趣味Web 小説 2005-06-30

ネットで実名を出すと天変地異が起きるぞ論・追記

初期稿のネットで実名を出すと天変地異が起きるぞ論は、いささか難がありました。そこでなんだか言ってることが180度変わってしまったとも評された補記をつけたのですが、さらに追記。

「自分が実名を名乗るリスク」と「他人が匿名であるリスク」と両方あるので、そのリスクの許容具合のバランスになると思うという件は、まったくその通りだと思います。問題は日本のウェブで声の大きい人々の間では天変地異論者が多数派であり、彼らは恐怖あるいは人間不信のあまり実名を名乗るリスクを現実に比して高く見積もり過ぎていること。現に実名で(も)情報発信している方は、天変地異が起きる可能性は高くないことにご賛同いただけるはず。

ちょっとやそっとでは匿名を破れないので、事実上の匿名社会が実現しているのが現在の日本のネット状況です。もちろん強制的な匿名剥奪に必要なコストは高くてもいいのです。問題は、この仕組みを悪用し無責任なふるまいをする人が少なくないことです。天変地異論者は前提条件がぶっ飛んでいるので、「自分が実名を名乗るリスク」「他人が匿名であるリスク」より遥かに高く評価してしまい、現に無数に存在するカジュアルな誹謗中傷を「仕方ない」と簡単に諦めてしまいます。

実名を名乗ることで大きなメリットを得られる人が「自分が実名を名乗るリスク」を取りつつも大きなメリットを享受している状況下で、「他人が匿名であるリスク」をなくそうと実名談議を繰り広げるのは、あまりにも自分勝手な気がするよ。おれは。という意見には半分不同意。私には実名公表のメリットはないけれど、メリットがある人だって、基本的には「現在の状況はおかしい」と考えているから発言しているのであって、私利私欲中心ではないと思う。

そして「徳保隆夫は仮名だよね」という問題について。

私は転向組なんです。たろたま騒動のときに、私が匿名のまま強硬姿勢を貫いたらサーバを追い出されてしまったんですね。サーバ屋にも迷惑をかけました。それで独自ドメインを取って、調べれば本名がわかる状態へ一歩踏み出したんです。その後、ぼんやりしていたらはてなでしくじって上司バレ。意想外のやられ方に愕然。その後ようやく逆転の発想に到達し、恐る恐る本名でサイトとブログをはじめました。ところが本名ブログの ID が**だったので 2ch の徳保スレに本名が。

かくて歴史的経緯から私は微妙な立場になりました。私の本名を知ってる人がやたらと拡散しちゃってる、という。ふつうの仮名さんは本名がばれていないはずなので、重大局面で「被害者」らに氏名・連絡先を開示する(匿名に逃げない)覚悟さえあればいい。一般読者に対しては匿名を通していい。これが私の考える議論の着地点。

今にして思うのは、最初に本名でサイトを作っていればなあ、ということ。ほとんどのことは本名で書けるので。そして、本名ではどうしても書きづらいことだけ、仮名で書けばよかったな、と。でも昔は天変地異論者でしたから……。

今でもこのサイトで本名を完全公開するのは「絶対に嫌」ですし、かといって4年も積み重ねてきたサイトは捨てられません。徳保隆夫という名にも愛着があります。これを捨てハンにはできない。結局、中途半端な状態で更新を続けるのが、私にも読者にも嬉しい状態なのかな、と思っています。誰か私に恨み持つ人が「徳保の本名は**です」というサイトを作って、それが Google 検索の1位とかに登場したら、このサイトは潰れるかもしれない。そのときは、読者にお詫びする他ないですね。

参考:誹謗中傷の自由はない/W社問題Vol.2より

悪徳商法?マニアックス管理人の Beyond さんが株式会社ウェディングからの情報開示請求を飲むか、契約を解除するかを迫られた件についての感想を以下にご紹介。どこまでも匿名であろうとした、当時の Beyond さんに対する怒りが綴られているのですが、私がどのような匿名を嫌っているのかについて、感覚的にわかりやすく伝わる文章だと思うので、少し長いですが引用します。

「自分は矢面に立つ気はさらさら無いが、悪口は書かせてもらい、けつは全部プロバイダに持ってもらう、プロバイダが逃げやがったら許さん」という主張をなさった方は存在したのだろうか。という問いの答えに近いのが Beyond さんです。Google に検索インデックスから削除されては悪態をつき、プロバイダから決断を迫られてはどこか良いプロバイダは、無いものでしょうかと書く。もちろん、Beyond さんは正しいことしか書いていないつもりなのだから、そうした反応は当然です。

それはそれでいい。世の中にはいろんな人がいるんだから。ただ、「うんうん、そうだそうだ」と賛同する人がちょっと多過ぎないか、と思いました。Beyond さんと異なり、Google にも同情的な人は、たしかにたくさんいました。しかし、Google の判断を歓迎する声はとんと見かけなかった。少なくとも、先月23日の時点ではそうでした。多数派ってのは怖いよな、と思います。たいていのトピックについて少数派になる私のような人間にとって、これは(いつものこととはいえ)憂慮すべき事態です。

「はてな憎し」「google憎し」的な事を言っている方は多くありませんが、このようなある種の(違法性の高い)言論に対する弾圧について、「残念に思う」人は多かったといってよいでしょう。ishinao さんとの違いは、私が今回の事件の顛末(まだ続きがあるかもしれませんが)を積極的に肯定していることです。

話を拡散させますと、三浦和義さんがここ数年、マスコミ相手の名誉毀損裁判にどんどん勝っていて、その一方で別の事件では有罪判決も出たりしたわけです。で、たいていの人は無罪になった事件についても「でもやったんでしょ」と思っていて、マスコミの報道は正しかったと考えていたりするのではありませんか。あるいは小野なんとかという老人が裁判で無罪になって、冤罪被害者の象徴となった数年後にたいへんな殺人事件をやった。だから「前の事件もやったんじゃないの」とみんな思っていたりする。

別に、そういうことを思うのは勝手であって、また、日常生活の会話で、私見を述べてもかまわない。ただ、著作権侵害関係でありがちなことですけど、そういう感覚で WWW という場でもふるまってしまうと、問題になるわけです。しかしながら、ほとんどのWebサイトは零細で、実態としては日常生活の延長上にあるわけです。だから、平気で一線を踏み越える。

リンクなどに関する意見(例えば最近の儀礼的無関心の話題とか)では、日常生活との境界線が一見、曖昧であっても、WWW はじつは紛れもなく公の場なんだという「常識」が語られることが多い。にもかかわらず、「言論の自由」をテーマにすると、個人サイトがマスコミ並の慎重さを持つべきとの意見はどこかへ消えてしまう。そして、Google やはてなが企業の申し入れに「屈した」ことをみんなで残念がる。おかしいでしょう、それは。友人・知人との会話と同じ気分で、名指しで無根拠な誹謗中傷をするのが「言論の自由」ですか。

公の場で発言するならマスコミを見習うべきです。みんな「マスゴミ」と呼ぶけれど、素人のタチの悪さを見るがいい。みんながそうだと思っていれば、証拠も何も要らない。そう思ったというだけで、何でも書く。咎められると心外だという顔をする。確信犯なのだ。全然、悪いことをしているという自覚がない。相手が組織になると、どんなにひどいことをしてもいいと思っている。どうせあいつらは金持ちでしょ? 力があるんでしょ? 俺らは無力な市民ですから? ふざけるな。

匿名の存在意義として例に挙げられることの多い「内部告発」だって、証拠がなければ誹謗中傷です。私がいいたかったのは、誹謗中傷の自由のための匿名なのか? ということでした。Beyond さんに匿名を貫くに足る社会正義があるのか。ないだろう、と。

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