その日もわたしは区民プールにいて、適当に泳いでからプールサイドで休んでいると、わたしのとなりに3人の親子連れがきた。お母さんと、娘ふたり。*どうやら娘ふたりの「どうしてもプールに行きたい」「今すぐ区民プールに連れていくべし」という要求に負けて、お母さんがふたりをここに連れてきたらしいということがわかった。*
しかし、こういうときの子どもはたいてい気まぐれである。いざプールへ来てみると、水に入るのがこわくなってしまったらしい。いつも入っているプールより深かったのかもしれない。ふたりの娘は、「こわい、プールいや」といって近づこうとすらしない。*
ふとお母さんの顔を見る。憤怒である。*お母さんはもうがまんならないといったようすで、「いいから入りなさい」「入らなければけじめがつかない」*けじめ。KEZIME。*理屈としてはわからなくもないけれど…。*
「あの、すいません。そのー、娘さんもね、こんなにいやがっていることですし、プールに入れるのは、かんべんしてあげたらどうでしょうか」*
お母さんはぽろぽろと泣いていた。「そうですよね、私、おかしいですよね」*ふたりの女の子も無言のまま、母親とわたしを交互に見ている。子どもを育てるとはかくも理不尽な戦いであるとそのとき感じた。(*は中略の記号)
私の父はどうしたか。「あ、そう。じゃあ、あそこにでも座っていなさい」といって、一人で2時間もプールを楽しんだ。父は泳ぎが得意だった。
母は水が苦手なので、母が子どもたちをプールに連れて行ったのは1回きりだった。近所の市民プールには、泳げない保護者のための2階観覧席があって、ここには服装そのまま+下足で上がれる。母は日傘をさして上からしばらく子どもたちの遊ぶのを眺めていたが、「暑いから帰る」といって、先に帰った。3人とも自転車で向かったのだし、入場料は先払いなので、とくに問題はなかった。
母は1回ついてきて、それで、道中にきわめて危険な箇所のないことを確認したので、以後、子どもたちは勝手にプールへ行けるようになった。成田ニュータウンの場合、信号機ゼロで吾妻ハイツから中台の市民プールまで自転車で行けたから、小学2年生(私)+幼稚園の年中さん(弟)の組み合わせでプールに通うことは可能、というのが母の判断だった。
自動車なしで生活できない街には、こういう自由度がない。リンク先のエピソードの舞台というのも、たぶん自動車なしで移動できない街なんじゃないか? 距離的には自転車でも行けるのだけれど、交通量の大きな道路をいくつも横断しないといけないから小学生と幼稚園児だけで行かせるわけにはいかない、みたいな。
子どもだけで自宅から数キロ離れたプールへ出かけるのは楽しかったな。父がいれば帰りがけにアイスを買えるのが嬉しかったけど、その代わり、帰る時間とかは父の気分で決まってしまう。私たちはアイスより自由を選ぶことが多かったように思う。
夏休みになると、母は実家へと私たちを連れて行き、私たちを祖母に預けて、実家の近くに住む伯母と旅行に出かけたりした。伯母のところに年上の従兄弟たちがいて、子どもは子ども同士で毎日遊び暮らした。
なんで祖父母の家ってあんなに部屋数が多かったんだろうか。ま、いろいろな豊かさを食い潰して育ってきたんだな、私は。
いろいろなことを一人で抱え込んで、完璧にこなそうとするが、当然そんなのは無理で、それでも一人で何とかしようとして、いっぱいいっぱいになって暴発してしまう……。何でそうなるの? と、ついつい思ってしまうのだけれど、それって「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」みたいな発想なんだろうな、たぶん。釈然としないけど、きっとそうなんじゃないかな(とでも考えないとやりきれない)。
みんなもっと無責任になればいいのに。「プール? 勝手に行けば?」みたいな。道中で何らかの事故に遭って死ぬかもしれないけど、いいじゃん、子どもが自分の意思でプールに行ける自由の方が大切だよ。そういうことにしようよ。