私の感覚とはだいぶ違うな。学校でも、頑張っても「結果」は出ない。塾で教えてみて、身に沁みました。自分のときは、すいぶんいろいろ付け足しの説明をして「頑張った甲斐があった」ことにしていたんですね。生徒のあれやこれやの言葉を聞きながら、そう得心したものです。
逆に仕事だって、自分の中の経験は、ちゃんと増えていく。それに、たいていの仕事は「やること」が決まっていて、期待される役割をこなして所定の報酬を得るもの。ふつうのサラリーマンは、商品開発のプロジェクトが失敗して売上がゼロに終っても、給料をもらえるでしょ。
いくつかアルバイトをやって、7年間サラリーマンを続けてみて、少なくともヒラで働く分には学校と変わらないというのが正直な印象。頑張れば、結果が出なくても大丈夫。責任を問われるのは、結果の出ない仕事を命じた上司の方。もちろん、同じ仕事を任せても人によって結果が違う。けれどもそれは、部下の適性に合った指示を上司が出すべきだ、ということ。
「うちはそんなに甘くないよ!」というかもしれないけれど、不幸自慢をして何になるの。巷間に流布されている「社会の厳しさ」なんて、無能な経営陣や管理職の手抜きを正当化しているだけではないか。本当は、もっと多くの人が、気楽に社会人生活を送れるはずです。
コピペレポート問題とか、質問しにこない新人問題とか、ネットで話題になる「問題」のいくつかは、私にいわせてもらうなら、「偉い人が無能」問題なんですよ。「どうして私の周りで同じような問題が起きなかったのか?」と疑問に思って記憶を探ってみると、教授や上司が簡単な工夫をして問題の発生を未然に防いでいたことがわかる。
で、私はポカーンとしちゃうんですよね。コピペレポートを提出する学生とか、質問しない新人とかをバカにする言葉を書き並べてる人がいっぱいいるでしょう。何て無駄なことをしているのだろう。ペンもノートも持ってこない学生の指導法(2007-07-17)に書いたような考え方が、社会の常識になっていってほしいと私は思う。
とはいえ、それを言い出すと、この文章だって「ただ批判しているだけ」なんですよね。こうすれば世間を啓蒙できる、という妙案は未だ見出せていない。
私もとりあえず「コピペレポート」「質問 新人」でググって簡単な解決策がトップ3に登場するようにはしたんだけど、「やってみました」という報告を聞いたことがない。そして何度も何度も同じ「問題」が起きて話題になる。無念です。
2008年11月26日の第10回図書館総合展の講演録です。その道のプロが「解決策」を示す、良い内容。「問題」を云々する記事より、こういう記事が話題になってほしいな。
ただし、私の提示した解決策は独創ではなく、私の周囲にいた方々が実際に行っていたこと。だから別に私の記事を読む必要なんかない。何か問題が起きたときに、まず自分の行動を改めることで解決できないだろうか、という視点を持ってくれたらいいはずなんです。
そうすれば、どうして**先生は「俺のとこにはコピペレポートなんて提出する学生はいないよ」といっているのだろう、どんな授業をしているのか、一度、講義を見学させてもらおう、という風に話が展開していくと思うんです。
質問しない新人だって同じ。新人の態度に愚痴をいわない、とくに不満もない、という人に話を聞いてみればいい。そうすれば、「自分が新人だった頃を振り返ってごらんよ。あなたは優秀で、臆せず質問できたかもしれないけど、遠くの席にいる先輩に質問するのって気が重いじゃない。新人てのはそういうものなんだから、こっちが新人のそばで仕事をしなきゃダメなんだよ」と教えてくれるんじゃないか。
その第一歩のところで、「いまどきの学生はバカ。そんなことしたら自分のためにならないのにコピペでレポートを作るんだから」とか「クソ人事が! こんなヤツを採用しやがって!」とかいいだすのが不幸の元。他人に「一人前」を要求するような発想をどうにかしないと、世の中よくならないと思う。