2010年5月に『米当局が株式取引をすべてキャンセル(無効)に… まさかの禁じ手発動で資本主義崩壊www』なんて話題があった。もちろん資本主義は崩壊していない。スイス銀行の強力な為替介入から一週間、早くも市場は落ち着きを取り戻している。
何か異例のことが起きるたび、「雪崩を打ったように大きな変動につながる」と煽る人がいる。スイスの件で私が注視していたのは、スイス国債が「暴落」するという主張。結論からいえば、為替の影響をいくらか調整するにとどまり、取引状況も落ち着いている。日本のGDPはスイスの8倍強だが、この8倍の差が「日本が同じことをしたら大変なことになる」理由といえるのかどうか。
海外の投資家が持っている日本国債は少ない。スイスのような断固たる為替介入をしたとき、ドル建てで日本国債の価格を維持するような市場になるとは思えない。利率がそこまで上がらないうちに、国内の投資家が「これは割安だ」と思って買うと思う。為替レートと国内のインフレ率はいまいち連動していないので……。
「自分の信じる正義のためなら手段を選ばない」というのはテロリストの論理。せめて手段を選ばなかったことの代償くらい理解したうえで行動に移してほしいのだけれど、当然の結果に「失望した」と素でいっているように見えるから首を傾げる。追記によれば自分が正義だとは思っていないというのだけれど、だったら何だと思っていたのか、そこがわからない。
コメントレスで「プライベートアカウントは計数に含めないでほしい」という意見に同調しているが、プライベートアカウントだけで5ブクマに達した記事のほとんどは、少なくとも私にはSPAMには見えない。自分にとって目障りなものを撲滅するためなら、多くのものを巻き添えで犠牲にしてもかまわない(それらは自分にとっては価値のないものだから)みたいな発想をする人だから、テロリストの論理と親和的なんだろうな……。
私はbookscanのプレミアム会員サービスが始まったばかりの頃からのユーザーなんだけど、月に50冊ずつのスキャンだから、まだあと1年分くらいスキャンしたいものが溜まっている。
問題は、あと1年、サービスが続くかどうか。書籍のスキャンは、自分でもやってみたことがあるけど、面倒くさすぎて私には無理。金持ちっぽい人が「自分でスキャンしてるよ」という記事を書いているのをときどき目にするけど、きっとその人はスキャン作業自体が楽しいのだろうな。
作者と出版社がスキャン代行業者に申し入れをしたというニュースに、私は戦々恐々。そこへ自炊代行ドットコムのこの回答が出て、目眩がした。喧嘩になりそうなことは、やめてほしいんだよね……。せめてあと1年、bookscanが業務を続けられたら、私はそれでいい。
私が素人なりに法律を読んでも、スキャン代行業者は旗色が悪い。私は権利者に害のあるようなことはしていないと思うし、今後もしないつもりだけど、数万人の利用者の中に数十人でもひどく悪いヤツが出てきたら終り。よくこれまで続いてくれたとも思うけど、どうかあと1年、続いてください。続いてください!
『早生まれは損か』にあるように、いくつかのスポーツでは、選手の生まれ月に明確な傾向が観察されている。連続殺人犯の誕生月に何らかの偏りがあるという話も、頭から「ありえない」と決め付けるのは早計。偽相関だとしても、相関があるというデータは研究の端緒となる。→検証する価値のある与太話(2006-12-21)
ただ、そもそも論をいえば、競技人口に比して選手の人数はとても少ない。「選手の中で何月生まれが多いか」なんて、重要な論点ではない。「選手になった人の大多数に当てはまり、選手になれなかった人では僅かな人にしか当てはまらないこと」を探求する方が有意義だと思う。同様に、連続殺人犯も例外的存在だ。「連続殺人犯にはどのような人が多いか」より、「どのような人が連続殺人犯になりやすいか」を考えるべき。
みんなのイメージに乗っかって「妻の話」といっているのだろうけれども、男女差というのは、仮にあるとしてもそれは平均値の差。かなり明確に性差の出る高校生段階の体力テストであっても、女子の平均値を下回る男子が4~5人に1人程度はいる。
リンク先の記事が「妻の話」という書き方をしたことがことさらに問題だとは思わないが、「そんなの男女を問わないよね」と指摘したくなる側に、現在の私は共感する。
少なからぬ人の心には、世界をより単純に把握したいという欲求がある。もともとは人を観察してザックリと大雑把な分類をしたはずが、いつの間にか簡単な分類を守るために人の方を変えようとしはじめる。他人事のように書いているが、私自身、ふと気付くとそういうことをやっている。なかなか難題なのである。
リンク先自体はつまらないのだけれど、後者の記事にxgst8pさんが寄せているコメントが刺さった。
「一般論」を見ると粗を探してしまう性格でして。申し訳ありません。
個人的には、なぜ、「「あいつ」は「いま」電車で化粧をするのか」に興味を示さず、「なぜ「最近の」「若い女」は電車で「平気で」化粧をするのか」に関心をもってしまう自分に対する不信感がそうさせています。
目の前の特定の人物の行動に対して疑問を抱いているのだから、その人に接触して質問をするのが一番いいんだ。でも、そうしない。もっと大きな括りで問題を捉えなおして、根拠の怪しい仮説に飛びついてしまう。なぜだろう。より少ない労力で、より大きな謎に答えを出した気分になれて、主観的に効率がいいから?
それぞれ何かしらいいたいことがあったんだけど、略。