例えば、試験終了後、ある受験生が大学側に「隣の席の子がカンニングをしていた」と申告してきたとする。このケースと今回のケースは行為としては異ならない。
このケースは、次のような(仮想の)ケースと、法律上はまったく同じだと、私には思われます。
入試業務の当日、仕出し弁当千個を京都大学の名前で注文する電話があった。真に受けた弁当屋が届けたところ、注文の事実はないとして大学が受け取りを拒んだ。弁当屋が怒り、大学の責任を追及する。覚えのない大学は対応に大わらわとなり、ただでさえ手不足の職員が忙殺された。入試業務を妨害する不届き者の犯罪だと警察に通報し、捜査したところ、犯人は受験生だと判明した。動機は「どうしても国立大学に入学したかった。混乱させればカンニングできると思った」。
受験生が試験時間中にYahoo!知恵袋に試験問題を投稿して回答を募ったところ、京都大学が業務妨害で被害届けを出し、警察が動いて身柄を拘束する事件があった。
私は田中説に共感するところ大で、これはカンニングを現行犯で発見できず、事後的にカンニングの痕跡が発見された事例に過ぎないと思う。大学側が世間の大騒ぎに頓着せず内省的に対処すれば、通常業務の範囲内で対応可能な問題だったし、そうするのが正しかったと思う。逆に玉井さんは、試験時間中の問題流出は世間云々に関係なく大学が大騒ぎするに足る事件だという認識なので、結論が違ってくる。現実に玉井さんのように考える人がかなりの割合で存在している以上、大騒ぎは避けられなかったのだろうな……残念なことだけど。
玉井さんの弁当架空発注の例え話は、弁当屋に100%確実に実害が発生する点が違うと私は思う。ていうかこの場合、業務妨害で架空注文した人を訴えるのは大学じゃなくて弁当屋だろう。とはいえ、例え話は「AとBには共通点があるという世界観の表明」なのであって、自分が納得できなかったときこそ、よく検討すべきだ。
試験時間中のウェブ上への試験問題流出について、「警察力に頼ることも厭わず徹底究明を目指す」他に選択肢はないと玉井さんは考えている。そうだからこそ、架空注文に応じて弁当を作った弁当屋に大損害が生じるのと同等の確実さで、それは大学側に莫大な対応の手間=実害をもたらす行為だとみなしている。弁当架空注文の例え話から、そういう玉井さんの状況認識が理解できる。
理解できて、何の得がある? 私は、こう考える。みなが自分と同じ考えだったら、むしろ怖い。しかし自分と意見が違う人がいると、不安になる。同じものを見て、どうして結論が異なるのか。「わからない」と不安になる。だが、理解は安心につながる。安心は、私にとって追求する価値のあるものである。
そもそも、いかなるカンニングもこの世に存在しなければ、試験監督など不要だろう。教室にもっと大勢の受験生を詰め込んだっていいんじゃないか? たくさんの教室を用意し、大勢の試験監督を揃えるために大学の平常授業を休みにすること自体、業務妨害の内部化なんじゃないだろうか。特定の個人に責任を負わせることが難しいから、考えるのをやめているだけでさ……。
もし長らくカンニング犯のいなかった世界に、例えば100年ぶりにカンニング犯が現れたとしたら、業務妨害で逮捕されたりするのかもしれないな。とんでもないことになった! と大騒ぎになって。
逆に今回のような事件が全国で恒常的に発生するようになれば、いずれ業務妨害とはいえなくだろう。「ありうる事態」に備えておくのは当然であって、ネットを利用したカンニングへの対応も通常教務の範囲内、というコンセンサスができるので。まあ、こんな事件は今後ともレアケースであって、ネット監視まで通常業務の範囲内とみなされる未来はこないと私は予想するが。