趣味Web 小説 2011-03-04

母は動じなかった

1.

例によって、実家ではどうだったかと考えてみる。母は父を起こさなかった。「口でどういっているかということよりも、実際に起きられるかどうかが大切。お父さんのように仕事を頑張る意欲を持っている人が、それでも起きられないのなら、心身に無理がきているということよ。そのまま寝かせてあげたいわ」

一方、単なる怠惰で寝坊をする私と弟は、もちろん叩き起こされた。

母が父の稼ぎに不満を漏らしたことは一度もない。一時、父の勤務先の経営状況が危なくなり、年収が激減しても、母は動じなかった。父が病に倒れたときも、ゆっくり治療することを主張している。父が仕事を辞めたいならそれでいいともいった。父が早期退職に応募することには反対したが、その最大の理由は「会社に義理立てする必要なんてない。定年まで働きたいなら、働きなさい」というものだった。

「いざとなれば私が稼ぐから心配無用」といっていた母は、結局、結婚してからは父がリタイアするまで一度も働きに出ることはなかったが。

2.

子供は動きまわる時期で、目を話すと事故の危険性があるため、目線が切れない。気が休まる暇はない。これだけでも育児ノイローゼを気をつけなければいけない状況と言える。

ブラック企業もよくないが、親が子どもから目を離さないことを当然視するのもよくない。それでは育児ノイローゼも必然だろう。私は功利主義に与するところ大なので、低い確率で起きる悲劇を防ぐために、全員を育児ノイローゼにするのは間違っていると考える。

私の弟は、歩けるようになって1ヵ月後には玄関の扉を開けた。「まだ早い」といわれても、家から飛び出すためにあらゆる努力を惜しまなかった。そこで母は、暇を見つけては弟を連れて近所を散歩するようにした。すると、ふたのない側溝やら、鉄筋の突き出たコンクリート片やらが見つかったので、ひとつひとつ危険を教えていった。そうして家から十分に離れたら、適当なところで足を止めて「さあ、お母さんを家まで案内してちょうだい」という。この訓練は、幾度も重ねられた。雨が降れば世界の見え方は変わるので、雨天決行だった。

万一に備えて、弟の服には住所と電話番号を書いた布が縫い付けられていた。弟はお腹が空くと帰ってきたが、一度「赤ちゃんが公園で一人で遊んでいる!」と驚いた親切な人が、家まで弟を連れてきてくれたことがある。このとき母は昼食の準備をしていた。弟は庭に出て垣根の下をもぐり、300メートル先にある通称『ゾウさん公園』の砂場でキャッキャと遊んでいたそうだ。「30分足らずで、ずいぶん遠くまで行けるのね!」と母は弟の行動力に感心した。

その後も、子どもが自らの力で世界を向き合えるよう、両親は私たちに様々なことを教えてくれた。「落ちたら自力で這い上がれない溝の深さ」「触ってはいけない虫」「触れるとかぶれる植物」「乗ったら折れる枝の太さ」「走ると転ぶ場所」「雨に濡れると危険になる場所」「気付いたら知らない場所にいたときの対処法」「弟にできても兄にできないことは多々ある。逆もまた同様」「台の幅と落下率」「飛び降りられる限界の高さをどう判断するか」etc

母は兄を亡くしている。父方の祖母は、兄弟の大半を幼少期に亡くしている。いずれも病による。2人の祖父は、ともに兄弟を戦争で亡くした。父は2人の親友を雪山と爆弾テロに奪われた。両親には、「人は死ぬものだ」という感覚がある。そして「命のリスクを徹底的に嫌悪して制限と監視を強化していけば、人は人らしく生きられなくなる」という直感を持っていた。

3.

私や弟が怪我をしたり問題を起こしたりしても、両親が責任のなすり合いをするのを聞いたことがない。両親にはそうした発想がなかった。

子どもの人生は子どものものであって、親の心労を軽減するために子どもの自由を奪うのは本末転倒である。親は子どもにできる限りの教育を行うが、子どもが自由を謳歌して痛い目に遭う、最悪の場合は死に至ることさえも、親は甘受しなければならない。……子どもの頃、両親が繰り返し語ったことを再構成すると、こうした思想が浮かび上がってくる。

これは、父の仕事に対する母のドライな感覚にも通じていると思う。母は父に「仕事をしてくれなければ私たちは困る、だから頑張って仕事を続けてほしい」とはいわなかった。「私も子どもも、勝手に生きていく強さを持っている、だからあなたは自分を大切にすればいい」という姿勢を貫いた。

私や弟は、「お父さんが仕事をなくしたら困る」といったし、「もっとお父さんの給料が多かったらよかったのにな」ともいった。対する母の言葉は、要約すれば「それは自分の人生に責任を持つ気概のない人の言葉だ。お前たちは、家畜や花壇の花のように生きたいのか。人には個性がある。「そうだ」というなら、それもいいだろう。だが、野生動物のように自由を謳歌したいなら、自分の人生は自分で背負わなければならない」というものだった。

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