さて本当か、という話。
私は高松高裁の判決について、佐々木正人さんの解釈に賛成します。
- 1 プライバシーないし人格権侵害について
本件手紙は被控訴人から控訴人に宛てた私信であって、私信は特定の相手だけに思想や感情を伝えることを目的としており、もともと公開を予定していないものであるから、その性質上当然に私生活に属する事柄であって、その内容がどのようなものであれ、一般人の感受性を基準にすれば公開を欲しないものと解すべきものである。
証拠(甲一、二四、二五、乙一、二、被控訴人本人)によれば、本件手紙の内容は、主として平成元年二月五日付の四國新聞に掲載された管長の発言を批判するものであって、被控訴人は少林寺拳法連盟本部の組織運営に対する批判的な記事を、同年五月発行の「ぐどう」という少林寺拳法連盟内の有志で作る機関紙に発表していたこと、また、当時会費の値上げの問題について連盟の内部で不満があり、理事長会でも紛糾し、被控訴人自身も理事長会で会費値上げの進め方について批判する発言をしていたこと、が認められるが、このように被控訴人が連盟本部に対して批判的な発言をしていたとしても、本件手紙の内容が連盟本部に対する批判ではなく、管長の発言に対する批判であることからみて、関係者にとって周知の事実であったとまではいえず、一般には知られていない事柄であったということができる。
したがって、発信者である被控訴人は、当時の右連盟における地位も考慮すると、右のような内容の本件手紙をみだりに公開されないことについて法的保護に値する利益を有しており、その承諾なしに公開することは、人格権であるプライバシーの権利を侵害するものといわなくてはならない。
- 2 著作権侵害について
本件手紙は、前記のように管長の発言に対する被控訴人自身の考えを述べたものであって、その思想または感情を表明したものといえるが、著作権法が保護の対象とする著作物の意義を「思想又は感情を創作的に表現したものであって」と規定しているところからみて、著作物というためにはその表現自体に何らかの著作者の独自の個性が現われていなくてはならないと解すべきであるところ、本件手紙の表現形態からみて、このような意味の独自性があるものとして法的保護に値する「創作的に表現したもの」と解することはできない。したがって、本件手紙は著作権法による保護を受けるべき著作物(同法二条一項一号、一〇条一項一号)ということはできないと解するのが相当である。
したがって、その余の事実について判断するまでもなく、本件手紙が著作物であることを前提とする著作権あるいは著作者人格権に基づく請求は理由がない。
著作権については読んでの通りとして、プライバシー権については佐々木さんによる補足解説を参照していただきたい。
ポイントは「信頼は双方の関係性の中に生まれる」ということです。一方的に「あなたを信頼します」といって「私信」を出せるなら、「公開されて困ることは書かない・書いても他人に見せない」といった防衛策を放棄した発信者を免責し、受信者に片務的な責任を負わせることになります。これは嫌がらせの手紙を私信として送りつける行為に対し、泣き寝入りを強制することをも意味します。
双方の信頼関係に基づく私信は多くの場合、送信者のみならず受信者にも公開を躊躇する内容が含まれるものです。昨今の「私信公開問題」には、公開文書の著者に寄せられた批判メールに公開の場で反論した、といったケースが多い。この手の「私信」の多くは信頼の根拠があやふやで、そもそも非公開でなければ困るような書き方をやめて、公開の場で批判することも可能な事例だと私は認識しています。
ちなみに私は、過去にサイト経由で受領したメールの一部または全部を既に何度も送信者に無断で公開しています。またInfo#アクセス解析に記載の通り、当サイトでは訪問者の IP アドレスなども公開しています。そういうサイトだと思ってご利用ください。
突然の書き込み失礼します。 実は今小学生の夏休みの宿題の ラストスパートについて取材しております。 その中で、実際いまお子さんの宿題に 頭を悩ませているお父さんお母さんに お話を聞けないかと思っております。 どなたかご協力いただける方 いらっしゃらないでしょうか。 もしお話しいただける方がいれば お手数ですがお電話頂けないでしょうか? 090−7848−6112 TBSテレビイブニング5(夕方ニュースです) の片山薫ともうします 実は本日22日の夜、もしくは23日中に お話しを思っております メールだとタイムラグあるので できればお電話いただけないでしょうか なにとぞ宜しくお願いいたします。 kaorukatayama2001@yahoo.co.jp kaokata@best.tbs.co.jp
当サイトの閑古鳥の鳴いてる掲示板なんかで募集して、応募者をつかまえられるのだろうか。懸賞メールの類で募集をかけた方が確実だと思うな。あ、そうか、いちいち上司の決済を取るのが面倒くさいのかも。あと急いでいるのが問題か。
でも、こうしてふつうのサイトの掲示板で「お電話頂けないでしょうか?」とやっても、ちょっと信頼性がないよね。kaokata@best.tbs.co.jp というメールアドレスなどを見ると、まあ、本当に TBS の社員なのかな、という気がしないでもないけれど。個人的にちょっと面白いなと思ったのは Yahoo のメールアドレスも出していること。
なるほどね、私はいい加減な人間なので、だいたいこれくらいで信用します。捨てアカウントじゃないな、と判断する。どうせなら実名でブログもやっていたらいいのにな、と思う。無内容でもいいから。
ちょっと調べてみるとヨーロッパでの映像製作を得意とするミストラルジャパンという会社にも「片山薫さん」がいらっしゃることに気付く。しかし同姓同名なのか、本人なのか、よくわからない。
ま、090 だから携帯電話でしょ、心配性の人はやめておくことですね。社の代表電話経由で「**の**さん」といっていただけるとつながります、とか書いておけばいいのに、と思うけれど、多分、TBS の社内連絡網がそういった使われ方に対応していないのだろうな。
成田市役所では10数年前から、入り口の案内係に訊ねれば何でも答えてくれるシステムを採用しており、少なくともここ数年は「とりあえず代表電話にかければ何とかなる」よう所内連絡網が整備されています。どこでもそうなのかと思っていたら、豊島区役所の入り口付近には案内係が見当たらなかった。残念。
岡田斗司夫さんがイベントで発言した内容を文字起こしした同人誌の内容をウェブで紹介して人気を博した記事。岡田斗司夫さんの話は面白すぎるので「話半分に聞いておけ」とよくいわれます。鈴木敏夫プロデューサーのインタビューを合わせてご覧になってください。
アニメとかについて私は全然、知識がないのだけれども、それでも岡田斗司夫さんのトークは楽しいと思います。それでとうとうオタク座談会シリーズも学生時代に読破してしまいました。映画「ゲド戦記」に興味がなくてもリンクしたような記事を喜んで読むのも同じ感覚によります。
とりあえず、文法エラーがあっても、無駄な容量を食っても、世界最大級のサービスを運営するのに支障ない、と。
Metlog がブログツールを利用するスタイルに変わってよかったな、と思う記事。これはツールなしでは実現困難だったろう。
不可能ではないということと、実際にできることとの差は大きい。
それにしても、1日歩いて4万8千歩ですか。健康のためには毎日1万歩、なんていいますが、それもまた「不可能ではない」の一種かな、と思う。
何でもやってみるもんだ。「実験で検証できるタイプの都市伝説について、実際に試してみる」というアメリカのテレビ番組のまとめ記事。やっぱり嘘っぽい話は嘘だった、という結論が大半。自分の科学的(?)予測センスがいい線いっていたことがわかって安心。
……世の中、いろいろありますな。
語る自由はあるのだから、語りたければ語ればいい。でも「黙れ」という自由もある。強制されてなどいないのに、言葉だけで負けてしまうなら、それは説得されてしまったのと同じことなんじゃないか。
いずれの説も根拠薄弱に思われた。
R30 さんらしい慎重な主張。
そんなにおかしいかね、これ。
もうこの手の話には飽きた? でも、すぐに夜郎自大に陥る私たちだもの、何回だって読む価値があると思う。
最近、Wikipedia でいくつかのキーワードを編集をしているのですが、きちんと根拠のある文章を書くというのは難しいです。ほんの数行を書くために、どれほど苦労するか。みんなが手抜きをしたがるのも当然だと思います。
後出しジャンケンぽい印象。……って、印象だけで「論外」扱いされたのでは筆者は浮かばれないだろうな。でもよくよく考えてみると、私は毎日毎日、たいていの情報を「論ずるに値せず」として頭の中をスーッと通過させているんだよね。
今年もたくさんの本を読み、DVD などで映画を観たりしているのに、「面白かった!」程度の感想さえ「書く必要なし」とした作品が大半。ほとんどの読書は有意義で、大半の映像作品は楽しかったのに。消費者なんて冷たいよな、と思う。
世の中には当人の能力や努力に応じて給与が支払われるべきとの考え方が強いようだが、私は賛同しない。現に付加価値の高い仕事をしている人が高い給与をもらう、それはそれでいい、というのが私の考え。規制産業が羨ましかったら、自分も参入したらいい。出版社なんて、誰でも参入できる。
それに、高々1200万円である。ガタガタいうような話なんだろうか。上を見るのもいいが、下こそよく見ておくべきだね。私の手取り収入は200万円台だが、日本で本当に貧しい人々の2倍はいただいている計算になる。自分は彼らの2倍の能力を持ち、努力をしているのか? そんなことはない。であればこそ、税金も年金も保険もきちんと払って「どうぞ再分配してください」と、そう思っているわけだが。
たいていの人は、他人のことをどうのこうのいう前に、自分の高収入を疑うべきだ。
「東京でキツく働いて高収入」と「地方の中小でマッタリ低収入」とを天秤かけて後者選んだのは確かにオレだからある程度納得はしてる(あくまで「ある程度」)。
東京のマッタリ低収入という道もありますよ。まあ私の手取り月給は18万円台だから低収入とはいえないけれども、同じ職場に派遣社員の事務員さんがいて、ボーナスがないのに手取り月給が私より安かったりする。無論、生きていくには支障ない。
世の中にはちゃんと「東京の大企業でマッタリ低収入」という道があるわけで、どうして就職活動のときにそういう方針を立てる人が少ないのか、よくわからない。あと私から見て地方の中小企業って「キツく働いて低収入」という印象がある。ま、結局のところ私もそういったイメージだけで企業を一次審査にかけたわけで、あまり偉そうなことをいえたものではないが……。
文章のウケの良し悪しなんてことを考え出すと、いろいろ面倒くさいという話。otsune さんのテキストは読み手としての心構えについて。これまた面倒な内容。それぞれに「なるほどなあ」と思うのだが、いまひとつ気分が晴れない。
私も時々はそれなりにゴチャゴチャ考えて文章を書いたり読んだりしてきたのだけれども、後先考えずに放言したときと結果に明確な違いが感じられない。人生を二度繰り返すことはできないので、きちんと比較することはできないが、「バカの考え休むに似たり」という言葉を思い出す。テキトーな文章を何も考えずに書いているように見えるブログがみんな炎上するわけでもなく、虚しさを感じずにはいられない。
そうはいいつつも、他人の文章を読んでいて「もうちょっと考えて書けばいいだろうに」と思うことは、やっぱりある。でも、仮に私が文章に手を入れたとして、本当にトラブルが避けられたかどうか。怪しいな、と。そもそも私が本当に知恵者なら、こうちょくちょく嫌なことに出くわすわけがないのだ。
今日のフジテレビ「類人猿ボノボ・最後の楽園」は内戦に苦しんだコンゴの人々の暮らしをリポートしながら滅びゆくボノボの様子を断片的に紹介していく内容。ガチャガチャと未整理な印象のドキュメンタリー番組だったけれども、どうして先進国の人間は野生動物やジャングルが滅び行く姿には胸打たれるくせに、牧場や畑に残酷さを感じないのかな、なんてことを思いながら見ていた。
両親を失いつらい生活を送ってきた少女が、貧困の充満する街の真ん中で、将来は子どもを産んでお母さんになりたいといい、岩崎ひろみさんがそれを聞いて「いい家庭を作りたいんだね」と日本語でつぶやいた。そんな解釈でいいのかな、と疑問を感じたが、さりとて私が何を想像できるわけでもなかった。ひとつわかっているのは、私がその少女のために何もしないということだけだ。
ようするに、殺し合いをしてでもイスラエルを中東から追い出したい人々がいる。逆にそうした人々と戦い続けてでも神の約束された土地に暮らしたい人々がいる。だから惨劇が繰り返されている。
放送は見ていないのだけれども、これで小学生が「そうか、納得」となるのかな。ならないだろうな。
私もなかなかわからなかった。中東問題がニュースになるたび「喧嘩しないで仲良くすればいいだろうに」と思ったし、そう口にもした。母は冷めた人だったので、「お前たち(注:私と弟)がしょっちゅう喧嘩しているのと同じだよ」といった。「うーん、でも殺したりはしないよ」と私。「たかがお菓子の取り合いで取っ組み合いをするのだから、家と土地を奪われた恨みで人を殺してしまうくらいのことはありえると思わないかい?」母の問いかけに、私は沈黙した。でも、釈然としなかったな。
まあ、あやふやな考えしかもてない人間の素朴な平和主義では、世の中ちっとも平和になりそうもないなあ、とは思ったものだった。そういえば、父は口喧嘩では母に決して勝てないのに、母は時々意地悪になって既に勝った話で追い討ちをかけた。父は怒りに震えたが、いつも全てを堪えて自分の部屋に帰っていくのだった。私も弟も、その背中から何かを学ぶのに10年以上を要した。
「どうしてお父さんは怒ってもお母さんを叩いたりしないの?」「私が選んだ人だからよ」かつてこう答えた母は、今ならどう答えるだろうか。大きくなった私に、もう本音はいえないか。
「CASSHERN」という評判の悪い映画があるのだけれど、私は人がいうほどひどいとは思わなかった。ベタを突き抜けたような終盤の演出にはさすがに軽い衝撃を感じたけれど、スタッフロールの背景に流れる宇多田ヒカルの歌が世界への諦観にあふれていて、「ああ、そういう物語だったのかな」と。それで納得しました。
2回目の参拝の時の所感の中では、総理は、終戦記念日やその前後の参拝にこだわって、再び内外に不安や警戒を抱かせることは、私の意に反するとしていました。今日の参拝は、その所感と矛盾するのではありませんか。
という記者の質問への回答は、ちょっとよくわからなかった。
私なりに言葉を補って解釈すると「『終戦記念日を避ければ内外の反発がない』のであれば、別の日に参拝してもいいと思った。しかしいつ行っても変わらぬ反発を受けた。よって『終戦記念日を避ければ内外の反発がない』という仮定は不成立と判明したので、終戦記念日に参拝することにしたのだ。よって矛盾はない」ということか。
質問した記者さんの考えは「いついっても反発があるなら、参拝しなければいいのに」なのだと思う。
私が靖国問題で一番注目しているのは、「**する自由」を「**されても具体的な被害は何もないけれど、とにかく嫌だと思う心」によって押し潰そうとすることに、多くの人々が賛成していることだ。
かつてパナウェーブの人たちは、「気持ち悪い」ので粗捜しされ、難癖つけられて社会から排除された。県庁や市町村の役人は地元住人の圧力で公道の通行さえ阻止しようとしたけれど、さすがに警察はそれを許さなかった。私はそこに法の良心を見たのだけれども、一般市民は法のふがいなさを嘆いた。
靖国参拝に賛成でも反対でもそれはいいのだし、現に小泉さんの参拝が実力で阻止されるような事態にもなっていない。だから私は今のところそれほど深刻な話にはなっていないと認識しているが、「将来、どうなるかわからんね」とも思う。大半の日本人は信教の自由を真剣に守る気なんてないからなあ。
正直、小泉さんが本当に「心の問題」で参拝しているとは思ってない。でもそういった話には、関心ないな、私は。将来、それこそ純粋に「心の問題」で靖国参拝を希望する人が総理になったらどうします? それをいいたいのですよ、私は。
「もう浮気はしません」といって再選されたアメリカのクリントン前大統領が「家族を愛するよき父親であろうと努力する」のは公的な行為なのだろうか。「クリーンな政治家」を標榜して当選する人は多いが、「公約」とは職務として行う何事かだけではなくて、私的な言動をも対象として用いられることがあると思う。
つまり、「私は終戦記念日に靖国参拝するような人間です」といって自民党総裁になったのは事実だとしても、「政策として靖国参拝を実行します」とはいっていない。それでも靖国参拝は公約たりうるのでは? 公人・私人とは、そのような区別が可能であるという前提に立った言葉なのだけれど、その境界はよくわからない。職務として参拝したのではないとする小泉さんの説明は、なかなかうまいと思う。
もちろん靖国参拝は現に政治問題化しているので、「私的行為だから自由だ」といって突っぱね続けられるのか疑問はある。しかし気に入らない言動を封じ込めるために「政治問題化する」ことが可能である以上、「政治問題になった」からといって問答無用で個人的信条が曲げられていいとは全く思わない。
政治的責任と法的責任について。う〜ん、ちょっと保留させてください。
昭和57年4月13日の閣議決定が政府主催の公式行事である全国戦没者追悼式の根拠となっているのだそうだ。
そんな行事、あったっけ? という読者もいらっしゃるかもしれないけれど、NHK が中継しているので、小学生の頃に一度くらいは見たことのある人も多いのではないかな。正午に黙祷する、アレです。民放のニュースでも必ず(でもないか?)「天皇陛下のおことば」を放送してる。例年、この式典で陛下が発する「おことば」はたいへん短い。ニュースにピッタリなんだね。
靖国神社は英霊しか祀られていないけれども、追悼式では基本的にどんな死に方をした人も身分に関係なく分け隔てなくお祈りを捧げてくれるのだそうな。その代わり、先の大戦で亡くなった人だけしか追悼してくれない。どうせなら過去から未来までみんな追悼したらどうかと思うけれど、趣旨が不明確になると予算獲得が難しくなったりするのだろうか。
ところで、件の閣議決定には全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。
とある。日本武道館が会場として指定されているんだね。
追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会は報告書で施設は大型の建造物ではなく、むしろ住民が気楽に散策できるような明るい公園風のスペースで、かなり大規模な集会ないし式典ができるような広場が在り、その一角に追悼・平和祈念にふさわしい何らかの施設が在ることが望ましい。
としているのだけれど、それなら日本武道館のある北の丸公園に戦没者追悼慰霊碑をひとつ立てるだけで足りそう。
靖国神社の経営が危うくなっているように、靖国に思い入れのある人々は既に少数派となっているが、まだまだ無視できる人数ではない。既に25回も続いている全国戦没者追悼式の拡張といった形で、ささやかな事業費(高々数億円)で簡素な追悼施設、具体的には慰霊碑をひとつ立てる程度の計画を落としどころとすれば、八方丸く収まるのではないか。
不掲載となった記事を記者ブログで公開した福島さん。もともと人気のあるブログだったけれど、この記事が話題を集めて一時期は記者ブログで1番人気にまでなった。コメント欄の反応を見ると、不掲載の判断は正しかったのかな、とも思う。一定数の読者が興味を持って読んでくれたとしても、こんなことで苦情の手紙がたくさん届いたのではたまらない。
産経で没になった原稿の公開といえば以前、佐々木俊尚さんが「波紋を広げるカカクコム問題」にて行っている。今はまだ、新聞社が載せなかったというあたりで話題になったりしているのだけれど、記者ブログがどんどん広まっていくと、珍しいものでもなくなるのだろうな。
自然に受け入れられている例。まあ「全文掲載はスペースの都合で不可能」だから抄録が記事になったというケースなので、少し質の違う話ではあるのだけれど。
麻生私案には納得できる。finalvent さんのご懸念も経営的ジリ貧状況を背景とする自主解散という選択肢によって現世的都合を通す道筋を示しているのがいい。無論、靖国神社は「死ぬまで戦う」に違いなく、つまり麻生さんの願い虚しく今後数十年、現状と大差ない形で存続しそうなのですが。
akiyan さん開発の新サービス。画面のサイズを調べるサービスは多々あれど、実際のブラウザの幅を調べるサービスは珍しい。
当サイトにおける集計結果を簡単に書くと、おおよそ75%の方がブラウザ幅を 900px 超にしている様子。800px 前後にしている方が約15%、700px くらいの方が約10%で合計100%という按配。まあそんなものですかね。
ところで一般に横スクロールバー出すべからずということがよくいわれるのだけれども、アクセス解析で以前調べた結果では、当サイトの場合、(PC利用者の)97%超が 1024px 以上の幅を持つディスプレイのある情報端末を利用されているとのこと。800px くらいの方はともかく、700px 前後にされている方は、「横スクロールバー上等!」という意気込みなのではないかと。
私自身が、そうなんですがね。あえて 600px 幅とかにして閲覧しているときには、横スクロールバーが出るのは割り切っています。慣れてしまえばそれも気にならないものです。最大化したければするのであって、DVD を再生しながら巡回するようなときに、そんなことこだわらない。所詮、「ながらウェブ」ですから。
当サイトでは現在、JS 経由で3種類のスタイルシートを提供しています。デフォルト設定が幅無視定の「think」なので「1行字数を制限してほしい」なんて要望をしばしば受けます。幅固定が好きな方は「plant」を選択してください。たまに大きな画像を使っている記事で表示が崩れますが、滅多にないことなのでご容赦を。
そういえば、一時期「plant」をデフォルトにしていたときには誰も文句をいってきませんでしたね……。ま、イマドキの常識は幅固定なんじゃないですか。最大多数の閲覧者層にデザインを最適化するならですね。
えっけんさんや徳保さんのような、日記読みのデスクトップがどのようになっているのかなと。やはり簡単に情報を集められるように工夫されているんでしょうか。
えっけんさんはどうだかわかりませんが、私の答えは NO です。
かつてはカスタマイズに凝っていました。けれども先代のパソコンがしょっちゅう壊れ、修理に出すたび初期化されたので手入れ精神が摩滅。「メモリを 1GB くらい積んでおけば、とにかく速いんだ」と悟りを開くに至ります。
ちなみにブックマークもこの通り。
A はアンテナ、B は SB 用のブックマークレットです。
なるべく単純で変化の少ない生活をしたい、と思っています。
質問の出典はウェブページを作る人に8の質問です。他の方の回答と比較して、私の回答には有料ツールが多い。便利なら有料でも気にしませんが、使いこなせない高級ツールは関心外。
ウェブアートデザイナー(WAD)は非常に独特な設計のツールで、他に代え難い使いやすさ。HPB は新オマケツールを増やすより、既存ツールの機能向上に注力してほしい。WAD は HPB6 以降、進歩してない! IE 並みの開発停滞ぶり。せめてルーズな動作は解消してほしい。特定色を残しての減色、特定色の透明化といったカラーパレット関連の機能も追加してくれないか。何度も要望を送っているのだけれど無反応。
サーバの負荷が高まっているようで、503エラー続出。さくらインターネットのサーバ設定が少し変わって、1アカウントあたりの制限値が厳しくなったらしい。2ch 情報で出典は謎だけど、とにかくエラー続出で困っているのは私だけじゃないとのこと。
当サイトの場合、転載版:妖精現実へのアクセスが減少するなど、総ページビューは昨年より減っているし、ふつうの HTML 文書が表示されないわけではない。問題は CGI なのであり、となると怪しいのは Wiki しかない。「夏休みの宿題」がガンガン利用されていて、動的生成の負荷がキツイ様子。でも、だからといってサーバの負荷がきついので閉鎖するなんて嫌だな、と思う。そこでアクセス解析 CGI を停止してみた。
すると、夜間はエラーが解消された。ところが昼間はいけない。これでもエラーが出てくる。大人向けだって前書きに記してあるのに、子どもが読んでいるんだなあ。きっと「何じゃこりゃあ! 時間の無駄だった!」と怒っているに違いない。
一晩考えたが、やっぱりアクセス解析が使えないのも嫌だし、Wiki をやめることにした。@wIki なら各文書の URI がスッキリしているので、静的生成の HTML 文書で置き換えるのも簡単なのだが、FreeStyleWiki はふつうの Wiki なので、URI が汚い。サーバのお勉強か何かをすれば、それでも Wiki を停止しつつ静的なページへの自動転送も可能なのだろう。でも私にその気はない。
とりあえず移転先を作って、Wiki のテンプレートを非常に簡素な移転案内に差し替えた。Yahoo カテゴリの登録情報が新 URI へ変更されたら、Wiki 版の削除も検討する。サーバを移るのは面倒くさいから却下。
いい機会なので新しいツールを試してみようと思い、HTML Dwarf という CGI を利用して作ってみた。(その後、MT も併用)
HTML Dwarf は本来、小説サイトの構築用に開発されたツールだ。「小説毎にテンプレートを変える」「古い記事のリニューアルはしない」といった方には非常に便利だと思う。「原稿テキストと HTML 文書の相互変換」機能は衝撃的。長大なテキストファイルから、記号を目印に自動でページを分割した HTML 文書を作成でき、小説を書くのは好きだけれどサイトを作るのは面倒くさいと思っていた人にとってこれほどの福音はない。
「個別記事用のテンプレートを複数用意し自由に選択する」機能や、いくつかの情報を引き継いで「続きの文書を作成する」機能はかなり便利。いずれも MT で単一ブログを作るのでは実現不可能なこと。また HTML Dwarf は直感的でわかりやすいオンライン FTP ツールとしても活用できるから、通常文書とデザインの異なる多様なページをアップロードしたい事情のある方にも都合がいい。
テンプレートの仕様はかなりシンプルで、複雑なことはできないけれど、通常のウェブサイトを作成・管理するには困らないのではないか。具体的にはインデックスの自動作成が弱いのだけれど、PHP で目次パーツを読み込むようにでもして、その目次パーツは自作すればいいと思う。ブログじゃあるまいし、毎日たくさんの記事を追加することもないだろう。また、新規作成画面から入力できる情報がかなり多いのも面白いところ。カテゴリ機能がないといった問題も、じつは擬似的に自主対応が可能なのです。
HTML Dwarf で残念なのは、テンプレートを修正した際に既に存在する記事を「まとめて再構築」する機能がないこと。しかし作者さんも再構築機能の開発意欲を持っていらっしゃるので、将来、実装される可能性がありそう。期待して待ちたい。
MT にせよ HTML Dwarf にせよ、一長一短がある。どこに自由度を持たせるか。何を自動化するか。おそらく私の希望だけなら、全部実装するのも不可能ではないのだろうけれど、大勢の人が私と同じような要望を持つことは考えにくく、いつまでたっても私は何かしら不満を持ちながら高級なツールと格闘し続けるのだろうな。頑張って勉強して自分好みのツールを作ってしまえばいいのだろうが、それほどのやる気はない。