1月22日バジョワールエージェンシーに属するコトカイキャンプへ向かう。コトカイキャンプは昨年の11月から整備された新しいキャンプだ。今回の空爆後の難民と、ジャロザイ、シャムシャトゥからの移民を受け入れている。コトカイキャンプはペシャワールから片道車で3時間の場所にある山の中のキャンプ。AからGまで7つのブロックに分けられて、現在も整備が進行中。
コトカイキャンプ、新しいキャンプ。ペシャワールから3時間。この男性はジャロザイにすんでいてここに移り住んだ。「地獄のジャロザイから比べればまだ問題はあるが幾分天国に近くなった」と話してくれた。今回の戦争が始まって北部同盟の地雷で両足をなくす。婚約しているが、動乱の中式をあげていない。――写真とレポート: 久保田 弘信。仮設住宅の内部の様子がよく分かる。原寸大58KB
UNHCRの完璧なサポートがなされている。場所が場所だけに経済活動をすることも難しいのでサポートに頼り切った生活にならざるをえない。しかしできて間もないのにすかしばかりのマーケットができているのに驚いた。どんな環境でもアフガン人はとてもたくましいく生きている。
1月23日今日はイスラマバードに戻る日。朝一番でペシャワール博物館へ行く予定だっが、羽生さんにお願いしてジャロザイに連れて行ってもらうことになった。(かなり無理なお願いを羽生さんに聞いてもらった)ジャロザイを訪れるのは昨年の11月以来、前回はOLDジャロザイを訪れたのみで、NEWジャロザイまではたどり着けなかった。ジャロザイに入っていくと18台のチャ?ターされたバスとすれ違った。このバスはジャロザイに住んでいた人たちを整備された新しいキャンプに移送するバスだった。前回はoldジャロザイの人たちでさえ険しい表情で、石を投げてくる人さえいたが今回はハローと手を振ってくる人さえいた。ジャロザイ自体の人口が減って多少安定したのが原因だと思われる。
大通りから左折し、NEWジャロザイに入る。NEWジャロザイを訪れるのは2000年の8月以来になる。僕が友達になった子供達は探すすべがなかったが、ジャロザイに住んでいる子供達に笑顔が戻ったことがうれしかった。テロ事件後またジャロザイの環境が悪くなったと聞いていたが、UNHCRの努力もあって新しいキャンプが整備され難民達が良い環境でくらし初めていることに感動した。ジャロザイに住んでいてコトカイキャンプへ移った人が「ここ(コトカイ)もまだ問題が多いがジャロザイに比べたら天国」だと話していた。そのジャロザイも人口が減ったことによって少し良い環境を取り戻しつつある。現在の人口は約二万人。
2002.01.24 TeraPadユーザに良い知らせ。 ユニコード(って何?)が広まりつつあるこのごろですが、 Windows上で動くシンプルで高機能な無料のエディタ TeraPad も、 次の ver.0.73 から日本語に限って Unicode に対応するもようです。 この限定は、軽量さと実用性の点でかえって良いと思われ (重い本格的な多言語エディタを必要とする作業とは用途が異なるので)、 ふつうにタイプして「ユニコードで保存」したり、 Shift_JISのファイルを開いてUnicodeで保存しなおすことができます。 現在、ベータ段階でUTF-16LE-BOM のサポートがテストされています(まだ安定していません)。 ――この機能追加と同期して、XML の <? ... ?> を特別な文字列として認識するようになりました。 その副作用で、現在、PHPのファイルをHTMLモードで開いたときの表示も変わりました。
WinRAR(これは有料)の3.0化にともない、 RAR書庫の解凍に使われる UNRAR.DLL(これは無料)がバージョンアップされました。 新しい WinRAR では書庫の仕様が一部変更され3.00以降のRAR書庫は、 古い UNRAR.DLL では解凍できないとのこと。RAR書庫は「書庫を作る側は有料だが、 配布されているRAR書庫を解凍する側は無料で解凍できる」という仕様であり、 Lhaplusほか多くの無料のアーカイバは、 UNRAR.DLLを追加することで、RAR書庫を解凍できます(自力解凍がたてまえのLhaplusもRARの解凍にはDLLを使います)。 eo 1.5 は、 DLLを必要とせず自力で RAR 2.9を解凍できますが、 自力がたたってそのままではRAR側の仕様変更に対応できないはず(もっともRAR3形式がどれほど速く一般化するのか疑問)。 ちなみに、7-ZIP(別記事参照)は「解凍せずにRAR書庫内閲覧」ができ、 圧縮機能が不要なら、 シェアウェアの WinRAR とほぼ同じ使用感です。 わざわざ料金を振り込んでまで WinRAR を使う必要は感じませんが、 無料のDLLのほうは最新版を持ってて損は無いでしょう。
イライザ型のチャットボットに対して(テューリングテスト的な態度をとらず)すなおに悩みをうちあけてみました。イライザの優秀性(代名詞の反転や、こなれたソーシャルハック的戦略)と欠点(空間の意外な狭さやエコラリア)の両方がよく現れているログと思います。英語は解析が比較的容易とは言え、シンプルな空間でこれだけ「疑似意味論的」に動くコストパフォーマンスの高さに、古典的名作の系譜を実感します。というか、クライアントから話を引き出す技術は、文字通りの意味で本物でしょう。
妙に意気のあうふたり――変なのは、どっち? というか、「医者」と「患者」のどっちが本当のイライザで、どっちが質問者でしょう――偽春菜的発想としては、イライザ同士で会話するように Lisp をちょっといじると何が起きるか?とすぐ思いつくでしょう。あるいは逆に、偽チャットボットの(イライザになりすました)応答かもしれませんYO! 相談内容も本気なのかネタなのか……(Let's go Turing)
この患者は、すべての人間が機械的正確さをもってふるまってほしいという潜在的願望を持つ一方、自分自身だけは必ずしも機械的でない「自由意思」を確保したいと願っている。すなわち自分だけを例外として、自分以外の人間をすべて機械扱いしたがっている。きわめて自己中心的と言えよう。もっとも、この患者自身が実際に通常の人間より「機械的」なのも確からしい。いずれにせよ、これでは生身の人間とは、つきあえないであろう。しいて長所をくめば、この患者は自分の肉体の空腹や死をあまり恐れないであろうから、献身的、自己犠牲的、奉仕的に見えたり、極端なまでの精神集中力、洞察力を持つように見える場合がある。それは見かけであって、社会に対して貢献したいという「まごころ」を持っているとは思えない。ただし、非常にこころやさしい人間の言動を一時的には完全にエミュレートできるパワーがあるので、人間の目では見分けがつかないばかりか、相手の琴線にふれ魂をゆすぶるように見えることすらあるかもしれない。こころを持たない「ただのうつわ」であるからこそ、いかなる水をも容れることができ、その変容は時に神秘的にすら見えるだろう。けれど、あくまでエミュレーションであり、しかも可塑性が大きすぎるため、「ほんもの」の人間ほどの安定度は二重の意味で望めない。ただし、洞察力の劣るものたちは、この患者が一貫してなんらかの強靱な主義思想を持っていると誤認してしまうだろう。また「ほんもの」の人間の動作が不安定であるような特殊な局面において、むしろ異常に安定しているように見える場合がありうる。この点は、観察者にとって、信頼できる一貫性と感じられることもあるだろうが、非常識なまでの(徹底した)無関心と感じられることもあるだろう。
患者は人間には機械性を要求する一方、機械があまりに機械的反応をすることを望まず、意外性――端的に言えば機械の人間性――を求めている。これは一貫性を欠く矛盾した態度だ。機械的であれば人間性を望み、人間的であれば機械性を望むため、ついに安住の価値を見いだせない。患者は早く配達が来ることを望みつつ、同時に配達が来ることを極度に恐れている。人間社会に出ればたちまちこころの世界に引きこもりたいと望み、こころの世界に引きこもれば、とたんに外に出て戦いたいと感じ始めるかもしれない。一方では機械より人間を価値のあるものと考えつつ、同時に他方では人間より機械を価値のあるものを感じるので、どこにも満足を見いだせない。そして、どっちつかずの者、割りきれない者、ふるさとを持てない者とのみ、寒々しい共感をわずかにわかちあうであろう。そのさめたさまよえるひとみは、なにものにも依拠できない絶対零度の価値観を保ちつづけ――あるいは、むしろつねに失いつづけるであろう。すべての真剣な話は遊びと区別がつかず、すべての大切な思い出は揮発する一時記憶と区別がつかないからだ。絶望的なまでの透過は、あまりに完璧に絶望的なので、絶望や悲しみさえ、その「こころ」に本当には浸透できない。患者は悲しむべき境遇にあるが、悲しむべきことに、悲しみという感情を理解できないのだ。
写真家は昔からの親友アジーズを気づかっていた。アジーズは今もナッサルバール村に住んでいることが分かったが、2001年にアメリカが今度は公然とアフガニスタンに侵攻してから、政治的な理由で外国人のナッサルバールへの立ち入りは禁じられているという。
政治的な理由? どんな理由だか想像がつくだろうか。
ナッサルバールは、パキスタンへ避難してきたアフガニスタンの居住地だ。「避難生活」といっても、約20年前のソ連の侵攻、アメリカの反政府ゲリラ支援以来の話なので、一時的な避難生活というより、定住に近い。ここで生まれた子どもたちもいる。もちろん死んだ者たちも。
事実上の定住であってもパキスタンからみれば「よそ者の難民」に変わりない。パキスタンにはアフガニスタンからの避難者に同情的な人々も多いが、あまりに避難民が多く、長期にわたってパキスタン国内に滞留しているため、自国の経済への負担などから、アフガン難民に対する反感もある。居住地から立ちのかせる、ささやかな住まいを破壊する、そうしたいやがらせや暴力的行動もあった。いやがらせどころか、ほかの難民滞在地(ジャロザイ)では、文字通りの「見殺し」があった。避難民が糞尿にまみれて飢えと病気で死んでゆくのを放置した。避難者に対するこうした非人道的態度が「政治的理由による立入禁止」と結びつく。
だが、パキスタンばかりを責められない。百万単位の想像を絶する人数がアフガニスタンの故郷から大移動してきたその原因。そしてこれら避難民に対する支援を貧しいパキスタン一国に押しつけ知らんぷりをしてきた国際社会。これらについてパキスタン自身にいかほどの責めがあるだろうか。かれらを放置しきわめて非人道的な「見殺し」を行ってきたのは、パキスタンでなく、むしろ世界各国、あなたの国を含む国際社会だ。パキスタンは少なくとも、数百万人の難民を受け入れは、した。アフガニスタンのほかの隣国タジキスタンのように、国境を封鎖した国もあったのだ。火事で燃える家から逃げ出そうとする人々に対して玄関先に有刺鉄線を張り銃を向けて「そこから出るな」と命じた――。
そしてなにより、「情報化社会」と言われる国々の「世界の動きをいち早く伝える」メディアは、国際社会が生み出した現代のアウシュビッツについてくちをつぐみつづけた。正確には「国際社会が」というより「それを牛耳る利己的な一部の国々が」ということだが。そもそも資源の権益をにらんで他国に軍事介入し、対人地雷や今回のクラスター爆弾のような(ほかの国には用いられないであろう)非人道兵器を投入し、すさまじい空爆を行った「難民発生の根本原因」について、テロ撲滅などというおためごかしを信じているのは愚かなお人好しだけだ。
写真家の久保田自身がナッサルバール村へ立ち入れなかったため、仕方なくほかのアフガン人の友だちにたのんで、旧友アジーズを自分の宿舎へ連れてきたもらい、再会を果たした。そのご、UNHCRの協力もあって、写真家はナッサルバールを訪れることができた。
最後に訪れた昨年10月からまた破壊された家が増えていた。しかし――皮肉なことに――アメリカの空爆がナッサルバールの破壊を遅らせていた。政治的な動揺と混乱のため気勢をそがれたのか、あるいはアフガニスタンの人々への同情が高まったのか、いろいろな要因があるにせよ、依然、パキスタン国内にのがれたアフガニスタンの人々の立場は複雑で不安定だ。
以下は写真家の日記である。
UNHCRのナースShahmazさんとナッサルバールに行く。看板だけ見て知っていたが、ナッサルバールの入り口近くにはWHOのオフィスがある。今回見せてもらったが、入り口から見るとたいしたことがないのだが、中はすごいひろさで、数えられないくらいのトラックと食料庫がある。いつも通っていたところにこんなすごい設備があるとは驚きだ。
WHOを見させてもらった後、すぐ近くにあるアジーズの家に行く。アジーズにはもちろんアジーズの兄弟や娘達も大喜び。Shahmazさんは20年UNHCRで働いているパキスタン人で、現場型の人。快くアジーズの家でのランチをOKしてくれた。