羽田空港を乗り継ぎに便利な国際空港にしたいと前原誠司国土交通大臣が発言した話題に関連して、「成田と羽田の空港着陸料を引き下げるべき」という意見をいくつも目にした。私には異論がある。
成田も羽田も、ずーっと満杯状態が続いている。それゆえ、発着枠に余裕ができるのを、多くの航空会社が待ち望んでいる状態だ。常識的に考えれば、成田と羽田の着陸料は、空き枠待ちがゼロになる水準まで引き上げるべきである。逆に枠が余っている空港は、どんどん料金を下げていくべきだ。
人気のある空港は、ガンガン儲けるのが正しい。そうすれば、農家や漁協への十分な補償が可能となり、いずれ再拡張の目途も立つ。同時に、「多少は不便でも、これだけ値段に差があるなら中部国際空港や関西空港でいいや」と需要を分散することも可能になる。
大臣は横田空域の一部返還と羽田の拡張で増える発着枠の半分を国際線に割り当てたいと述べただけだが、世間では韓国の仁川や香港を引き合いに出して「国際ハブ空港を目指せ」と煽る人がたくさんいる。中身のない主張だと私は思う。
繰り返すが、羽田も成田も人気のある空港で、発着枠は常に埋まっている。今ある需要に応えることすらできないのに、どうして「もっと需要を増やせ」というのか。挙句に「着陸料を下げろ」だ。わけがわからない。価格による調整を行わなければ、恣意的な規制がまかり通る。不合理が温存される。
公共交通機関には高い外部経済性があるが、それを口実にして、あまりにも計画経済の発想が入り込みすぎるきらいがある。本来ならば、外部経済を料金に反映する工夫をして、調整は市場に委ねるべきなんだ。
羽田が国際ハブ空港になって得するのは誰か。受益者がお金を出しあって空港整備と着陸料減額を実施するなら、文句はない。しかし現実はどうか。(誤字修正 2009-10-15)
「オープンスカイ」推進で、ようやく人気路線の増便が自由になるこの機会に、不人気路線の整理と着陸料の決定も市場に任せる改革を進めるべきだ。そうすれば自然と、「着陸料が安くマイナーな海外便に強いセントレア」「料金は高いけどビジネス路線が充実している羽田」といった棲み分けが生まれるだろう。
羽田や成田が、アメリカの巨大空港や、とっくの昔に地代などを償却した欧州の古い空港を真似する必要はない。前段に書いたのはひとつの予想にすぎない。本当の最適解は、きっと市場が教えてくれるよ。
「好ましくない傾向がある」という意味。たびたび「意味がわからない」といわれることがあり、これまでブログでは他の言葉で置き換えることが多かったのですが、個人的には好きな言い回しです。
空港周辺を地盤とする自民党の前衆議院議員、水野賢一さんの意見。
空港管理会社の利益はまず地元対策に用いるべきで、それでも余るなら着陸料を引き下げるのが正しく、関西空港の維持に用いるのは妥当ではない、という。
私はもちろん、この意見に反対である。成田の着陸料は「安い」のだ。もし「高い」とすれば、多くの航空会社が成田への乗り入れを希求し、関空のキャパシティーに余裕があることの説明がつかない。
いつ空くかわからない成田を待つ機会損失を厭わないのだから、成田と関空の着陸料の差は、魅力の差を埋めるには全く足りないことを意味する。まず成田空港は着陸料を値上げし、実現可能な最大の利益を得ることだ。ただそれだけでも、割安感から関空の需要が増え、航空需給のバランスは改善されるだろう。
中・長期的には成田の拡張が考えられる。大きな需要があるのだから、供給を増やすのが真っ当な対応だ。しかし「成田空港の拡張には兆円単位の資金を要し、いくら着陸料を上げても足りない」かもしれない。
もしそうならば、成田の利益を用いて、現在は人気のない空港の魅力を上げる手もあるだろう。関空の増資を成田が引き受けて大株主となり、関空へのアクセスを充実するのも一手だと思う。損失の補填ではインセンティブにならないが、投資となれば物の見方が変わってくる。
大切なのは、日本全体で航空需要をうまく捌くことだ。そのために、受益者からはきちんとお代をいただき、発展させられる空港を発展させ、需要の偏りを分散する……みなが自然にそうした行動を取るような社会の構築が求められる。
供給過少の状況で成田が値下げをすれば、たしかに成田は安泰だろう。内際分離で羽田との競争を回避すれば、関空もセントレアも敵ではない。しかしそれは「細く長く事業を継続して、自分の仕事さえなくならなければそれでいい」という消極的な市場独占志向であり、社会の利益の最大化とは相反する発想だ。
なぜそれがいけないかといえば、満たされない航空需要を放置して日本経済の発展を阻害しても、関空が倒れて何万人が職を失っても、成田空港周辺で暮らす自分たちには関係ないもんね、というのと同じだからだ。既得権益を固守することに血道を上げて、他人の不利益を気にしない、それで通用するのが独占の悪である。
独占といえば価格を上げる方ばかり例示されることが多いが、とくに公共性のある分野では、社会的な圧力による不当廉売の恒常化によって、その分野の発展をも殺してしまう事例が少なくない。足るを知る当人たちはそれでいいのだろうが、不満を抱えた周辺の人々にとっては堪ったものではない。
埼京線が安すぎるから私鉄が新規参入できず、殺人的な混雑が解決されないのは、典型的な独占の害といってよい。もし日本が、JRがガンガン利益を追求することを許容する社会だったなら、とっくの昔に供給拡大競争が起きて混雑は緩和されていただろう。
道路公団もそうだが、「儲けすぎたら価格を下げろ」と強制されるような民営化はダメである。儲けすぎがなければ新規参入もない。規制を緩和し、果敢な利益の追求を目指してこそ、羽田と成田の利便性は上がり、関空は復活し、セントレアも存在感を増すことになるのだ。