趣味Web 小説 2011-02-19

母は階段を6往復した(幼少の思い出2)

1.

我が家は団地の5階なのですが、エレベーターはついていません。エレベーターなどついていません。一番下の子が2歳なので、なんとか階段を登ることはできる、いや、登る能力があります。ところが、2歳、3歳の子供というのは、階段を登りたがらないのです。手に荷物を持っていると、3人を抱いて登るわけにはいきません。5階まで往復することになります。

母はたいへん優秀な人だったが、子どもを眺めて過ごすことに人生を費やしたいと思ったので、私を産んだ後、いかなる賃金労働もしなかった。社会的には損失だったかもしれないが、母の幸せには代えられない。

とにかく母には、いつもたっぷりと時間があった。子どもがグズれば、1時間でも2時間でも待った。「自分で登れるのだから、ちゃんと登りなさい」その一言だった。私は頑固なので、「登りたくない!」とへそを曲げると、20分くらいは梃子でも動かない。すると母は、「じゃあ、先行ってるね」と私を残して家に入ってしまう。これは私が3歳の頃から、既にそうだった。まあ、幼稚園から帰ってくるなり、カバンを置いてスモックを脱ぎ捨てるなり友達の家へ遊びに行ってしまうのだから、玄関先の階段にいる子どもから目を離すくらい、どうってことはない。不幸があればそれはそのとき、と母は腹を括っていた。

だんだん子どもの命が重くなってきて、最近の子どもは、家の外ではずっと大人が見守ってやらないといけないらしい。でも子どもってのは、大人の目のないところでないと、思いっきり遊べない。幼稚園児だってそう。大人がいると、木登りとか、塀の上歩きとか、絶対にさせてくれないんだもの。つまらないよ。

幼稚園は楽しかったけど、でも幼稚園が終った後に友達と遊ぶ方が、もっと楽しかった。それはなぜかといったら、放課後は大人の目がなかったからだと思う。あとは環境かな。幼稚園には人工の場所しかない。虫がいない。葉っぱを千切ったり踏みつけたり実を取ったりしていい植物がない。24時間、そういう不自由な場所で過ごしていたら、子どもはみな気鬱になってしまうのではないだろうか……。

2.

私が動かなくなると先へ行ってしまう母だけど、子どもたちが登ろうとしている限りは、ずっと見守っていてくれた。家から数百メートル離れた場所に14階建ての雇用促進住宅というのがあった。弟は3歳の頃、母と一緒に2時間かけて最上階まで非常階段を登った。そこからは小さく富士山が見えたのだと弟は興奮して話してくれた。私はもう小学1年生だったから、14階まででもサッサと登りきることができてしまい、弟と同じ感動を味わうことはできなかった(それに富士山も見えなかった/空気が澄んでいないと見えないのだそうだ)。私が階段でいちばん感動したのは、後に東京タワーの展望台から階段で下まで降りたときかな……。

閑話休題。あるとき、私がなかなか上がってこないので、母は心配になって戻ってみた。すると私が微動だにせず同じ場所におり、テンションもそのままにプリプリしていたので、「こどものエネルギーってすごいな」と感心したという。この日、私はよっぽど虫の居所が悪かったようで、40分後も、1時間後も階段の同じところに座り続けていたそうだ。

いくらなんでも……と思って、そっと扉を開けて忍び足で階段を降りてみたら、私は蟻の巣を眺めたり、草をむしったりして遊んでいた。母はいったん家に戻り、今度はふつうにガチャンと音を立てて扉を上げ、カンカンカンと足音を立てて降りてみた。今度は、例のムスッとした顔で考える人のようなポーズを作っている。母は、カラクリを理解した。

母は昼食の準備をすると、またコッソリ降りた。案の定、私は蟻の行列を追いかけて遊んでいた。母は私の背中に近づき「ワッ!」と脅かす。私は「うひゃー!!!」と転がり、母は大笑いした。バツの悪そうな顔をする私に、母は「お昼ごはんができたわよ。あったかくておいしいうちに食べないともったいないんじゃない?」という。私は機嫌を直して、母と一緒に階段を登った。

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