えーと、「復活」というわけでもないのですが。とりあえず一山越えたので。また松永か。もう飽きた。
という意見もありますが、まあ、松永さんの文章は私の心の琴線に触れるものが多いので、仕方ないのです。そんなわけで巡回経路から外しているのですが、巡回先のリンク先まではたいてい読むので、どうしても一定の頻度で行き当たってしまうのですね……。
もとの話は以上で終っています。以下、本筋とは関係なく私の語りたい話の枠組において持論を展開します。
私は、「企業がやったら許されないことは個人もやるな」という立場。逆にいって、個人がもっと自由にあれこれやりたいなら、企業に対しても同じことを認めろよ、と思う。
どこかの企業サイトがABC振興会のように原著者に無断で翻訳記事を載せ、広告でささやかな収入を稼いでいるのを見つけた場合、松永さんがそれを批判しないとは思えない。そのとき、批判の理由付けに持ち出すのは著作権や翻訳権でしょう。企業がやったら犯罪だけど、個人がやるなら不問に付す……この欺瞞は私には許し難い。
松永さんが提示されたパクリの基準もいい加減なもので、例えばテラヤマアニさんが日常的にやらかしている画像の無断転載がスルーなのはどうして? 著作権的には何も新たな価値を生み出さない無断転載、しかも転載元どころか原著作者も記載されていない。松永さんは、はてなの本の前書きを知財にたかるダニを自称するテラヤマアニさんが書いたことを「はてなの恥だ!」と何故いわないの?
さらに書けば、テラヤマアニさんの画像が、無断転載禁止とかいっているそのへんのフォトログから持ってきたものだったとしたら、松永さんはアニさんを叩いたり、軽蔑したりしていたと思う。……違いますか? そんなことはない、と断言できますか?
松永さんの主張はいい加減なのです。そしてこれは松永さんだけの問題じゃない。
庶民様は自らの権利を非常に重視するが、企業とか大きな団体とかの権利には無頓着。企業などの既得権益を攻撃するのは好きだけど、庶民様の既得権益はガッチリ守ろうとする。庶民様の無責任行為は庶民様に迷惑がなければ知らん顔なのに、企業の無責任行為は自分に被害があろうとなかろうとパカスカ叩く。庶民様の横暴、ここに極まれり。
私は翻訳をどんどんやってほしいと思っているわけ。著作権がどうとかこうとか、(少なくとも現在の)私は基本的に気にしない。ただ、松永さんの発言はひっかかります。テラヤマアニさんは、法がどうこうということをいわない。でも松永さんは、違う。他人を責めるのに、法律を持ち出す。ジョークではなく、割と本気で。だから、法的には真っ黒な無断翻訳版の公開を是とする主張には、「何それ?」って私は思う。
私の主張の核心は関連記事筆頭の Naver ブログと Yahoo! ブログの挑戦にあります。
情報の消費形態を規制しようとする著作者の近視眼が世界を閉塞させていく……と説いたのが、例えば CCCD 問題におけるネット世論のあり方でした。ならば自らの著作権についても、率先して開放を説いてもよさそうなものなのに、仲間の話となると権利意識向上のアジテーションばかり。権利の制限が世界をよくする可能性を、なぜ想像しようとさえしないのか。
無断で翻訳した記事の公開を是とする松永さんは、著作権にうるさい人でもあるので、気になるのです。
厳密にはこうじゃないか?「営利はアウト、非営利はOK」と。これだったら、確かにそのように感じるし、そこで線引きするのは(逆に法的にも)理にかなっているように感じる。
何をもって営利と呼ぶかが問題。とある動物園のウェブサイトが、ページビューを稼ぐ目的で海外の動物園関係のニュースをどんどん無断翻訳して公開したとする。仮にこれが担当者の独断であって、勤務時間外にボランティアで翻訳していた場合、これは営利行為なのか否か? あるいは、多くの個人サイトがアフィリエイトなどで広告収入を得ている現在、趣味が高じて広告収入=生活収入として生きてる Narinari.com のコ○助さんなら許されるのか?
大半のウェブサイトが広告以外に単独収入を持たず、しばしば赤字に陥り広報費の持ち出しになっている状況下では、ほとんどの企業・団体のサイトは「金儲け」という点で広告収入のある個人サイトと差異がありません。仮に有料記事はアウトとして、他はどう考えればよいのか。管理者が営利企業なら営利サイト、という庶民様の好きな区分に、どれほどの妥当性があるのでしょう?
徳保さんは営利非営利問わずにオープンに、という考えかもしれないが、「自分が金儲け以外のところで無償公開したものをただ乗りされてそれで儲けられてしまった」というような状況になったときに激しく萎える人がけっこういるということは(徳保さん自身はそのように感じないとしても、そういう人がいるという客観的事実は)理解されうることではないかと思う。そこの気持ちの問題を言ってるだけなんですけどね。「あー、ただ乗りされて、あたかもそいつが思いついたかのように思われるのは気に入らない」と。
もちろんその事実は理解します。けれども……。
要するに、パクルなら、パクられたほうが「よくぞパクってくれた」と思えるような「質の高いパクリ方」をしてほしいということ。低レベルなパクリ方を見れば萎える。それだけの話なんだが、ここ、徳保さんは汲み取ってほしい。
以前、同じ主張を読んで「本当にそれだけ?」と思ったことも今回の話の背景にあります。アニさんを許す人が、安直に他人の作品を自分の作品の中に「はめ込む」のは、活用でも何でもなく、他人の成果の横取りでしかない。
と書くのは奇妙です。
例えば綾瀬メソッドについて写真の著作者は「よくぞパクってくれた」と思える
のでしょうか? こうした低レベルなパクリ方を見
て、なぜ疑問を感じないのか。それは著作権の被侵害者が庶民様じゃないからだろう……とは私の憶測ですけれども、大外れではないと思う。
ちなみにアニさんの回答は違法であることは承知しているけども、法を守って我慢するほどのことではない
。私は、アニさんの感覚に賛同します。
つーか徳保たんは著作権解放の方にもっていきたいのであれば、まずfinalventの人の話を否定して、もっと翻訳ものを増やせと煽った上で、「それだけパクっておいて著作権ふりかざしたりできないよな、松永よ」とあとから釘をさしておくのがよかったのではないでしょうか!!
あ、そういうことは先にいってくれないと!
私が書いたのは、「自分の翻訳は OK だそうだけど、企業サイトが同じことをやったら気に入らないんでしょ」という意見。「気に入らないんでしょ」は憶測。憶測であるということは、わかるように書いているつもり。
ゴールが先の目的と目の前の目的があったら、目の前の目的を取るのが徳保メソッド。単に、ネットで主流になっている意見に反対したいだけじゃないの? という気もするけど。
だって、どうせゴールなんて実現しないわけだし。あと諸所の問題について主流派には名文書きがたくさんいて、基本的に私の出る幕はない。自分がそれを読み満足して、おしまい。だから主張の強い文章の大半が反主流派の言説なのは当然。
松永さんの文章は、私に文章を書かせるトリガーになる(背中にゾワッとくる感覚を呼び覚ます)ことが多いけれども、じつのところ松永さんの実際の主張は極端なものではない。それは Amazon の書評にいずれも無難な線なので安心できます
と書いた通り。
どこかに書いたことについては、リンク付きで引用してもらうなら反論でも何でもしてもらってかまわないけれど、見たこともない綾瀬メソッドについて「批判していない」=「擁護」と短絡的にとらえて、先回りしてダブルスタンダードのように言うのであれば、「ためにする反論」と思ってしまいますよ。
この件は、だって目的は、ネットの住人が「企業ならアウト、庶民様ならOK」とダブルスタンダードを振りかざしていることへの攻撃なんだから!
という加野瀬さんの指摘がズバリ。私が書いたのは「そんなこというけど、どうせ**なんでしょ」論法。「違います」といわれたら「そうですか、じゃ、今後も注意して見てますからね」みたいな感覚。
やられた松永さんとしてはたまらないところだろうけれど、これは単に私が JR 西日本と松永さんを同じように扱っていることの現われ。事故ひとつで会社のあらゆる問題を見通す人が世の中にはたくさんいて、みんな好き勝手書いています。で、それらについて誰も反論しないから、「きっと**なんでしょ」がどんどん一人歩きしていく。
私はこれを一概に否定しない。私のように、言説の信用を地に落とすことを承知で「ダブスタ上等」を公言でもしない限り、推測を付加した意見展開を禁じれば自縄自縛に陥ります。物言わぬ人や実態の明らかでない存在を批判する手段も確保しておきたい。憶測は憶測とわかるように書けば十分だと思う。(関連記事)
とまあ、ぶっちゃけた話をしたところで、以下いくつか。
キムタケの一件を除いては、どう見ても「ガチガチの著作権をもうちょっと柔軟に運用しようよ」という話で一貫してると思いますが、「著作権の話が多い」という言葉の印象とはまるで逆なわけ。
私の「著作権にうるさい人」という表現は間違っていないと思う。引用の仕方、著作者人格権、CDの輸入権、これらは法に依拠した話をされています。柔軟に、とはいいつつも、まず順法を前提として話を進めているように見える。それとも、これは単に法を持ち出す相手への対抗手段?
そしてミムラさんの眉をつなげちゃうアニさんのケースですが、サイトにおける借用の比率という話
だけで免責していいの? 松永さんはアニさんあなたはおれの代弁者なのか
と書いていますが、ならば20日に示されたパクリの非難基準
は単純すぎました。サイトにおける借用の比率
次第では質の高いパクリでなくとも許すことになります。
アニさんの「悪行」を是とすれば、木村剛さんのウェブ雑誌的方向性を「転載よりリンクで」といった考え方(だけ)で批判するのは難しくなります(嫌うのは自由)。必然性のない無断転載、出典を書かない、原典にリンクしない、改変もする、といった行為を一概に批判することもできず、例えばおれパパ流の倫理基準で個別判断する必要が出てきます。
はてなの本のまえがきに誰が書こうが関係ないし、ましてやなんでそこで「はてなの恥」などと叫ばなければならないのか、まるで意味不明だ。
あの巻頭言がアクセス数トップクラスだからという理由で「知識の泉 Haru’s トリビア」のようなブログの管理人に割り振られていたら松永さんはムカついたでしょう。仮に私がそれを「こんな人を代表的ユーザとして前面に出すなんて、はてなの恥だね」と評しても、社員でもないのになぜ
という疑問は出なかったのでは? またまた憶測論法なんですけど。
「そんなことないよ」と仰るならそれはそれで構いません。私は、はてなの本の前書きを誰が書くかを気にするし、おかしな人選だと思ったら声を上げたい。そのあたりの人情は酌んでほしい。
改めて考えてみると、パクられる側は別として、パクる主体においては、企業と個人で求められる厳しさが変わるというのは、別に変なことでも何でもない、と思う。
パクられる側は別として
の部分、松永さんに関しては私の誤解だったことを認めます。申し訳ない。
そして後段、私はやはり企業と個人の区別は変だと思っています。中小企業のウェブサイトは事実上の個人運営となっているケースが少なくない。ページビューなど、メディアとしての影響力についていえば完全に逆転しているケースが多い。現状、個人と企業の区別が、一方的に個人有利となっていることが気になるのです。個人サイトに全く信用がなく、企業サイトに絶大な信用があるなら、企業にだけ多くの責務を科してもいい。でも、そうではない現状があるわけで。……このテーマは、今後も気長に取り組んでいきます。