収入を隠す利点が分からない(2007-04-28)への反応を二つ。
私の父は食うや食わずの状態で母と見合い結婚しています。1979年のことです。それから数年間は収入が伸び、最高で年収400万円くらい。バブル崩壊を境に300万円前後となったまま今年9月に延長雇用も終ります。母は結婚後一度も収入を得ていませんが、子ども二人を大学まで行かせ、老後の心配もないという。
私はそのような家庭で育ったので、現状について「収入が分不相応に多すぎる」とは思えど、不足を感じたことは一度もありません。だいたい高校時代の友人・知人と会ってみれば、その多くが「月給20万円足らずのボーナスなし」という生活。自分がどれだけ恵まれているか、嫌というほど実感させられます。
生活保護は過酷な選択を迫る(2006-07-02)で私はこう書きました。
みな、これ以上は引き下がれないというラインを引いて、その前で戦っている。生活保護制度は、生き方へのこだわりを捨てることを要求する。自分の所得をちょっとだけしか再分配されたくない私たちは、この冷酷な仕組みを必要としている。
五分位階級別の所得の状況によれば、第二階層の収入は第一階層の2倍を超え、第三階層にいたっては4倍近い。なのに「生活が苦しい」などという。そして6倍の収入がある第四階層の人までもが、「俺には貧しい人を助ける余裕なんてない」。上ばかり見て足るを知らぬ人々は、今日もまた同情だけしてカネは出さない。
厚生労働省のいう所得が総支給額のことなら、私は既に第三階層だし、差引支給額のことだとしても順調にいけば2~3年後にはそうなります(ボーナス=会社の業績次第)。私はもはや上を見て羨ましがるような立場ではなく、金持ちとしての社会的責任を考えるべきだと思っています。
こういう記事は書いても公開しないのが正解だろうなあ、と思う。「そのつもりはない」といえばいうほど、id:arisia さんの記事にブチ切れているように見えるから。ただ、それは私のせいじゃない。
id:mo_hate さんは馬鹿にするつもりではありません
と書き、id:arisia さんも馬鹿にしたりしません
と書く。言葉は同じですが、読み手の印象は逆じゃないかな。私の文章も、そういう流れで読まれちゃう。だったら id:mo_hate さんの記事だけにリンクすればいいのでしょうが……。