だったらいいけど、実のところどうかな、と不安に思っていたら、案の定。
記事投稿の際にデフォルトで「転載許可」に設定されていた転載モードを、今後はデフォルトで「転載不可」といたします。
これは改悪だと私は思いますけれども、ともかくこういうことになってしまった、と。ヘナヘナと力が抜けるような感じ。最初から全く勝ち目のない戦いだったというか、私が戦っているつもりだったことさえ認識されないままだったけど、完全に負けました。叩きのめされました。無念なり。
私は素人レベルのクリエーターが強烈な著作者意識を持つなんて、くだらないことだと思っているのです。著作権保護の対象はプロだけでいいし、権利意識を持つのも彼らだけで十分だ、と。Yahoo!ブログのユーザーに私が期待したのは、彼らがパブリックドメインのコンテンツを大量に生み出していくことでした。それが日本人の著作権意識を変える起爆剤となるのではないか、と思ったのです。
他人の著作物の自由な利用が可能になれば、新たな作品を作る方法は大幅に広がります。より自由で、潤沢な材料が揃った環境が用意されれれば、今では考えられないような素晴らしい成果物がどんどん生み出されるに違いない。とくに現在、開花を妨げられているのが「編集」の才能です。ニコニコ動画の成功が示したのは、ちょっと手を加えるだけで価値が急増するコンテンツがある、ということ。個人のブログにも、こうした可能性があるはずだと思う。
だから、二次転載はダメだとか、転載者は肩身狭そうにすべきだとか、全く不同意です。でも「権利意識を捨てるなんて無理」ならば、テレビ番組のスポンサーあたりの気持ちだって考えないとおかしい、と以前書きました。
私は著作権税の創設を主張します。年間10万円納税すると、その人物に著作権を主張する権利が与えられます。納税以前の著作物は保護対象外。また翌年の支払いが滞ると、それ以降の著作物はやはり保護されない。保護期間は最後の納税から10年間。遺族が著作権税を払い続けることも可能。ただしいったん著作権が切れたものが再び保護されることはない。
というわけで、年間10万円払えるのがプロ、他はアマチュアという線引きです。
私は2次転載の際、原著者が表示されないYahoo!ブログの旧仕様には問題ないと考えています。
原著者が記事を修正しても転載先には変化がない、もとの記事が削除されても転載された記事は消えない……ということは、転載先に原著者は責任を持てないということであり、転載記事の文責を負うのは転載者の他にいない。無責任なものに署名などする意味はなく、転載元表記は参考情報に過ぎない。
つまり、転載記事への賞賛は転載者が受ける、しかし転載記事が招いた災厄も転載者が一身に受ける、原著者の情報は全く重視されないから賞賛もされない代わりに責任も問われない。
転載元と転載先は連動して文章が変わったり消えたりすべきという意見も目にしましたが、それでは転載の意義があまりにも小さくなってしまいます。リンクとの差がぼやけてしまう。原著者が手が出せないようデータをコピーするところに、転載の醍醐味というか、便利さ、有難さがあるのです。
ところで首領さんの相手の都合を考えるという記事も面白い。お勧め。