(2002年2月8日)
けばけばしい大型トラックの周りに人が集まっている写真 移送される難民(102KB)。「見えない難民として、クエッタ市内に住んでいた難民達がUNHCRによってセットアップされた難民キャンプに移送されている。僕が嬉しかったのは、ハザラ、ウズベクなどの少数部族のための難民キャンプ(LATIF ABAD)が作られたこと。サマリーに住む人たちにも、移り住むことを明日勧めます」(1月29日)
かっぷくのいい男性と握手する久保田さんの写真 ヒロ長官と(53KB)。「日本語にあえて訳すと官房長官。(chef de Cabinet) とっても偉い人なのに、食事をしながら気さくに話をしてくれた。 今度カンダハルのオフィスにいくそうだ。 名前が発音が少し違う物の僕と同じヒロなので、僕のことをすぐに覚えてくれた。 カンダハルでの再会が楽しみ。」(2月9日)
2002年2月7日

日本のみなさまご無沙汰していました。僕はようやくカンダハルからパキスタンに戻って来ました。後数日で日本に帰れると思います。日本は春に向かているのでしょうか? こちらは昨日の最低気温かー15度でした。早く日本に帰って温泉に入りたいでーす。

2002年2月11日

みなさんお久しぶりです。無事に帰国する事ができました。3月一杯は日本にいる予定です。宜しくお願いします。

リンク

堪え忍ぶ表情の人々の集合写真

サマリーキャンプの人々。214KBイメージのサムネイル(部分)

2002.02.06 「アフガン日記: 手榴弾(しゅりゅうだん)のある車内 」をアップ

2002年1月パキスタンにおけるアフガン難民の状況(どのミラーも同内容)

2001年、空爆後の取材メモ(どのミラーも同内容)

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