趣味Web 小説 2010-08-15

「楽しければいい」なんてことはない

2chの反応を見ると、科学を装って消費者の信頼を得る詐欺的な手法について、直感的に嫌悪感を覚える人が予想以上に少ないようだ。

『脳トレ』に登場する「脳年齢」は科学を騙っている、と私は2006年に書いた。その言葉の知名度は圧倒的であり、市場での存在感も大きい。ニセ科学批判の優先順位としては、「血液型性格分類」が先天的要因に基づくとする俗説を粉砕することよりは下だろうが、「ゲーム脳」よりは上じゃないかと思う。

「脳年齢」チェックの仕組みをよく確認すればわかる通り、脳トレの示す「脳年齢」が若くなることは、「脳が若返った」ことを全く保証していない。ゲームに習熟するにつれ、より若い年齢のサンプルユーザーの平均得点に近付いていく、ということに過ぎない。だとすると、少なからぬ人々が「脳年齢」という指標から連想した「脳を鍛える」という言葉のイメージは、実質と乖離しているといえないか。

「脳年齢」が単に「得点」であってもゲームの内容自体に変化はない。だが、商品の本質の少なくとも一部は、「脳年齢」という言葉の選択にあった。大学教授が監修し、「科学的な裏付け」っぽく見える理屈とデータも用意した。そうやって、「顔の皺は増えても、せめて脳くらいは若くありたい」という消費者の感情を、巧みに引っ掛けたのだ。

ゲームの得点と「脳の若返り」(まずこの言葉の定義が必要だが消費者の一般的なイメージから乖離したものであってはなるまい)の関連について、川島教授は科学的な説明を何もしていない。にもかかわらず、任天堂は「脳年齢」という言葉を採用し、「ゲームで脳が若返る」という誤解を利用してきたように見える。

たしかに任天堂は、「脳が若返る」とは宣伝しなかった。そこは慎重に言葉を選んでいる。だが、それは卑怯な言い逃れではないか。「DSで脳を鍛える! あなたの脳は何歳ですか?」これが脳トレの宣伝コピーだった。合わせ技一本でアウトとみなす見解に、私は与したい。

法的に罰するのが相当だという意味ではない。道義的な観点からいっている。端的にいえば、ズルいと思うのだ。科学でないものを、それらしい味付けで科学っぽく見せかけることで商品をヒットさせる……それは科学への信頼にタダ乗りする行為だ。やった者勝ちであってはならない。

自分の好きなものを脅かすニセ科学には猛反発するが、自分の生活を害しないニセ科学なんか、どうでもいい。それはそういうものだろう、とは思う。しかし、「勝手に議論してろよ。楽しければいいだろ」と要約されるような感覚は、個人的には許容できない。

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