趣味Web 小説 2008-06-27

人の願いを無視する心の痛み

コメント欄に登場しているでんすけさんの意見に概ね賛成。

日経Tech-On!というサイトがあって、本文に会員登録を促すダイアログ(?)を重ねて表示している。会員になってログインすると、これが消えて本文がスッキリ読めるようになるわけです。でもじつはCSSで隠しているだけなので、Operaなどで製作者スタイルシートを無効化すれば、未登録でも本文を読める、と。

でんすけさんは、「会員登録せずに本文を読む方法」を吹聴する人に不快感を覚えるようなんですね。私はこの意見には共感します。

私はTrackback の可能性について(2004-02-25)で「トラックバックは第三者でも送信可能なので、それが有用ならば、AさんがBさんの記事をCさんの記事に勝手にトラックバックしてもいいだろう」と主張しましたが、あまり理解されず、ほとんど賛同は得られませんでした。

技術的に可能である、法的な問題はない、それでも……という領域は、常にあります。道徳の問題もそうでしょうし、ある技術が登場した背景とか、多くの人の認識に親和的かどうか、とか、いろいろ。

つまり、無断リンク禁止の人には、無断でリンクしない、素通り厳禁の人には、必ずコメ欄に書き込む、ファンポチお願いしますの人には、ポチしてやる、善意で転載してくださいの人には、転載してやる、ファン解除禁止の人には、解除しない、言及禁止の人には、言及しない、死ねばいいのにの人には、なるべく期待に応じる、逮捕されたくない人には、手錠をかけない、あやしい科学で出資を募り金儲けを企む人には、喜んでお金を出せということですね、わかります。

ひとつの論理で白黒つけようとすると、そうなってしまう。それぞれの問題に固有の事情があって、そこまで単純に話を広げるつもりはない。

私は、「会員登録のお願い」をなるべく聞きたい。「俺は無視したぜ」と吹聴する人はどうかと思う。

会員登録がものすごく億劫で仕方ない、という人もいるでしょう。一方、Opera使いなら製作者スタイルシートの無効化は簡単です。どうしても、より多くの人に日経Tech-On!の記事を読んでもらいたい場合、私も「こうすれば会員登録せずに読める」と書くかもしれない。

そのとき、文章にきちんと表現されるかどうかはわからないけれど、私の心の中には、人の願いを無視する心の痛みというものがあります。誰かに咎められたら、「いや、俺のやってることは正しい」と抗弁するかもしれない。優先順位の問題、として。それでも、胸の痛みは、消えていない。

「素通り厳禁」といわれても、なかなかコメントできない。逡巡するも「すみません」と心中で呟いて立ち去ることが大半。著者からしてみれば、私なんか、その他大勢と全く変わりない。ただそれでもね、「コメントしないことに何の問題もない」と胸を張る人には、違和感があります。

シクシク痛む、この感覚が、私の言動を緩やかに制約していく。一時的には暴走しても、そのままプツンと糸が切れて飛んでいってしまうことを防ぐのです。

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