2005年08月31日
不明な世界
CDが傷ついているのか、それともプレイヤーがイカれているのか、ヘッドフォンで音楽を聴いているととにかく雑音ばかりが耳に障る。雑音、それもノイズなどではなく、明らかにCDに録音されていない声なのである。何処か呼び掛けるような調子で、小さく、しかし確かにその声は響いている。バスとドラムの刻むリズムの間隙に、ギターのソロの前後に、ボーカルの張り上げた声の裏側に、その声は存在している。とてもウザッたいことこの上ないが、僕が取り得る手段はプレイヤーのスイッチを押して電源を切ることだけであり、確かにそれは格段の効果を伴う手段ではあるけれども、分類するならばその手段は即ち負けであり、敗北である。僕はCD、あるいは、プレイヤーに負けることになるか? それは嫌だ嫌だ、てんで、さっきからこうして延々聴き続けているのだが、もう声が気になるあまりその声しか耳に残らなくなり、音楽を聴いている、恃んでいる、という感じではなくなってしまった。全く馬鹿馬鹿しい。もういい。負けでいい。しかし、僕は、負けたことにはなるが、それはあくまで形の上でのことであって、実際のところ、人間の生き方という観点で見るならば、僕はむしろ勝っている、と言えなくもなくもなくもなくもなくねえ? ということになっているはずである、と、己をなんとか説得し、僕はプレイヤーのスイッチを押してヘッドフォンを外した。と、何処からか聞こえる、呼び掛ける声。え? 僕は口に出してそう言った。と、その呟きの間隙に、投げ捨てたヘッドフォンが畳に激突する音の前後に、風が窓を揺する音の裏側に、声が聞こえる。え? 幻聴。悪いのは、傷ついているのは、CDでもプレイヤーでもなく、僕自身ということ? 僕自身の脳とか、そういう神経系であるってこと? マジ? とか、思っているうちに、みるみる大きくなる、呼び掛ける声。その声は亡父の声にも亡母の声にも隣の林さんの奥さんの声にも似ていた。うるせえ。僕は叫んで、通りに飛び出した。耳を塞ぎながら。しかしいくら耳を塞いでも声は響くし、むしろ大きくなるだけである。通りに立つと、様々な音が聞こえてきた。太鼓の音、囃子の音、笛の音。大型トラックが道の段差を乗り越える音、軽乗用車が人をはねる音、石油を積んだ車が横転して石油をまき散らし車と道路のアスファルトが擦れて火花が散ってまき散らされた石油に火が点く音。カボチャで人を殴る音、殴られる音、血反吐がまき散らされる音。細い路地で女が男に犯されていて、その隣の路地で男が男数人に犯されていて、その向いの路地では女が女に犯されていて、って、そんな音。それらの音一つ一つの、間隙に、前後に、裏側に、声が存在していた。通りを歩く、生きている人間達の作り出す音は、僕の耳元で響く声を掻き消す何の役にも立っていなかった。彼らは確りと生きているというのに。確かに存在して、殴り合ったり罵り合ったり謝り合ったりしてるというのに。彼らの生きているという影響は、僕には全く及んでいない。何故だ。それはつまり、僕が存在していない言うことであるのか、それとも彼らが存在していないということであるのか。それとも僕と彼ら、彼我の間には何か高くて大きな壁が存在しているということなのか。日が落ちかけている通りで耳を塞ぎながら立ち尽くしている僕。そんな僕など存在しないかのように通り過ぎる二人の男女。彼らは若かった。僕と同じくらいに若かった。あと男の方は僕と同じくらいの顔の整い具合だし、金だって同じくらいなさそう。だが、彼我の差は激しい。奴は女と道を歩き愛を囁き合っている。僕はこうして耳元の声に耐えながら通りに立っている。激しすぎる。関係ないけどね。愛ってのはつまり、耳元の声の所為で何も聞こえなくなっても、それでも声高に叫んでみる、蛮勇のことだって。眠れずに過ごす夜の向こう側に、自分と同じ気持ちの奴がいるってことを信じる無能さってことだって。道路を挟んだ向こう側の歩道で、一人の女が胃の中のものを戻した。彼女は耳を塞いでいた。何か、耳元で聞こえる呼び掛けに耐えるように。その呼び掛けに堪えきれず、吐いたように見えた。彼女はふと顔を上げた。僕と彼女は見つめ合い、瞬間、目を逸らして、関係ない風を装った。これこそが愛だ。何もかもが不明な世界で、唯一燦然と輝く、秘奥の宝石。隣人が殺人鬼でない保証も、家族が本物である確証も、自分が複数存在しない根拠も、何もかも得られないこの世にある、真実だ。そう思わないとやっていけないよ実際。どんどん錆びていくというのに。
2005年08月30日
過去を振り返る
昔やっていたサイトのログを読み返してみたら、誤字脱字、勘違い思い違いなど、頭悪そうな記述ばっかりでかなりヒいた。死にたくなった。
2005年08月29日
勉強オレ
よし、わかった。勉強をしようじゃないか。努力をしようじゃないか。
1
世界とは、つまるところ、自分が世界と思いこんでいるものにすぎない……ここが現実だとして、どんな不都合がある?
2005年08月28日
ビューティフル・ドリーマー
虚構の儚さというのは、現実の儚さなのだ。
2005年08月25日
一生の恥
またカラオケに行ってしまいました。日本海溝よりも深く反省。
宮本浩次氏と斉藤和義氏には三年寝太郎の眠りより深く謝罪します。
2005年08月23日
2
何も手に付かない
あんまりウェットなのよ-------まったく、ウェットだったらありゃしない
ああそうか、私は「情緒的な意見」が好きじゃないのか。
2005年08月22日
2005年08月21日
苛立ち
わたしは度し難い大馬鹿だと思う。
余談
苛立ちをひらがなで書くとすごく丸い印象になる。いらだち。
お前それほど苛立ってないだろう、みたいな。
余談2
カタカナだと女々しくなるな。イラダチ。
椎名誠っぽい女々しさと言おうか。意味不明か。哀愁の街に霧が降るのか。
TOKYO WAR
一言で言うと、食い足りないという感じ。
文章はわかりやすい、読みやすいというより、薄い。小説処女作だからしょうがないんだけど。「獣たちの夜―BLOOD THE LAST VAMPIRE」や「Avalon 灰色の貴婦人」で多用されるような、とにかく蘊蓄で場を繋ぐ手法もなく、「立喰師列伝」のようなはっちゃけさもなし。エッセイなどで見られるシニカルさも見られなくて、本当に、物足りない食い足りない。
そして、押井映画の科白のカッコ良さというのは、言葉そのもののカッコ良さではなく、役者(声優)の言い方(演技)のカッコ良さなんじゃないかと思った。いや、科白そのままでもカッコいいことはカッコいいんだけど、映像で見た時ほどではないという意味で(後藤と荒川の問答とかね……あれは大林隆介と竹中直人だからこそカッコよかったんだよ。多分。科白自体のパワーってのは実はそんなにない。多分)。
押井氏もそこらへんはわかっているんでしょうね。だからこそ、彼は声優を大事にするし、最新作イノセンスでは引用を多用し「脚本に意味ないよ」(大意。こんな感じのこと言ってたよね)と言い切ったんでしょう。
装丁はめちゃめちゃ気合い入ってて、多分、装丁だけで700円の価値はあると思う(「立食〜」の安っぽさとは大違い。いや、あれは意図的にやったんだろうけど)。カバー外すとなんか洋書みたい。本棚に入れておきたい本です。
もっと押井氏の蘊蓄が読みたかったです。それだけに尽きる。
それにしても
昨日今日のはてなはなんだか重いような。
悲しみの果てに、珍奇男
- アーティスト: エレファントカシマシ
- 出版社/メーカー: エフエムイーレコーズ
- 発売日: 2005/07/20
- メディア: CD
- アーティスト: エレファントカシマシ
- 出版社/メーカー: エフエムイーレコーズ
- 発売日: 2005/07/20
- メディア: CD
遅ればせながら買った。曲のセレクトは「日本 夏」が好きだが、「珍奇男」と「友達がいるのさ」が良かったし、トークも微妙に入ってたので、CDとしては「野音 秋」が好き。
それにしても宮本氏は熱い。聞いてるだけで汗が出てくる。
もうすこし書こう
- 「歴史前夜」を聞いて、宮本氏には英語詞の曲も書いて欲しいなと思ったのだけれど、まあ、多分、書かないだろうなあ。書けないというか(失礼だな)。
- 「平成理想主義」の
アイ ライク 大地
がカッコいい。 - これはもう散々言われていることだけど、収録曲のセレクトがおかしい(笑)。トラックの端にひっかかっている曲の方が聞きたくなってくる。「日本」の「平成理想主義者」が始まる前の「PitW」とか、「野音」の「夢を見ようぜ」の後の「デーデ」とか。
- あと、どっちにも「四月の風」が入っているのが解せない。「デーデ」入れようぜ。
- 「「序曲」夢のちまた 」って凄くカッコいい曲だなあ。
- 「夢を見ようぜ」って音源初収録らしいんですけど、今まで収録されてこなかったのはなぜ? カッコいい曲なのに。
ふぅ! 間抜けです
貧乏人にバラードを聞かせよう
。「デーデ」聞きてぇー!- もしかすると「デーデ」は「エレファントカシマシ日比谷野外音楽堂ライブヒストリー上巻」に収録されるのか……?
- エレカシって演奏上手いのか下手なのかわからないよね。
- 出だしで外してることもあれば、でもすぐ持ち直したりもするし。
2005年08月20日
がっがっがっが
g
あなたはだれですか?
私は誰でしょう?
2005年08月19日
飛蚊症が酷い
目の前の黒い点が、飛蚊症の症状なのかホントの虫なのかがわからない。