母「あ,またイスから降りようとする!」
子「おりたい~」
母「ダメです.全部食べてからにしなさい」
子「おりたい~」
母「1,泣かない.2,みんなと一緒に食べる.分かりましたか?」
子「わかってない」
母「わかってないんやな.ほなあなたはあたしたちの子やない.家の外に,放り出すで!」
父「『たち』かいな」
母「だってこの子,ぜ~んぜん食べへんのよ.ほんでイスから降りて,(さきの子・あとの子が横たわっている)ベビーベッドに行って,ちょっかいかけてくんねんから」
父「うーん」
母「はいもお(抱きかかえる)」
父「どないすんねんな」
母「玄関から,放っぽり出すんや」
子「ママ~~」
母「今さらママママ言うてもあかん.出て行きなさい!! (外に投げ出し,扉を閉めて鍵をかける)」
父「お外,出たりせんやろか…」
母「まあ大丈夫やろ.反省してくれたらええんやけど」
これは子どもが正しいよ。反省すべきはお母さんの方じゃないか。プッツンきた。
幼少期の私は少食で、3歳頃は、8枚切りの食パン1枚を1/8に切ったのを少し齧ったら「もういらない」。当時の私は全く動かない子で、昼も夕も夜も眠っているか、ペタンと座って周囲を眺めているか。活動的なのは朝だけ。「それなら少食なのも当然でしょう」と母に相談されたお医者さんはいったそう。
子どもの食事というと標準量を押し付ける方が少なくないそうです。大人でも食事の量には数倍の差があって、各自の生活や体質に見合ってさえいれば健康に生きられます。子どもにばかり標準量を押し付ける意味はない。お医者さんに相談すれば、ちゃんとそういう答えが返ってくるはずではないのか。
私もこれまでそれなりの人数のお父さん、お母さんを眺めてきたけれど、親が指定した分量まで食べない子どもを叱る人がずいぶんいる。既に食欲を失っているのに無理やり食事をさせるなんてのは、虐待とどう違うのか。医師が勧めるのは「親子で運動をして自然と空腹になるように……」といった方法であって、叱りつけたり罰を与えて脅すなんて方法を勧める病院はないと思う。
一見、子どもの健康を慮っているようでいて、実際には大人が個々の子どもの実情を観察する手間を惜しみ、「ふつう」を一方的に押し付けているに過ぎない、という場面は多い。不幸の連鎖が云々といった話はしたくない。いま、この子がかわいそうだ。それで十分だと思う。
以前、別の場所でこういう話をしたとき、相手の方の第一声が「残飯がもったいない」だったので、のけぞりました。お父さんかお母さんが食べればいいでしょ、そんなの。うちでは父が食べるか、保存・再調理して次の食事の1品になっていました。みんな、食べ残しは捨ててるわけ? 保存方法に気をつけて、きちんと再調理すればいいだけの話なのに。
ていうか、たくさん皿に盛るから残飯が出るので、子どもの実情に見合った分量を観察から見出だすことが先決。どうして親がサボることが話の前提になっているのかがわからない。
で、子どもが大きくなったら、最初は少なくよそっておいて、「食べたい分だけ自分でおかわりしなさい」と指示します。流し台では高すぎて台を使っても少し危ないから、食卓テーブルの隣にちゃぶ台のようなものを置いて、そこに味噌汁やおかずの入った鍋と炊飯器を並べておくわけです。「食べられる分だけよそいなさい。食べ残しは禁止ですよ」と、「残さず食べる」の指導は、ここで登場します。
「子どもが鍋をひっくり返したらどうするの」
「そりゃ10回か20回はそういう失敗をするよ。でも、チャレンジに伴う悪意なき失敗に小言は不要。毎回淡々と、親子で一緒に片付けをするだけで、だんだん注意深くなる。それに、ちゃんと片付けをできたら、子どもをほめるいい機会になるよ」
「嫌だよそんなの」
「まあ、子どもを叱りつける方が楽なのは事実。あるいは、失敗しない大人が子どもの代わりによそってしまう方が、よっぽど簡単だよね」
「そうはいわないが……」
これは「あたしたちの子やない.家の外に,放り出すで!」なんて話じゃないので、どっちでもいい。無限のリソースを持っている人はいないので、費用対効果を考えて判断すればいいこと。
私が「効果」と考えているのは、この2点です。たぶん、小言中心で子どもを育てても、子どもと一緒に苦労してほめ言葉中心で育てても、結果には大差ないと思う。大きく違うのは、思い出だけ。その程度のメリットのために、大きな子育ての手間をかけるのは無理だ、というなら、それはもう仕方ないと思う。
標準量を調べているなら、勉強熱心だからまだマシなのであって。親の都合や直感で子どもの食事の量が決まり、「もっと食べたい」といっても「もう食べたくない」といっても子どもが叱られる、という理不尽が日本中にある。その子が「あれは何だったんだ」と親を恨んで大人になるならまだいいが、いつの間にかひどい親の方に共感して「当然でしょ」となっている人が多いからヤバイ。
私は3歳から幼稚園に通っていたのだけれど、午後、母が迎えに行っても着替えができていない。だいたい1時間半かかるので、他の子と一緒にはじめると、お迎えの時間に間に合わない。送っていったときも、靴を脱いで上履きに履き替えるのに30分かかるので、母が私を送っていってから始業のチャイムが鳴るまでには上履きを履き終わらない。
そのようなエピソードを聞いて「そんなことが現実に可能なのか?」と小学生の私は疑問に思ったのですが、その後、弟が幼稚園に行ったときに昔の担任の先生に尋ねたら、母と同じ話をしてくれました。「本当だったんだ……」と驚きました。あるとき母が迎えにいったら私がきちんと登下校用の制服を着ていたので母はとても喜んだのだけれども、「朝から着替えもせずに、あの席に座ったままなんです」と。母も先生も大笑い。
とにかく動かない。人と話をしたがらない。そんな私が、2年後には、幼稚園から帰るとサッと着替えて友達の家へと走っていくようになった。お医者さんに相談しつつ、むしろそれゆえ過剰に心配することなく、温かく見守ってくれた周囲の人々には、心から感謝したい。