趣味Web 小説 2005-11-03

現実との折り合いのつけ方

なんといいましょうかね。リアルであれネットであれ、自分の立場に置き換えたときに、何かを自分が言って「それって俺には興味がないから」などと返されると、かなりウザく感じるかムカつくだろうなと思います。反対意見ならまだ会話になるだろうし言いたくなる気持ちはわかるし意味もある。わざわざ名指しで登場した極東ブログさんには同情します。

昨日の記事へのご意見。finalvent さんなら「個別の記事についてはとくに関心がなくとも、平均打率に期待して毎日読みにきている読者」の存在について自覚的だろうから、私の記事にショックを受けない可能性が高いと予想して、極東ブログの記事を題材にしました。

1日4桁の読者を恒常的に得るようになってからというもの、「人気サイトの管理人なんだから、こんなことでいちいち怒るもんじゃないよ」風の物言いをしばしばされることがあります。ムカっと頭にくるわけですが、逆に考えると、そういった存在も世の中には必要なのかな、と。とりあえず何かの引き合いに出す、というような。ふつうのブログが相手だと「いじめ」と受け取られかねないあれこれを、引き受ける存在がない社会というのも、なるほど息苦しいな、と思うわけです。

といって、私が勝手に finalvent さんを「安全パイ」認定してしまうのは失礼な話なのですが、エイヤで線引きせざるを得ない部分かな、と思ってます。もちろん私は finalvent さんが不愉快に思われる可能性は否定しないし、仮に不快感を表明されても、それがいけないことだとは全然思いません。ただし逆にその場合、人気サイトだから云々といった意見も(いくらか)出てくるだろうな、という予想は立ちます。

私は決して、俺は覚悟したんだからお前も覚悟しろ、といいたいのではなくて、「本人がどう思っていようと、既にそうなってしまっている」ということはあるだろう、と。抵抗する自由は当然あるのだけれども、暴力などに訴えない限りは、それを潰そうとする側にも表現の自由があります。多数派の説得に成功した方が勝ちであるとするならば、負け戦にしかなりようがないという状況はありえます。

私の状況認識は危うい。相手が新聞記事なら、まず間違いなく「勝てる」けれども、極東ブログ相手では私の方が「悪い」とされかねない。まあそこは、賭けに出たのですね。

私の気分としては関連している話題

従来、私は企業と個人を区別する考え方に違和感を覚えており、その一方で大手サイト管理人がしばしば企業サイト管理人と同等の扱い(ときにそれは「仕打ち」と呼ぶのがふさわしい)を受ける事例もまま目にしてきました。企業と個人を区別する意見は常に情緒的といって悪ければ倫理的で、合理的な損得勘定には基づいていない。大手サイト管理人なんだから云々といった主張も同様で、なぜ弱小サイト管理人なら甘やかされていいのかわからない。

私の予想は「庶民様ってのは自分大事だから、自分に近い存在に甘くなり、自分から遠く離れた存在に対しては平気でその感情や利益を踏みにじったり、無視したりするのだろう」というものです。

ただまあ、そういったことに対して怒ってばかりいても仕方ない。世知としてそのような多数派の存在は知っているわけだから、とりあえず私は件の事例に極東ブログを選んだのです。1日数人しか読んでいないブログは選ばなかった。高い確率で問題視され、コストが高くつくことが予想できたからです。それでも絶対に安全確実な新聞記事を選ばなかったことには、私の多少の意図がありました。

「世の中、ちょっと面倒くさすぎません?」と問題提起しつつ、とりあえず運営コストにも一定の配慮をしていく戦略。学校の校則を変える運動をしつつ、当面、校則をギリギリの線で守っていくような感じでしょうか。

余話:結局、どういう世界を目指しているの?

相手が泣こうが叫ぼうが、リンクしたければする、例に挙げたければ挙げる、それが許される世界が、個人的には望ましい。企業相手に許される(名誉毀損罪や誣告罪が事実上成立しないレベルの)誹謗中傷が、どんな個人を相手にしても許される、公平かつ平等な世界を夢見ている。しかし多数派がそんな世界を望むはずもなく、夢は夢でしかない。つまらんな、と思っている。

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