趣味Web 小説 2005-11-05

コスト意識だけで「常識」を選択してもよいが……(補遺)

私の記事「コスト意識だけで「常識」を選択してもよいが……」のいい加減な(ダメな)ところをきちんとフォローしてくださっている好記事。順にいくつか、応答します。全ての論点を拾うことは避けます。逆に、いわゆる議論のやり方としてはよくないのでしょうが、応答文を書きながら、ついでにちょっとメモしておきたくなったことについて、蛇足を承知で付加します。

まず、徳保さんが引用されたある編集者の気になるノート - 批判的なトラックバックは、「非常識」なのか?の解釈については私はまったく逆の方向性で理解している。

その読みは妥当なものと思いますが、私は正直に書けば「え、そうだったの?」と思ってしまった。この一文に着目したのです。正直に書けばといっている以上、当初の感想として素直な本音はそこにあったのだろう、と。一息ついた上であれこれ考えて、「やっぱりおかしいよね」と思い至った上で記事をお書きになったのではないか。そして私は、件の記事における皮肉めいた表現を改めれば「そもそも驚くに値しないだろう」と自分の感想を書きとめたのでした。

そして、なぜある編集者さんが驚いたのかといえば、「批判的な記事からのトラックバックを非常識と断じる」ような人がいることを想像していなかったからでしょう。私は、そのことを批判してよい、むしろ批判すべきだと思うので、批判しました。

ここはよくわからなかったのだが、徳保さんは「批判的なトラックバックをするのが多数派だ」と理解されたのだろうか。

そうではなくて、ある編集者さんのこちらとしても、あえてブログ界の「常識」から外れる気はないので、それが「常識」ならば今後は従っていこうと思う。という一文を批判しているのですね。私はこの文章を「仮にそれが多数派の主張なら、その是非を問わず従う」という考え方だと理解し、私はそのような考え方はよくないと思うので、批判しました。

興味のないことについての感想を書くことで自己紹介になるというロジックが今ひとつ解せない。

ここは私自身、非常にわかりにくい文章の構成になっていることを自覚していました。

下書き段階では、その結果、当サイトの更新コストが上昇することは折込済。で記事は終わり、以降は次の記事だったのです。しかし思うに任せて筆を走らせた結果、書きあがった「次の記事」の内容は、「なぜ高い更新コストをかけてまで情報発信するのか」を説明するものでした。私の中では精神的に連続して書かれた文章なので、私的な備忘録としてはひとつの記事にまとめてしまった方が後で読み返したときにわかりやすいだろうと思いました。

その結果、折込済でいったん文章が切れて、以降の内容が全てだから、わざわざ何かを主張したいと思ったとき、多少の高コストは厭わないのかもしれない。だからを説明する内容に過ぎない、という変な構成になってしまいました。これがわかりにくい文章であることは明らかですが、勢いで押し切ってしまえばよかろう、と考えてそのまま公開したものです。

以上を踏まえて問題箇所の内容をいくらか表現を補いつつ書き直せば、「私は日頃、深く考えることをしていない。そしてまた世界への無関心を強く意識してもいる。ただ、世界の多様性は、いくらか想像できるつもりである。したがって少数派による珍しい主張に(演技でなく)驚くことは少ない。そんな私が、なぜか「たかが趣味」の問題について、熱く語りたくなることがある。その理由は説明できないが、(日頃の世界への無関心ゆえにむしろ)この情動を大切にしたいと思っている。だから、私は自説を発信する際に、あえて世間の多数派の言説と衝突し、摩擦を起こすコストを支払うことを厭わない。生の気持ちを、できるだけそのまま表現したいと思っている」といった感じになる。

ちなみに続く現実との折り合いのつけ方で書いていることは、「理想は前述の通りながら、現実には支払えるコストは有限なので、ある程度の妥協を余儀なくされている」という内容。妥協に自覚的ならば、余裕ができた分だけどんどん理想へ近づくことができる点が迎合主義との違い……というと、さすがに自己評価が甘すぎるかもしれません。

かといって誰をいくら傷つけてもかまわないということではありえない、このことは改めて確認したい。1か0かではないんですよ。でないと、半ば自暴自棄に「ルールなんぞくそくらえ」とばかりにわざと悪いことをして回り、そのことによって愛されようとする、天の邪鬼的偽善に陥る危険がある。(今の徳保さんがそうだと思っているわけではないです。ていうかどうなのか知りません。あくまで〈一連の言説には、そのような危険が抽象的に存在する〉というだけです。)

もう長い間、この批判は何度も受けてきました。実際、私が安直に流れることは決して少なくなく、既にどうしようもなく魔道に堕ちている、救いようがない、という意見の持ち主は少なくないようです。そういった状況認識はあります。

徳保さんからトラックバックがあったのは同日22:55:49で、トラックバックの方が3時間ちょっと遅い。私はトラックバックをいただくまで徳保さんの当該記事を読んでいなかったのだが、徳保さんのおっしゃる問題意識と私のコメントに現れているそれとは違うということだろうか。

トラックバックしたのは記事を書いてからいくらか時間がたってからのことなので、コメントと比較してどちらが早かったかはわかりません。そもそもオマケのような形で記事に付していますが、もともとは一番最初に書いた部分でもあります。話が膨らまなかったので、そのまま公開する気にもなれず、ある編集者さんへの批判と、その末尾のフレーズの説明部分までをセットにして、ひとつの記事として公開したのです。

ただ、いずれにしましても、私はそちらのコメント欄は読みませんでしたし、読む気もなかった。したがって、早い遅いは関係なかったろうと思います。

そして結局のところ、違うということだろうかと問われれば、「どうやら同じことをいっているようです」が回答になりそうです。また、そのような主張をどなたかなさったのだろうか。少なくとも私はしていない。と仰るのはごもっとも。それは私の意思表明です。私は catfrog さんと summercontrail さんの記事と近い位置にある(ように思われた)別の主張も、同時に批判しておきたいと考えたのでした。

……以上で、提出された疑問点について概ね回答を示すことができたかと思います。

追記

今回の対話を関心をもって追いかけていらっしゃる方は、ぜひ上記の summercontrail さんの応答をご覧ください。私は記事の内容に異論なく、以上をもって一幕の終了とさせていただきます。

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