趣味Web 小説 2012-01-18

就職活動の虚像

1.

リンク先とは、ほぼ関係ない話をします。

2.

私はいわゆる「リクルートスーツ」を着たことがない。成人式のときに黒系のスーツは作ったけれども、それは明らかにリクルートスーツの基準を満たしていなかった。

そして、私がたいていの面接に着ていったのは、かつて父が着ていて、いま(2001年当時)ではもう太って着れなくなったので私に譲ってくれたスーツだった。ブルーグレーの、舶来の上品な生地を仕立てたスーツで、若き日の父が大いに背伸びをして作ったものだ。「これでモテる」つもりが全くモテず、オイルショックの余波で勤め先が何度も倒産し……そんな苦難の時代に父のプライドを守り抜いた一張羅である。

面接でスーツの話題が出て落とされたことは、一度もない。何やかやで最終的には20社以上で落とされ続け(つまり最終面接では服装など話題にはならなかった)、7月になってやっと決まったわけだけれども、次から次へと落とされてみて、むしろ「やっぱり服は装飾に過ぎないな」とは思った。

「このスーツで落とすような会社には入らない」と私は決めていた。私の問題は、むしろ服に中身が釣り合っていなかったことだろう。スーツのエピソードは面白くても、それを語る若者が軽薄だったわけだ。

3.

たぶん、「リクルートスーツを着てこないから落とす」なんて企業は、そうそうないと思う。仮にあったとしても、そんな会社、入っても面白くないよ、きっと。……でも、そうは思わない学生が多いから、リクルートスーツ文化は定着した。問題の根は、企業ではなく学生の方にあると思う。

人余り社会を背景に、就活の保守化に拍車がかかっている。私と面識のある還暦くらいの方々は、むしろこうした状況を苦々しく思っている。どうでもいいことを「常識」として押し付けたがるのは、むしろ就職氷河期世代。不安に脅えて生み出した就職活動の虚像を、自らの手で実像に変えようとしている。

学生たちが思い思いの服装で就活に臨んでいた時代を知る世代が残っているうちに、どうにかして根拠不明の「常識」でがんじがらめになった就職活動を打破できないものか。

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