趣味Web 小説 2011-07-21

自動車と節約

涙ぐましい節約の努力をするより、自家用車を手放す方がよほど有効だったりしないか? 「それはない」という人が多いかな。

いま私は栃木県に暮らしているが、自動車なしの生活は可能だとわかった。自転車に乗るのも難しい高齢者がどうやって生活しているのか、興味を持って観察してみると、便利な地域であれば、案外、何とかなっていることに気付く。自家用車があれば、選択肢が増える。逆にいえば、ただそれだけが、自家用車の存在意義。

自家用車の有無で最も選択肢が広がるのが、住居だろう。車がないなら、駅の近くなど、生活に必要なサービスが一通り揃った土地に暮らさねばならない。内科などの病院も近くにほしい。不動産屋でそういうと、途端に選択肢が10分の1に減る。

なお、商店は、1種1店舗あればよい。商店を選べないことは、案外、問題にならない。選択肢が減ったそのときは、すごく損をした気分になるが、家計簿に大した変化は出てこない。車を手放したプラスの方がずっと大きいはずだ。「子どもの習い事が……」という話もよく聞くが、それも選択肢の問題。

通勤? 冬場に積雪が続く地域を別とすれば、10km以内なら自転車で通えない理由ってある? 年平均3日程度の積雪ならタクシー通勤が可能。帰りは同じ方向の同僚数人で乗れば、かなり安くなる。あるいは、雪が積もったら有給休暇を申請するとか。免許を取って仕事で運転するのは結構。でも自家用車は持たず、通勤は徒歩か自転車にする。そういう話をしている。(改訂 2011-08-18)

所詮は程度の問題にすぎないものを、絶対的な問題と錯覚している人が多いんだ。地方では自動車が必須、なんていってる人の過半は、本当は「車がなくても何とかなる」。小さな町村では本当に必須なのかもしれないが、そういうところは人口も少ない。

みんないずれは歳をとって運転ができなくなるというのに、「自家用車なしでは成り立たない生活」にどっぷり浸かってしまっていていいのかね。不便な場所に一軒家を建てちゃった人とか、どうするのだろう。子育てが終ったら駅前の狭いアパートに引っ越す予定ならいいけど。

高齢者がちゃんと引っ越さないから、高齢者需要は小さいままで、それゆえ高齢者向けの不動産市場がうまく立ち上がらない。悪循環だ。

とりあえず一人暮らしの人は、自分だけの問題なので、自動車を手放すことを検討してみたらいいと思う。試しに一週間、自動車に乗らずに暮らしてみたりして。十分に自動車が普及している地域の場合、駅からの距離よりも、築年数などの方がよほど家賃への影響が大きかったりする。駅近は高いと決め付けずに、ちょっと調べてみてほしい。

何かを諦めれば、そのコストが浮く。外食、居住環境、自家用車、みんな同じ。節約をする際には、「ま、いいか」と思える領域を見つけることが大切だと思う。強い欲求を理性で抑えようとすると、疲弊する。

自動車ってのは、なきゃないなりに生活できるのに、いったん持ってしまうと、手放すのがつらくてたまらなくなる。まるで麻薬のような商品だ。いま自家用車を持っていない人は幸いであり、なるべくその生活を維持することを勧める。安直に車を買うと、「主観的に最低限必要と感じる手取り収入」が年間20万円ほど増える。つまり1か月分の手取り収入が消える。

逆にいえば、自動車がなければ、約1か月分、仕事を楽できる。この「1割の余裕」は、「身の丈にあった仕事の選択」と「健康的な労働時間」の実現に、大いに役立つ。「支出を増やす分、頑張って収入を増やそう」と考えるのが罠で、それはお金に振り回される人生への入り口である。

追記:

「現在の居住地を離れない」という選択肢を捨てられないなら、マイカー前提の土地に暮らす人が車を手放せないのは当然でしょう。

ただ、半世紀前まで、庶民の過半はマイカーを持っていませんでした。「自動車なしで生活できる街」とは、決して都会ではありません。日本の人口密度が低かった頃、土地は余っていたのに、市街地は小さくまとまっていました。その意味を忘れ、マイカーでの移動を前提に居住地を定めた人々は、いざ歳をとって運転できなくなると、転居を拒否して公的な生活支援を求めます。

しかし老人の身勝手に怒っても始まらない。「便利」が「必要」に転化する仕組みを自覚して、これ以上、世の中に「必要」を増やさないことが大切だと私は思います。既に車を持っている人は、もう貸す耳を持たない。でも、まだ持っていない人は、そのまま持たないのが吉。

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