趣味Web 小説 2011-02-20

湯気をつかみたい(幼少の思い出3)

1.

専業主婦は、それはそれで大変です。妻の仕事の関係で、しばらく兼業主夫をやっていました。専業主婦は楽だと考えているサラリーマン夫は、しばらく会社を休んで家事をやってみたらいいと思います。これだけ奥さんにサポートしてもらって働いているのですから、もっと仕事の生産性を高めてみたらいいと思います。

母はだんだん家事が面倒になってきたとかで、料理も掃除も洗濯も、どんどん子どもに任せていった。最初は教育の一環だったのかもしれないが、そのうち、母より本当に私の方がうまくできることが、ずいぶん増えた(これも両親の演出だったのかもしれないな、と今は思ったりもする)。

コルクの床のワックス掛けなどは、うまくやるとピカピカになって楽しい。両親が日帰りで旅行へ行っているときなどに、留守番のついでにやってしまうことが多くなった。ワックス掛けは昼間にやらないと乾きが悪い一方で、家の中に人がいると何かと不都合が多い。旅行についていくよりワックス掛けをやる方がいい、というのも珍しい子どもだったろうけれど、いったん「ワックス掛けならお兄ちゃんだね」と誇りを植えつけられると、その仕事をキッチリこなすことが人生の最優先課題となっていくのである。

アイロン掛けは、はじめるまでが億劫なのであって、いったん道具を広げて作業を始めてしまえばとても楽しい。皺を見つけては四方八方から追い込んでいく。「やったか!?」と思いきや、裏返してみるとアイロン掛けによって新たな皺が生まれていたり。

多くのご家庭では、火傷を心配して子どもにアイロンは触らせないそうだが、私と弟は、何度も火傷をしながらアイロンに慣れていった。ただし、片手でアイロンを操作できるだけの筋力がつくまでは無理がある。小さな子どもが両手でアイロンを持つと、指先ではなく腹部に火傷をしてしまい、こうなると大事だ。私がアイロンを扱っていると、弟も同じことをやりたがって危ないことがわかったので、弟が成長するまで一時棚上げになった。

2.

かつて私が病院で治療を受ける必要があるレベルの火傷をしたのは2回。私にはアトピーがあったので、ふだんの小さな火傷は、アトピー治療のついでに念のためにちょっと見てもらうだけで十分だったが、この2回ばかりは、そうはいかなかった。

最初の大火傷の原因はバイクのエンジンだった。母が帰ってきたので、喜んで足にじゃれつこうとしたとき、うっかりエンジンに触ってしまった。母は父の願いを聞いて興味のないバイクに乗っていたのだけれど、これでプッツンきてバイクを売り飛ばした。

もう1回は炊飯器。私は湯気に魅せられ、椅子を持ってきてステンレス製の流し台によじ登った。間近で白くホワホワした美しい湯気を見て満足すればよかったのだが、人の欲望は際限がない。私は湯気を手でつかもうと奮闘したが、どうしてもつかめない。「そうだ、湯気の出てくるところを手で押さえたらつかめるんじゃないか?」これはナイスアイデアだったが、残念ながら人間の手の仕様を超えていた。

アンギャー!! と私が悲鳴を上げたとき、母がどこにいたのかはよくわからない。さすがに炊飯器と縁を切るわけにもいかず、その後も頑丈な炊飯器は長く活躍した。

大火傷から数年後、お米を研ぐ作業が私のマイブームになった。母が台所に立つと「ね、ご飯炊く? 炊くならいってね。ぼくがお米を研ぐから」といって私はつきまとった。その延長で、炊き込みご飯が好きになった。ただ具材を混ぜてスイッチを入れるだけで料理ができあがるのが楽しい。「今日は炊き込みご飯にしようかしら」と母がいうと、「じゃあ、ぼくやるー」と台所へ駆けていったし、スーパーで瓶入りの炊き込みご飯の素を見つけると、「これほしい!」と訴えた。

家事というのは、なかなか楽しいものである。会社の仕事が楽しいのと同じように、家事も楽しい。とくに子どもが好奇心でいっぱいのときに家事に親しむと、これは一生の宝になるんじゃないか。

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