看護師が人手不足だというので(他にも理由はあるが、ここでは捨象する)、日本は発展途上国から多くの研修生を受け入れた。日本には大勢の失業者がいる。人手不足は労働条件の悪さを反映している。失業者の生活保護をしつつ海外の安い労働力を頼るという政策は支持できない。
先進国では次第に「どうしても機械化できない仕事」の値段が上がっていく。それは意外と、単純労働だったりする。看護師のような専門的な技能を要する職種の給与アップさえ許容できないのが日本という社会の現状だとすると、日本ではもはや産業構造の転換は不可能ということになるだろう。
問題は、そのくせ医療水準だけは、進歩を続ける「先進国レベル」に喰らいついていくことが求められていることだ。これは矛盾である。医療サービスのいっそうの充実と、コストの維持を両立させろ、と。デフレ下で名目コストを維持するという条件ならともかく、実質コストの維持が求められるのだから無理がある。
「他人」には構造改革を押し付ける国民も、いざ自分が改革の対象になると頑として受け入れない。医療に適正な対価を払うか、医療水準を先進諸国の10年遅れの水準で固定するか、いずれかを受け入れれば道理が通る。これ以上、健康保険の保険料を上げることが不可能なのだとすれば、医療水準を固定するしかない。サービスの水準を固定すれば、年率1~2%程度の生産性の向上によって労働環境は徐々に改善されていく。
混合診療の解禁は、いわば折衷案。保険診療の水準を据え置き、先端医療は追加料金とするわけ。混合診療が解禁される領域が広がれば、「金持ちは助かり、貧乏人は死ぬ」という場面は増える。どれくらいの増加なら、国民は許容できるだろうか。
国民の無理が通って、外国人看護師を受け入れて医療費を抑制することになった。この政策には隠れコストがある。国内の失業者の存置、今後も改善されない看護師の労働環境、などがそうだ。医療費を抑制できてよかったね、では済まない。
じつのところ、今回、日本へやってきたのはたいへん優秀な看護師で、いまのところ年あたり数百人という規模でしかない。いまこの方々を拒絶することに、合理性は乏しい。ただ、記事にもある通り、この話は「労働力不足を外国人で補う」という発想に直結している。人材の相互交流ではない。
いま日本では、単位看護師の資格を持ちながら、看護師の仕事から離れてしまっている人がたくさんいる。それはなぜなのか、というところから考えていくべきだ。こんな状況下で、よその国(とくに貧しい国)から優秀な看護師を連れてくるなんてのは、「不道徳だ」とさえ思う。
「変化」なくして成長なし。
と書いたら、「外国人労働者を受け入れるのも立派な変化だろ」みたいな反応をいくつも貰った。まあ、それは、そう。だけど、どうせ変化のコストを負担するなら、もっとマシなやり方があるはずだ。
「失業者と特定の産業に負担を押し付けて、大多数の国民の生活を変えない」という案が支持されがちなのは、年率3%程度のインフレで怒りを爆発させるデフレ親和的な世論と同様、民主主義の陥穽だな……。